第15話 セリアの決断
白と黒がぶつかり合う空間だった。
音のない風、光のない影。
世界の輪郭は溶け、ただ二つの存在だけが立っていた。
一人は俺。
もう一人は――俺の姿をした“静寂の王”。
その顔には、何の迷いもなかった。
目の奥にあるのは、空虚ではなく、確信。
彼は静かに微笑んだ。
《リオ。人はすぐに争う。
言葉があるから、誤解が生まれ、声があるから、痛みが伝わる。
ならば――音をなくせば、誰も傷つかない。》
「……それは違う。」
《違わない。お前も知っている。
静けさの中でだけ、人は穏やかに眠れる。》
「眠るだけじゃ、生きてねぇんだよ。」
黒いリオは笑った。
《では問おう。
“生きる”とは何だ? 争い、奪い、叫ぶことか?》
「……違う。
でも、“声を出すこと”でしか伝えられないものもある。」
《お前の声はもう届かないだろう。》
「――届かなくても、叫ぶ価値はある。」
その瞬間、空間が震えた。
黒いリオが手を上げる。
掌から黒い風が広がり、世界の色を塗りつぶしていく。
《ならば証明してみろ。音を失った賢者。
沈黙の中で、どこまで抗えるか。》
光が砕け、空が裂ける。
黒い風が奔流となって押し寄せる。
それは“平穏の逆”――あらゆる音を呑み込む力だった。
◆
王都の外、湖畔。
セリアはその光景を遠くから見ていた。
空の一部が黒く染まり、波が止まる。
それはリオが立っているはずの場所。
ソフィアが青ざめた顔で言う。
「二つの魔力反応……どちらもリオさんです。」
『……そうか。ついに始まったか。』
「どうするんです? 止められるんですか?」
セリアは目を閉じた。
金の瞳の奥に、過去の光景が浮かぶ。
――最初に出会った日。
――リオが笑ってくれた瞬間。
――彼が“静けさ”を選んだ夜。
『彼の“平穏”は優しさ。
だが、その優しさが、もう一人を生んだ。』
「……放っておけません。」
『ならば、決断せねばならぬ。
どちらのリオを守るか。』
セリアは唇を噛んだ。
「どちらも、リオです。」
『だが、片方を選ばねば世界は壊れる。
“静寂の王”を倒せば、平穏は戻る。
だが、倒さなければ――世界は眠りにつく。』
風が止まった。
湖面が鏡のように静まる。
その中に、二つの影が映る。
――白と黒。
リオと、もう一人のリオ。
『……ならば。』
セリアの声が微かに震えた。
『我が使命は、彼の“心”を守ること。
ならば、たとえその心が壊れても――選ぶのは私だ。』
翼が広がる。
湖の水が跳ね上がり、光の柱が立ち上がる。
セリアの体から青白い鱗光が溢れ出した。
王竜の証、“真名の解放”――
彼女は本来の姿を取り戻していた。
「待ってろ、リオ。」
その声は風の中で溶け、静けさの空へと届いていく。
◆
暗い空に、光が一筋走った。
白い翼が闇を裂く。
セリアが降り立つと同時に、黒い風が炸裂した。
「来るな! ここは危ない!」
『それでも行く。』
リオの叫びに、セリアは微笑む。
『汝が一人で抱えるには、この静けさは重すぎる。』
黒いリオが、冷たい目でセリアを見た。
《竜よ。お前まで人に染まるか。》
『汝が“リオ”であるなら、私の契約者でもある。
だが――我は片方だけを守る。』
空気が張り詰める。
黒と白の力がぶつかり合い、稲光が走る。
世界が二つに割れたようだった。
セリアは目を閉じ、リオの手を握った。
『選ばせてほしい。
私は、“声を持つリオ”を守る。』
《愚かだ。音は消える運命だ。》
『ならば、何度でも取り戻せばいい。
それが人であり――それが、私が愛したリオだ。』
風が唸る。
光が走る。
黒いリオが怒りに顔を歪めた。
《ならば、見せてやろう。音が消える瞬間を!》
爆音。
空が割れ、湖が吹き飛ぶ。
青白い光と黒い闇が絡み合い、世界が震える。
セリアの声が最後に届いた。
『リオ――信じている。』
その瞬間、白と黒がひとつになった。
――そして、世界が光に包まれた。
次回予告:「第16話 共鳴の海、崩壊」
二つの“リオ”が融合した結果、世界全体が共鳴を始める。
海が歌い、大地が脈打ち、人々が夢を見る――
かつてない規模の“静けさ”が、地平を覆う。