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第13話 沈黙する国々

 それは、リオが世界を救ってから七日後のことだった。


 朝焼けの王都。

 市場には再び人の声が戻り、子どもたちの笑いが響いていた。

 焼きたてのパンの匂い、馬車の音、鳥の鳴き声。

 何もかもが、以前と同じように“うるさい”。


 ――その喧騒が、こんなにも愛おしいと思ったのは初めてだった。


 俺は露店のパンを一つ買い、

 広場の噴水に腰を下ろしてスープを飲んだ。

 熱い湯気が、胸の奥の空洞を埋めていく気がした。


「やっと、普通の朝だな。」

 そう呟いた瞬間。

 風が止まった。


 街のざわめきが、まるで水面の下に沈むように静かになった。

 パンを手にしたままの少年、喋りかけていた商人、

 みんなが、微妙に首を傾げて“聴こうとする”仕草をした。


 ――音が、消えた。


 不自然な沈黙。

 まるで世界が一瞬、息を止めたかのように。


「……おい、またかよ。」

 ジークが駆け込んできた。

「リオ! 南門の外、変な連中が来てる!」

「変な連中?」

「国章が違う。隣国レムファリアの旗だ!」



 王城の門前には、

 青と銀の旗を掲げた兵士の列が並んでいた。

 鎧の隙間からは冷たい光。

 彼らは“沈黙”の中で整然と動いていた。


 王国軍の将校が慌てて叫ぶ。

「おい、待て! ここは――」


 その声をかき消すように、

 一人の女が馬上から降り立った。

 白銀の髪に冷たい瞳。

 口を開いたが、音は出なかった。

 けれど、確かに声が“心”に直接届いた。


《共鳴……の源を、返してもらおう。》


 脳裏に響くその声に、思わず一歩退いた。

「……おい、今の、俺の名前言ったか?」

《リオ・クラウス。平穏の賢者。あなたの沈黙が、我が国を呑み込んだ。》

「はぁ!? 俺、何もしてねぇぞ!」


 女は淡く微笑んだ。

 その微笑みには、悲しみと怒りが同居していた。

《我らの国は今、音を失った。

 人々は眠らず、話さず、ただ心の中で“平穏”を唱え続けている。

 ――あなたの共鳴が、届いたのです。》


 喉が詰まった。

 俺の“選んだ静けさ”が、他国へ伝わった……?


「ちょっと待て、それは誤解だ! もう止めたはずだ!」

《誤解ではありません。あなたが目覚めた瞬間、

 我々は眠り始めた。》


 セリアが前に出た。

『……共鳴の波が反射したのだ。

 汝が世界を動かした際、均衡を失った力が他国へ“静けさ”を押し流した。』

「つまり、今度は逆流かよ……。」


 女はゆっくりと歩み寄ってきた。

 瞳の奥に、かすかな涙が光っている。

《我が国の名は“沈黙の国”。

 だが、誰もそれを望んだわけではない。

 あなたの“平穏”が、私たちの時間を奪った。》


「……俺の、せいか。」


 女は頷いた。

《それでも、あなたにしか止められない。

 だから――共鳴の根を分けてほしい。》

「根?」

《あなたの心の一部を、こちらに渡してほしいのです。

 そうすれば、沈黙は終わる。》


 ソフィアが息をのむ。

「そんなことをしたら、リオさんの心が……!」

『分割すれば、汝の“平穏”が崩壊する。

 人格も記憶も、ばらばらになるぞ。』


 けれど、女の表情は穏やかだった。

《それでも、あなたなら分かるはず。

 “誰かの静けさ”のために、どれだけの音を失ってきたかを。》


 俺は拳を握った。

 この手は、何度も世界を止めた。

 そのたびに、守るつもりで誰かを奪ってきた。

 ……もう、同じことは繰り返したくない。


「いいだろう。」

《リオ!?》

「やるよ。ただし条件がある。」

《条件?》

「この静けさを、もう二度と誰も使えないように封じる。」


 女はしばらく俺を見つめ、それから静かに頷いた。

《――約束しましょう。》



 儀式の準備が始まった。

 王城の広間。

 円形の床に古い魔法陣が刻まれ、中心に俺と女が立つ。

 金色の糸のような魔力が、互いの胸をつなぐ。


『リオ、今ならまだ止められるぞ。』

「いいや。もう止めない。

 これは、俺がまいた静けさの責任だ。」

『……そうか。ならば見届けよう。』


 女が目を閉じ、祈りのように呟いた。

《我らに、音を。あなたに、平穏を。》


 光が走る。

 世界が震える。

 心臓の奥で、何かが裂けた。


 視界が白に染まり、音が遠のく。

 最後に聞こえたのは、少女――セレナの声だった。


《リオ……あなたはまだ、“静けさ”を信じてくれる?》


「……ああ。」


 その答えと同時に、光が弾けた。


 風が戻り、鐘が鳴った。

 遠くの空で鳥が飛んでいる。

 ――音が、帰ってきた。


 だが俺の耳には、もう何も聞こえなかった。


 セリアが駆け寄る。

『リオ! おい、聞こえるか!?』

「……ああ。」

 口だけで答える。

 耳鳴りだけが続いていた。


 世界は音を取り戻した。

 代わりに、俺はそれを失った。


 ――平穏、再びその身を代価に。


次回予告:「第14話 混乱をもたらす男」

世界に音が戻る一方で、リオの中から“もう一つの声”が目を覚ます。

それは彼が封じたはずの、静寂そのものだった。

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