94話 サイノウ
「死ぬ……か」
【鳰】は先ほど言われた言葉を思い出していた。
思い出していたといっても特に何かを思っていたわけではない。正直な話、多かれ少なかれ死亡率のある職に就き、死の危険までも経験したことがあった【鳰】ではあったもののその言葉に実感を伴うことはなかった。
だがそれは何も直接的な脅威を目の当たりにしていないからとかそんな理由ではなく、今までの経験上であれば感じることがあった、所謂"嫌な予感"というものがなかったのだ。
とは言え、それだけの理由で警戒を怠るなどということはないのだが。
死ぬという言葉。
今まで何度も直面した光景を現す手っ取り早く極めて軽い言葉。
そんな言葉だがやはりこの単語を聞くとあの頃のことを思い出す。
まだ【鳰】とは名乗っていなかったころ。
まだ、何も失っていなかったころ。
普通は一生連れ添って切っても切り離せない関係にある本名。
それを今では懐かしく思う。
――昼神かなめ
それが彼の名前だった。
二十四年前。
鳰家に一人の赤子が生まれた。
赤子の名はかなめと名付けられ家の者たちは大いに喜んだ。
それは、単に本人の誕生の喜びにではなく、跡取りにに関係したことが起因していた。
鳰家。
その界隈では【烏合之衆】がまだ歴史の浅いころから優秀な術者を輩出し、更には長い歴史において幹部の中には常に鳰家の者が所属しているとまで言われた名家であった。
だがそれも昔の話。次第に才のあるものは家に生まれることはなく家は廃れていった。
そして、権力はもちろん単純な力をも失っていった。
しかも、今代の頭首は術者ですらないという噂すらあった。
そんな時生まれたのがかなめだった。
かなめは異能に対して重要になる魔力との親和性が極めて高かった。
そしてさらには敵意感知の能力を先天的に持っていた。
誰もが思った。
かなめならば家の立て直しが可能なのではないのかと。
かなめは希望の星であった。
蝶よ花よと育てられた。
家にいるすべての人間が壊れ物を扱うように丁重に。
だが、現実はそう甘くなかった。
彼が五才になるころ、ある儀式がおこなわれた。
魔法の取得だ。
家の金をかき集め高額で譲ってもらった魔石を用意し、より万全を期すため魔力を大量に用意した。
家の者たちは寝る魔も惜しまず働きこの日のために準備をした。
そして当日それは失敗する。
本来完璧に魔法を覚えることができるはずだった。
失敗は許されないと何度も確認を繰り返したし全くの妥協もせずに高価な儀式用の道具を揃えた。
それなのに失敗した。
要因はただ一つ。
かなめだ。
仕方ないともいえた。
それは体質でどうしようもできないことをわかっていた。
だがそれでも、自身らの生活費を切り崩し、生活が苦しいながらも耐え続け。魔力を用意するために愛する人の身体を捧げた。寝ることもできず、ずっと働いて。
それなのにこの子供はすべてを無駄にした。
家の者はそう思った。
そして失念したのだ。彼の子供が敵意の感知に優れていることを。
そして、わずか五歳の少年は膨大な敵意にさらされた。
かなめにはなぜ自分がここまで敵意を向けられているのか理解が出来なかった。
幼い体でさらには常人では耐えられない程の悪意にさらされた脳にそんなことを考え、理解するほどの余地はなかった。いや、そもそも、少年には理解できただろうか?
勝手に身を削り勝手に敵意を抱く者たちの思考を。
かなめが生まれ幾度となく顔を合わせ会話をしていながらかなめを見ようともしない者たちの思考を。
其れから暫らくしない内に家はつぶれ、かなめはある家に引き取られることになった。




