はじめての「二人きり」
最初、なにがおきたのかわからなかった。
日曜日。
両親不在のおれの家のおれの部屋。
ベッドの上で、
彼女といい感じになっていたと思ったのに。
(こ、この体勢っ―――!)
おれの前方からワキに両腕をとおして、そのまま下に体重をかけて落とす。
おれの頭はベッドにおしつけられて、頭の上には、あいつのやわらかい胸。
タックルをきる、ってやつだ。
「おいおまえ……いまなにしようとしてた?」
いつも耳にしてる彼女の声でそういった。
「え……いや……江里花……どうしたんだよ急に……」
「抱きつこうとしてたな?」
「ちょっとまてよ」おれは彼女の体をタップする。「とりあえず、体を――」
「ふん。いいだろう」
江里花は立ち上がって、首のうしろを片手でおさえコキコキするように左右にうごかす。
おれはこのクセにみおぼえがあった。
(あいつがオヤジさんのマネなんて……したことあったっけ?)
おれは起き上がった。かべのポスターと目が合った。
それは……伝説の格闘家のポスターだった。
「ほう、おまえ『おれ』のファンなのか? サインでもしてやろうか?」
言うなり、机から極太のマジックをとり、キュッキュッとためらいもなくそのポスターに書き込んだ。
「本人直筆だ。ありがたく思えよ」
「おいまてよ。わるい冗談だぞ、江里花」
「なんだと?」
「オヤジさんのフリして、サインまでマネするとかさ。なんだよ。サプライズみたいなやつなのか?」
「江里花は、おれのたった一人の愛娘だ」
腕を組んだ。
ほそい腕なのに、なぜかムキムキの腕のような迫力がある。
「わけわかんねー」
おれはベッドのふちに腰かける。
「今日、おれの部屋にきたいっていったのは、おまえなんだぞ?」
「ほう」
「いや『ほう』じゃなくて。やめろよ、そのオッサンみたいなしゃべりかた」
「なるほど、状況がのみこめてきたぞ。おまえは江里花の恋人だな?」
「あー、もう、そうやってオヤジさんみたいに…………」
猪狩正一。
その伝説の格闘家は、みんなの前からあっけなく姿を消した。
飛行機事故だった。
海外遠征中に、のっていたセスナが山中に墜落したんだ。そのとき、江里花はまだ小学生だった。
高一で同じクラスになって、もしやと思って質問してみたら、予感は的中した。
そこから彼女と仲良くなって、一年がすぎて、いま高二の夏。
――〈はじめて〉にはもってこいの時期だろう。
彼女のほうは知らないが、おれはそのつもりだった。
覚悟をきめていた。
こういうのは男のほうだって、それなりにビビるもんだ。
二人きりになってながい沈黙のあと、
おれは意を決して、彼女にむかって抱きついたんだが、
思いがけないスピードでおれの体は制止された。
「もう一つわかったぞ。おまえ、江里花とよからぬことをしようとしていたな?」
にっ、とくちびるのハシが斜めにあがった。
おれもおれで、わかりかけてきた。さっきのはやっぱり『タックルをきられ』てたんだ。
「まーわからんでもない。こいつは」スタンドミラーに自分をうつしながら言う。「いい女に成長した。はっきりいって、涙がでそうだ。あのちびっ子がなぁ……」
ぐすっ、と鼻をすする音がした。
自分の姿を鏡でみて、泣きかけてるなんてやっぱりこいつは―――いや、この人は、
「あなたはマサカズさん……なんですか?」
「そうだよ」
「いやそんなあっさり……マジですか?」
「おう」
ぐっ、と江里花はチカラこぶをつくった。
ポニテでキャミソール姿のキャシャな女の子が。
「ま……あいつはちゃんとママが育てただろうから、そう簡単に野郎の部屋にしけこむやつじゃないと信じてる」
「はあ」
「キミが好きなんだな」
「そう……ですかね」
「よし! じゃ、つづきをやるか!」
「え」
ばっ、と江里花がハグを要求するように両腕をひろげた。
「カモン! 青少年!」
満面の笑み。
かわいい、いつものあいつなんだけど……。
いかんせん、中身が……。
「ほら! どうした、ひとおもいにこいよっ!」
「え、ええ……」
「なんだ?」
「おれ、その」
「なんだ、はっきり言え!」
「お……」ぎゅっとおれは目をつむった。「お父さんとは、エッチしたくありませーーーん!!!」
意外、という感じのきょとん顔。
この人が意外なことに、おれが意外だった。
っていうか、本気だったのか。本気だとしたらおかしいだろ。三十ぐらいのオッサンとセブンティーンのおれがそういうことを「する」んだぞ?
いかに、体は江里花のものとはいえ……。
そのとき、
こんこん、とドアがノックされた。
「どうしたの大きい声だして」
か……母さんだ。
夕方まで街に買い物に行くって言ってたのに、もう帰ってきてたのか。
「いや、なんでもないよ」
「あけていい? お菓子と麦茶もってきたんだけど」
ばっ! とおれは江里花……いやマサカズのほうを見た。
(どうしよう。まさか正直に言うわけにも)
がちゃっ、とドアがあく。カギをかけるのを、うっかり忘れていた。というか、彼女と二人きりの予定だったからその必要がなかったんだ。
「お邪魔してまーす」
明るくそう言って、ペコリと頭をさげる江里花。
「わー、ルマンドじゃないですかー。私、これ好きなんですよー」
おいのりのように手を組んで、うれしそうな顔。
その顔にウソはない――ように、おれにはみえた。
(なんだったんだ……?)
夕やけの空。
おれは近くのバス停まで江里花を送っていく。
家はおたがいに、バスの路線の近くにあって、乗り換えなしで行き来できる。自転車でもムリではないが、ちょっと遠い。
(やっぱり、こいつの冗談じゃないのか?)
「ねぇ、コンビニあるよ。アイス買おうよアイス」
「もう晩ごはんだろ。やめとけよ」
「ぶー」
「こどもみたいにスネてもダメだ」
あはは、と江里花は笑った。
もうあのときほどの、得体のしれない強さは見受けられない。たぶん今、こいつにタックルをかけたら、されるがままに倒されるだろう。
「なあ……その、今日はたのしかった、よな?」
「うん。たのしかったよ」にこっ、とくちびるを弓なりにカーブさせて微笑む。
「えっと、どんなことしたっけ、おれら……」
「んー、おしゃべりしたりー、ジェンガしたりー」
ジェンガ?
そんなのしてないぞ。
もしや、こいつの記憶の中では〈そういうこと〉になってるのか?
たのしい、という印象だけが残って、あとは都合よく記憶の辻褄を合わせてる―――とか?
「じゃあねー!」
バスのドアがしまった。
急に、後悔が押し寄せてきた。
これでよかったのか。
歩きながら、おれの本能のままに行動していた場合をシミュレーションすると、
「おまえヘタクソだな」
カッと顔が赤くなった。
絶対できるわけがないよ。
あいつのオヤジとエッチなんか。




