102話 氷鬼
全身に走る痛みを感じながら霞んだ視界で状況を把握する。
見渡すまでもなくそれはいた。
真っ赤な肌に服のつもりだろうか、魔素で形成された布のようなものが巻かれている。
容姿は恐ろしいほど整っていて、三日月のように割れた口をより、不気味に見せた。
「――ゴホッ」
咳き込み、抑えた手には血がにじんでいる。
「――?」
目の前の鬼は首をかしげる。
かなめが思ってよりも弱かったことに驚いたのか、未だ諦めた表情ではないことに驚いたのか。
だがそんなことを考える暇はなく鬼は手に黒く鈍い棍棒のようなものを形成し振り上げる。
「――くそ」
魔素の動きを正確に読み取ることはできないかなめだが、目の前で起こったことくらいは流石にわかる。
鬼が武器を振り上げた。
次にする行動は十中八九振り下ろし。
それだけの情報があれば逃げるという判断くらいはできる。
かなめは痛む体に鞭を打ち咄嗟にその場から転がるように離れる。
瞬間、轟音と共に背中に強風を受け更に吹っ飛ばされる。
「――ッ」
何とか手をつきそのまま半ば前傾姿勢のような形で前に進む。
前へ。前へ。前へ。
とにかく前へ走る。
あれが何かは分からないが勝てる相手じゃない。
とにかく逃げ――
転んだ。
特に何かあったわけでもない。石につまずいたわけでも、鬼が何か投げてきてそれが当たって転んだわけでも。
ただ転んだのだった。
そんなバカなことがあってたまるかと、自分を呪おうとしたとき、ふと気づく。
敵意がない。
殺そうとしてくる相手からは普通感じられるはずだ。
敵意は相手に害を与えようとした場合必ず発生するはずだ。
たとえ、鬼が獲物だと思っていても餌だと思っていてもそれは変わらない。
だからこれは、起こるはずのないことだ。
棍棒が振り下ろされる。
よく見ればひどい出来であった。
きれいな平面の部分などなく、幼稚園児が作った粘土細工と言われた方が納得できるほどに。
きっと自分の命を刈り取る死神もひどく不格好で子供の書いた落書きのような見た目でもしているのだろう。
だが、そんなものに殺されてしまう自分は笑うことすらもできない。
「はぁああああ!!」
そんな思考をかき消すように声が聞こえた瞬間、それはわずかに角度を変え、かなめの真横すれすれに落ちてきた。
かなめは無意識の内、目を見開く。
それは自身が助かったことにではなく、そこに見知った男がいたからだ。
「――ッ、アラキ……」
「おいおい、助けた俺じゃなくて、アラキかよ」
そうぼやいたのはタケルだ。
だが、彼がぼやくのも当然と言えた。
命はって、軌道を変えたのはタケルだったのにもかかわらずかなめが出した名前はアラキのものだったのだ。
だが、それほどまでにかなめは驚愕していたのだ。
タケルはともかくアラキがこういうことにかかわっているのを知らなかったのだ、
単なる同級生だと思っていたアラキが術師だったのなら驚くのも仕方ないと言えた。
実際のところ術師とは断言はできなかったのだが。
「助かったよ、タケル義兄さん」
そういって、顔をそらしアラキの方を見るとなぜかバツの悪いような顔をして、口を開く。
「かなめは後ろに下がっててくれ、原因は俺なんだ、今更かもしれないけど巻き込むわけにはいかねぇ」
そこで、かなめは先ほどの表情に合点がいった。
アラキは自身が原因でかなめが襲われてしまったことに負い目を感じていたのだ。
「わかった」
そういって、かなめは後ろに下がる。
今の戦闘で自分には手に負えないと身にしみて感じていたのだ。
「今更だが、緊急事態だ。俺が介入してもいいか?」
「そりゃもちろん」
タケルの問いにアラキが答える。
アラキとしては儀式をするなら死ぬ覚悟で戦うと決めていたが、そうでもないのならまず勝てる相手ではないのだから喜んで受け入れるのが自然であった。
二人とも構えの姿勢をとる。
そして二人が足を踏み込んだ瞬間。
鬼が凍った。
「「は?」」
二人の声が重なる。
そこでかなめはこれが二人の仕業ではないと気付くことになる。
「いや、気合い入れてるとこ悪いね」
声の主はどこからともなく冷気とともに現れた。
見た目は高校生くらいだろうか。かなめと同じくらいかそれより上。
「アンタ誰だ?何しに来た?」
誰よりも先にタケルが口を開いた。
少年はこちらを見る。
そこで初めて月明かりに照らされて目が見える。
それは、様々なものを目にして絶望し、それでいて未だ希望を見ている目、そんな印象を持った。
「【巣】に属しているものなら知っていると思ったけど、まぁいいか、僕は幹部【鸛】、用件は……そうだな、昼神かなめを殺しに来た」
何の敵意を抱かず目の前の少年はそういった。




