第95話 最後の一人
私に『氷塊』の魔法を教えてくれた少女。
私に『サウナ・クラーター』の使い方を教えてくれた少女。
そして……いなくなった少女。
現状を耐え忍ぶダンゴムシよりも、自ら打破しようと動くワラジムシを望んで、私たちの元から去っていった少女。
その彼女が今、私の前に立っている。
「焚火ちゃん、生きていたの……!?」
「そっちこそ。随分と様変わりしたようだけど? 左腕まで揃ってるなんて」
「こ、これは……えっと、どこから話せばいいのか……」
「別に話さなくていい。タッキたちは既にそういう仲じゃない」
「え……」
焚火ちゃんはニカワが入った空き瓶を私へと見せつける。
「『ワースト・ケース』。タッキの生み出す瓶は、相手を吸い込んで閉じ込める。あの寒空の下での日々でプレーン能力に目覚めていたのはラキュア、あなただけじゃない。この能力があったからこそタッキはワラジムシになる決意ができた。人殺しの依頼だって簡単に達成できる。子犬殺しならもっと簡単に」
「ま、待ってよ! その子は、ニカワは私の大切な友達なの! だから──」
「だから殺すなと? それはまた随分と悠長な。タッキがまだ手を下していないと思っているらしい」
「……!?」
ニカワは瓶の中でぐったりとしていた。それにこんな目に合いながらも一向に吠える素振りを見せない。
その理由は、空き瓶の上の方にあった。
──瓶の蓋が閉じている!
「もう何時間が経ったのか。さすがに息苦しそう」
「や、やめて! やめてよ!」
「最初に閉じ込めれば、後は手を出さなくても勝手に死んでいく。タッキの心は痛まない」
「焚火ちゃん!!」
「言ったはず、ラキュア。もうタッキたちは友達でも何でもない。焚火なんて名前は当の昔に捨て去った」
焚火ちゃんがポケットからくしゃくしゃの紙を取り出す。
それはギルド・カートリッジから依頼を受諾した時の書類だった。
「今の名前はタッキ・ファイア。焚火の時代を知る人はもうあなたしかいない」
「私しか……!?」
焚火ちゃんはわざとらしく強調して、そう言い切った。
ストライクとか子供たちとか、自分と面識のある人はもういないのだと、そう主張しているように聞こえた。
なぜそんな主張ができる?
一体どこでそんな情報が手に入る?
あそこは昨日の今日で情報が世の中に知れ渡るような場所ではない。
頻繁に人が行き来しているわけではないし、世の中の大人たちが強く関心を持っているわけでもない。
それこそ私のように、その場にいたりしない限り……。
『ハクリリちゃん、ファイアの奴はどうした? 』
『帰ったよ。もう自分の仕事は終わったってさ。ほら、あそこ。ストライクが死んでる』
……え?
ファイア……タッキ・ファイア?
『心配いらねぇよ、今回は頼れる助っ人がいるんだ。それもとびきり相性が良い助っ人が。なぁ、ハクリリちゃん?』
『そうそう、あいつの弱点を知っていて、完璧に封じ込められる助っ人だよ』
焚火ちゃんならストライクの弱点が子供たちだと知っているし、完璧に封じ込められるプレーン能力も持っている。
……嘘だよね?
「焚火ちゃん、ストライクを……殺したの?」
「殺した? タッキが? ふふっ、まさか」
そう言って彼女が私に向けた顔はとても穏やかで──
「タッキは閉じ込めただけ。あいつが勝手に自殺したんだ。目の前で死んでいく子供たちから目を背けて」
──とても惨かった。
「分かった? もうタッキは焚火じゃない。あなたたちダンゴムシとは違う世界で生きている」
「嘘だ……」
「ワラジムシは生きるために、脱皮した仲間の皮を奪い取って食い尽くす。脱皮直後の仲間だって食い尽くす。これがタッキの目指した世界だ! この世の底で丸まってる奴らなんかには永遠に理解できない! “生きる”ってことなんだ!」
「そんなの嘘だあああああああああああっ!!」
もう分からない。
私には何も分からない。
焚火ちゃんは……タッキは……!
私の心は!
「……キュゥン」
暗闇に染まっていく思考の中で、小さな小さな声を聞く。
「ニ、カ、ワ……」
本能が告げる。
腕を伸ばせ。口を動かせ。
絶望の崖っぷちに指が一本でも引っかかっているなら……諦めるな。
ニカワと一緒に幸せになる未来を諦めるなっ!
「『氷塊』」
「っ!」
その一声で焚火ちゃんには、いやタッキには伝わった。
いつのまにか私は選べるようになってしまったのだ。自らの意思で殺し合いの領域へと入り込むことを!
「変わったのはあなたも一緒か……『ワースト・ケース』!」
タッキの右手から飛び出した空き瓶が氷塊へと向かう。
次の瞬間、氷塊はグニャリと押しつぶされたように変形し、瓶の中へと吸い込まれていく。
そして瓶の中身が氷でぎゅうぎゅうになると、自動で蓋が生成され、完全に密閉されてしまった。
「懐かしい。タッキの魔法をまだ覚えていたとは。でも今のタッキをそんな氷程度で震え上がらせることはできない」
「そんなのやってみなきゃ分からない! 『氷塊』!」
「分からないなら、あなたは勝てない」
「『氷塊』! 『氷塊』! うああああっ! 『氷塊』!」
私の放った氷塊は全て瓶に詰め込まれ、呆気なく地面に落下していく。
ただし普通の瓶とは違い、地面と衝突しても割れたりはしない。
その耐久性はまさしく、人を閉じ込めるための牢だった。
「いつまで繰り返す? タッキの方はプレーン能力、ラキュアの魔力と違って底が無い。そんな呑気にしている間に大事なお友達が死んじゃうよ?」
「っ! このおおおおおっ! 『氷塊』!」
今度は『サウナ・クラーター』を発動し、氷塊を空中で分離。内部から数本の槍を射出させる。
だが、これも無駄だった。
いくら時間差で槍を放とうと、タッキには通じない。全ての氷が瓶の中へと閉じ込められてしまう。
「ハァ……ハァ……ぐっ!」
「足が震えてる、ラキュア。もう限界?」
「う、うるさい……黙れ……!」
「ストライクも似たような感じだった。大切な人たちが目の前で死んでいくのに、自分は何もできずに、ただ眺めていることしかできない。そうやって最後は目を背けて死んでいった」
「黙れえええええっ!! 『氷塊』!」
「っ!? どこに撃っ──!?」
天井に向けて放った氷塊を『サウナ・クラーター』で全て溶かす。
氷塊は水の球体となり、天井に命中して絨毯のように横長に広がり、降り注ぐ。
「なるほど、あの水の中に熱源を。だが、無駄なこと。『ワースト・ケース』!」
タッキの向けた瓶が、水の端っこを吸い始める。
あの自信を見る限り、たとえ広範囲に広がろうと、液体のように形の不確定な物質であっても、氷と同じように全て吸い込めるというのだろうか。
──残念ながら、それを検証する機会を与えてはやれない。
「水は氷に戻る」
「なにっ!?」
タッキの瓶が水を吸い始めた瞬間、『サウナ・クラーター』を解除した。
私が与えた熱は失われ、水が氷に戻る。
たったそれだけだ。“そいつ”が瓶に吸い込まれるのは変わらない。
ただし、水は氷と違って腕を容易に突っ込める。そして氷は水と違って突っ込んだ腕を容易には引き抜けない。
つまり……!
「ありがとう、タッキ。おかげでここまで来れた」
「ラキュア!?」
『ワースト・ケース』が物質を瓶に閉じ込める際の、その吸引力を利用させてもらった。
私の腕を突っ込んだ氷を吸い込めば、必然的に私は近づける。
この距離から外さない……私の氷の方が早い!
「『氷塊』!」
ズガッ!!
──何が起こったのか分からなかった。
氷塊はタッキの頭部から数センチずれた位置を通過した。
私の体は一瞬でタッキから離れていき、背中に大きな衝撃が走る。
そのまま砕け散った木材や綿埃と一緒に床に落下していった。
「げ、げぼっ……!」
「どう、ラキュア? タッキのプレーン能力は? それとも、もう一回味わってみる?」
「うあっ!?」
強い力で腕が引っ張られる。
そして、タッキに近づいたところでまた──!
「ぐがっ!!」
──吹き飛ばされ、衝撃をくらう!
「くっ……!」
二度目の体験を経て、ようやく私は理解する。
タッキが『ワースト・ケース』を解除した瞬間、直前まで吸い込んでいた氷が一転、外側へと放出されたのだ。。
私の体はそのまま氷に引っ張られ、天井へと打ち付けられた。二度目は壁だ。
「あれ、解除しちゃった?」
「あ、当たり前……でしょ……!」
三度目の衝突を味わわされる前に、私はたまらず自分の腕を固定していた氷を解除する。
だがタッキは余裕を崩さない。
「うぐぇっ!?」
甘かった。氷を解除したところで、私は既に助かっていなかった。
タッキは私を壁に打ち付けただけではなく、他の瓶が転がっている場所へと移動させていたのだ。
そして、そこの瓶には角材が内包されていて、解放と共に私の鳩尾を突き上げた。
「終わりだ、ラキュア」
「────っ!」
私は碌に言葉を発することもできず、ただタッキの接近を許すだけだった。
私の方に向けられた瓶の口が開く。
何とも不快な浮遊感と共に、私の視界が瓶の口で埋め尽くされる。
「『ワースト・ケース』……タッキの勝ちだ」
「う……あ……!」
勝敗は決した。
約束されたのだ……私の攻撃が全て無力化されるということが……!




