179話 スニーカーで戦闘をする奴はバカ
「伊織君は?」
焦ったような声と共に紗奈は顔を歪める。
彼女が見つめる先には二体の喰魔がいる。
ビルの上には風が吹き荒れ、地上にはマグマのように溶けた地面が緩やかに流れる。
「今、本部から連絡来たけど、足止めされてるみたい」
それに答えたのは【傀糸】だった。
熱狂的とも言えるほど紗奈を崇拝している彼女だが、それを現すように紗奈に付きっきりで情報を教えていた。
彼女が語る内容は津田伊織が昼神タケルに足止めされているという現状。
相手もこの二体の喰魔の対抗手段になる津田伊織が作戦の要であると気付いたうえでの行動だろう。
少なくとも津田伊織が殺されることはないが、時間がかかっているのは致命的とも言えた。
津田伊織自身も喰魔を宿している関係で一発で絶命させる手段でもないと殺されることはない。
そうでなければ喰魔が顕現する。それは避けたいところである。
とは言え、紗奈には我慢の限界が来たのか空気を振るわせ振り返る。
「私が行く」
それが合流を意味するのか、身代わりになりに行くのか、明確なところは分かりかねるが、確実に悪手であることは間違いないだろう。
月宮紗奈と言う人物は、津田伊織と言う要素が関わると周りが見えなくなる、正確に言えば津田伊織以外の損害を計算に入れずにことをなす。
それは【傀糸】も知るところだ。だから、止めなければならない。
幸い、正当な理由が見つかったため、行動が起こされるより前に声を上げる。
「ちょっと待って。手の空いている【鶯】を向かわせたって」
しかし、紗奈が信用を置いて無ければ止まることはない。
だから、直接的に津田伊織を介した発言をしなければならない。
「だから、今向かうより。こっちに向かってくる伊織さんを待っていた方がすぐに会える」
それは機動性での話だ。
勿論、紗奈も出来るだけ早く向かえば両者がかち合うのは早まる。
しかし、だ。
それでは、落ち着いて過ごす時間が損なわれる。
魔法を応用したスピードにおいては伊織の方が早い。
それらのデメリットを取っ払った場合その限りではないが、作戦前に消耗などしてられない。
だから途中で合流して、紗奈のスピードに合わせて移動してここに来るよりも待った方が良いと言っているわけだ。
それに、作戦上仕方なかったとは言え、全国各地にバラバラに配置されていた二人は昨日から会えていない。
だから、一緒にゆっくりしたいはずだ。
そんなふざけた理論展開で押し切ろうとする。
「わかった」
そして、それが結んだことを肯定するようにして彼女は一言呟いた。
「ふう」
止まってくれたことに、一安心して息を吐く。
紗奈と言う人間が暴走すればどんなことになるのかなんてここ数年で良く知っている。
あの紗奈が大人になった紗奈なら今の方がもっとひどいのだろうか。
それとも、あの紗奈は荒れていたからと考えるべきか。
いや、どちらにしても記憶を譲渡しているのだ、それらを踏襲してはいても薄まることはないのだろう。
まあ、とにもかくにもひとまず落ち着いたことに安堵しながら天上を見上げた。
──そして、見上げた空に光が見えた。
雲と雲が重なって、それでも隠れきれなかった空から漏れる光。
漏れた光は血管をわずかに破った血液のように、自らの勢いで穴を広げて地面に落ちた。
「──ッ!?」
光の柱。
あの日も見たそれと同じ。
そう、思う前に、あれが魔素の塊だと察して更に確信を深める。
同時に予想外の声が横から聞こえた。
「どう、して……」
そんな弱弱しく聞こえた声に視線を向ける。
紗奈だ。
見たことのない。
聞いたことのない。
紗奈と言う少女からは到底出るとは思えない声。
いや、出るか出ないかと言えば出るだろう。
でも、到底普段の彼女からは想像できない、そんな声。
彼女も見ているのは同じ光景。
空から、落ちる幾多の柱。
光り輝くその光はまさに神話の光景。
美術の教科書を開けば、どこかに乗っていそうなほどありふれた光景。
わかりやすい神秘。
光の柱が天上を貫く。
神々しいを簡単に現したような。
人が見れば少しカメラを向けてみようか、なんて思うような。
そんな程度の光景。
「───」
しかし、紗奈には違って見えたのだろう。
いや、あの日、あの光の柱によって何かを失った者には、この光景はさながら悪夢の再現。
家族を失い、友人を失い、故郷を失う。
人類に『魔法』と言う新たな力を授けると同時に、日々の営みを奪ったそれは煌々と輝く。
そして、紗奈はその光に大切な人を奪われた。
例え、継承された記憶だろうと、経験は深くまで受け継がれる。
奪われ、取り返そうとして、結局化け物になってしまった。
それでもやっと、時を越え、次元を越えて、取り返した。
それなのに。
まだ、あの光は紗奈を苦しめると言うのだろうか。
光は感情を思い起こさせる。
怒りを悲しみを恐怖を。
その生き方ゆえに、恐怖に震える経験などないに等しい彼女は、唯一で特大のトラウマに、彼を思った。
「数百、数千と言ってなかったか?」
【鶯】は、その惨状を見て、目の前を歩く男にそう指摘する。
それに男は、頭をポリポリを掻くと足を止めずに少し顔を向けるようにして振り向く。
「正確な数はこっちも把握してない。さっきのは予想だ」
「とは言っても、万は軽く超えてるぞ」
よくわからない返答に首をかしげながら【鶯】は空から落ちる光──ではなく、地面に蟻のように群れるモンスターを見る。
先の話では数百数千とこの男はのたまっていたが、今見える範囲でもそんな量では到底収まらない。
数万、数十万、あるいはもっと。
しかし、男は興味がなさそうに話を区切る。
「そんなことは良いだろう。今、俺たちがするべきことはただ一つ」
本当に興味がないのか、男は──昼神タケルは【鶯】を見て言葉を続ける。
「【鴉】の抹殺」
そんな分かり切ったことをこの男は何度も言う。
息をするようにと言えばいいのか、呼吸をする頻度とほぼ変わらずに、息をしているすぐ隣でそれは渦巻いているのだろう。
『人生』という言葉にはそれが伴うように。『生きる』の隣には常にそれがある。
それは、本質を失ったような、目的と手段が入れ替わってしまったような、この男の中には復讐と言うには歪で拙い炎が揺れていた。
光が見えた。
そう、気付いた時に目を見開いていた。
危うくバランスを崩しそうになりながらも俺は目的地への途中でビルの屋上へ着地する。
摩擦によって、戦闘には場違いなスニーカーの底をわずかに削る。
同時に、ほんのわずかの砂埃を浮かせるが、すぐに風にさらわれて霧散する。
「──ありえない」
そう、ありえない。
その光景を見て、真実を知る俺はそう考える。
あの日、空から降り注いだ光の柱は神の干渉によるものだ。
こちらの世界に来た喰魔を追って神々が送り込んできたモンスターや魔石だ。
しかし、その原因たる神はもう興味すらなくしたはずだ。
それは、神々の性格や喰魔石による感覚によってほぼ確定的であった。
奴らなら、ことを起こした瞬間には興味を失うだろうし、喰魔が醜い姿になるのならば変に殺したりせずに、長引かせるだろう。
そして、神特有の存在による、監視は喰魔にとっては不快感を覚えるほどにわかりやすい。
見られている感覚がない以上干渉はないことは明白だ。
無意識に体が震える。
あの日のことが思い出される。
この世界の俺ではなく、他の時代の俺の記憶。
恐怖なのか、それとも憎悪なのか、いずれにしてもあれは不快だ。
握る拳に──無意識に腰の刀に手が伸びていた俺の武器を持つ手に力が入る。
それに、感情面を無視しても問題があった。
「厄介なことになったな」
今現在【Nest】は民間人の救助をしているが、未だ完了していない。
そんな時にモンスターによる襲撃。
さらに、これはあの日のモンスターよりも強さも増している。
「くっそ!」
俺は接近してきたワイバーンと思しきモンスターを難なく切るが、心の内は荒れていた。
あの日と比べても圧倒的に飛行モンスターが多い。
それはビル群をはねて移動できる術者にとっても、民間人にとっても厄介極まりない。
前者は対処できるにしても後者は密集して避難に徹していたら避けるのは難しい。
それに、状況の変化によりモンスターの脅威度も上がっていた。
あの日地球には魔素がほぼなかったのに対して今はこの世界の至る所に魔素が行き渡っている。
人間でいう酸欠状態の様なモンスターでさえ、あの日の惨状をもたらしたのに、弱体化を全く受けていないこいつらは相当の脅威になる。
どうするか。
非難に手を貸すか、喰魔の応戦に行くか。
前者を取れば恐らく少しは民間人が助かることもあるだろうが、喰魔相手に作戦参加者の消耗も考えられる。
それに、あの一帯の非難はとうに済んでいる。
しかし、敵は喰魔だけではない。
相手組織が大々的に出張ってきていな状態でこれだけの損害を受けている。
できれば喰魔を一体でも倒して士気を上げたいところだ。
未だ、作戦は始まってないだろうが、喰魔を囲うようにそれぞれが潜伏している。
それだけで、気を張って消耗も──
『──幹部【鷽】聞こえますか?』
俺の葛藤に割り込むようにして通信が入った。
現在、この街では魔素の濃度による通信障害が起きている場所がある。
そのため、いちいち確認が行われるのだ。緊急であればその限りではないが。
「聞こえている」
一応幹部と言う立場であるため、それっぽく言ってみるがよく考えれば、敬語の方が良かったのではないかと思いいたる。
とは言え、彼方は気にせず対応を続ける。
『そちらでも確認出来ると思いますが、現在、状態不明の高魔素濃度を伴う光源が確認されています』
「見えている。そこからモンスターの出現も確認している」
『でしたら、本部から指令を言い渡します。幹部【鷽】には作戦実行予定地まで向かいながら、他の術師の負担軽減のためのモンスターの出来る限りの相当をお願いします』
「他の幹部をそこに充てることはできないのか?」
答えは分かっているが一応の確認のため聞いてみる。
『現在幹部の中で連絡がつくのがあなただけです。一級の方々も至急向かっていますが今は手が足りていな状態で』
「了解した」
そう言って俺は通信を切る。
幹部に連絡がつかないのは恐らく魔素濃度による問題だろう。
特に喰魔の近くであれば、個人間での通信は難しいが本部との通信は出来たはずだ。それができないとなると先ほど追加で降りて来た光の柱による、さらにまあ素濃度が上がったことが要因だろう。
機器も改良されているが流石に追いつかない。
仕方なく俺はビルから地上に降りるようにして、モンスターを狩っていく。
ビルと言っても高層と言うほどでもない所なので基本は降りないが、邪魔そうな奴らを落下気味に斬る。
ビルを飛び移り、時々地上に降りて斬る。
その繰り返しをしながら進んでいく。
スピードも落ちることなく順調に進んでいく。
順調だ。大幅に遅れることもない。
ただ恐らく、俺がつく前に作戦は始まってしまうだろうことに一抹の不安を覚える。
そして、ちょうどそのころ道に迷い駅で騒いでいた二人も現場に到着する。
「やっと着いた。これってなんて天気だ?晴れくもり?」
「田舎とは違うわね」
感慨深く空を見る二人。
その先には、一面広がる雲に無数の穴が開く光景。
光の柱はとうに姿を隠して痕跡だけが残る空を二人はボケっと眺めた。
『聞こえますか』
そして、二人を我に返したのは耳元からの女性の声だった。
「おっと聞こえてますよ」
「こっちも聞こえてます」
少年──カイが返事をして続くようにして少女──ナヤが答えた。
『でしたら、本部からの指示を伝えます。モンスターを排除しながら、敵組織構成員を見つけ次第無力化をしてください。対応困難だと判断した場合は本部に連絡してください。その場合応援を向かわせますのですぐに応戦しようとせず待機していて下さい』
「「了解」」
二人はそうつぶやいて行動を開始した。




