クロモジの叫び
◆田舎の学校は超過密
久しぶりに幼なじみが来訪した。
彼も同じUターン組だ。四〇代半ばで関西から帰り、建築士をやっている。一〇年あまり前、故郷で治療院を開きたい、と相談したところ
「よっしゃ。帰って来い。ワシがええ家、建てちゃる」
と二つ返事で動いてくれた。
山に囲まれた学校だった。
今や、周辺の村は消滅寸前である。生家はともに廃屋になっている。もちろん、小学校も中学校も、すでにない。
我々の学年にはベビーブームの余波、余熱が残っていた。
一クラス二五人ほどで、二クラス編成。猫の額のような土地に中学校が建てられ、狭い教室に子どもたちがぎゅうぎゅう詰めになっていた。
◆昔の仕事いろいろ
不思議なもので、半月ほど前、彼の生家の近所だったという年輩女性が来院した。
「〇〇ちゃん、どこに住んどるの」
彼は半世紀以上もの時差を、一瞬にして乗り越えている。
「家は魚屋やってたらしいな」
年輩女性から聞いた話を伝えた。確か、バス停のそばに、そんな商家があったような気もする。
「そうや。お前の村にも行商に行っとったはずや」
記憶を総動員しても、思い出せない。
「親父さんは楊枝つくっとった」
と幼なじみ。これは初耳だった。
◆楊枝と言えば
かつて、楊枝の材料はクロモジだった。「クロモジ」とは楊枝のことに他ならなかった。
クロモジはクスノキ科クロモジ属の落葉広葉樹で、早春に可憐な花が咲き、秋に実を結ぶ。あちこちに自生し、葉や樹皮から独特の香りを放った。言わずもがな。昔なつかしい楊枝の匂いである。
箸の材料にもなったほか、クロモジ茶や香料として重用された。
別に珍しい木ではなかった。山地ではせいぜい樹高は二メートルくらい。それでも、ほかの草木などと調和を保ちながら、山野を彩ってきた。
◆動植物の命と引き換えに
今、クロモジも危機に瀕している。
ショッキングなことに、徳島県ではクロモジがレッドデータブックの「絶滅危惧種Ⅰ類」とされているのである。Ⅰ類とは、放っておくと近い将来、絶滅の危険があるものをいう。
クロモジを存亡の瀬戸際に追いやっている原因は、いくつかあるだろう。
Uターンして、まず驚いたことは森林の暗さだった。
戦後大量に植林された杉が手入れされずに放置され、伸び放題の枝が陽光を遮っていた。
当市でも森林の六割は杉で占められ、ヒノキを加えると九割超が針葉樹林である。
針葉樹林の多くは常緑性である。落葉しないので、樹木が生育すると、地表に光が届きにくい。ほかの動植物が生きていくには困難な環境なのである。杉・ヒノキは花粉こそ巻き散らしても、広葉樹のようには野生動物にエサを提供できない。
◆崩れたバランス
木の実を初めとするエサが枯渇し、野生動物の多くは。故郷を捨てて人里へ降りて行った。しかし、草木はそういうわけにいかなかった。
劣悪な環境下で、健気に命を繋いできた植物のことを思うと、日本の犯した大罪に慄然とする。
山村の家で楊枝が作られていたことは、不勉強にも初めて知った。
現代ではクロモジの楊枝は高級品となり、当然のことながら、製造も機械化されているだろう。コストパーフォーマンスが偏重される中、伝統的な楊枝職人が絶滅していないか、危惧されるところだ。