第92話 騙り
「おい、あんた……大丈夫か?」
「っ……!」
誰かが私の顔を覗き込んでいた。
ここは馬車の中で、彼はその御者。そして私は眠っていたということか。
「あんたを乗せた病院まで戻ってきた。ここでいいんだよな?」
「そんなこと言ったの……」
「おいおい、あんたが言い出したんぞ!」
「……あ、うん。そうよ、私が言った」
深い眠りについていたようで頭がはっきりしないが、だんだんと思い出してきた。
あの後、私はストライクの亡骸を泥の中に埋めて、あの場所を去った。
そうして歩いていたら、あの御者と出くわした。
包帯を取った私とは初対面だったが、服装で私だと気づくと、すぐに声をかけてきた。
何ともお人好しなことに、彼はあれだけ土砂崩れの危険を訴えていたにも関わらず、私のことが心配で残っていたと言う。
それで私は彼の厚意──その裏に悪意があっても別に構わなかったが──ここまで戻ってきたのだ。
「あの……お金」
「いらねぇよ。目的地まであんたを運ぶことはできなかったわけだしな」
「……なら、口止め料」
「あ? 口止め?」
私と会ったこと。あの土砂崩れの場に居合わせたこと。それらの出来事を全て忘れるように私は迫った。
別に裏切っても私は気にしない。
困るのは私ではなく、余計なトラブルに巻き込まれる御者の方だ。
「……分かったよ、あんた何か不気味だしな。あの大雨の中、飛び出して……なんだって服がもう乾いてるんだ?」
「それも含めて忘れることよ」
「あ、あぁ……」
不気味か。その感覚は正しい。
私はもう潔白な人間ではないのだから。
病院に戻った私を待ち受けていたのは医者からのお小言だった。
勝手に病院を抜け出し、勝手に包帯を取り、さらに新たな怪我を作って帰ってきたとなれば、怒るのは当然だ。
やがてペッグが病院に到着すると、お小言の担当は彼に引き継がれた。
「で、ラキュア。そなたは隠れていたと……?」
「そう」
病院内にミューシー、セパ、ハクリリという私を知る顔ぶれが揃っていたのは事実。
私が命の危機を感じて逃げ隠れしたとしても、不思議ではない。
病院の外に出たのは、そっちの方が隠れ場所を探しやすいからだ、と私は説明した。
「やれやれ、分かりましたよ。これからは主治医に説明することですな。尤も、その顔ならもうバレることは無いでしょうが」
「…………」
「ともかく、今日はその新しい傷の治療に専念することです。院内に泊めてもらえるように話はつけておきました。明日になったら長老の島へ向かいますよ」
「長老の……?」
「えぇ、頼んでいた義手ができあがったとのことです」
「ニカワは?」
「遺産相続の日までは連れてくるな、とのことです。長老も御病気ですからな、衛生面で神経質になるのは仕方ありません。なに、元気にしていますよ。エサもちゃんと食べていますしな」
「それならいいけど……」
この顔でニカワに会うのはまだ先か……。
「ではまた明日」
ペッグはそう言って帰っていった。
病院の夜は早く、私は疲れていたこともあってすぐに眠りへと落ちた。
幸いなことに夢の中に彼らの死体が出てくることはなかった。
翌朝。私たちは感覚的には二度目となる長老の館へ向かった。
「まぁ、ウルシ……ラキュアさんですの!?」
「ほう、随分とそれらしくはなったな」
驚くエフィと、静かに私と写真を見比べる長老。
あの写真は昔の私か、あるいは母のものだろう。
「いかがでしょうか、長老?」
「うむ、ウルシア・グルーを名乗っても違和感は無いだろう。ペッグよ、そなたの働きは見事であった。……土礫精よ、義手を」
「かしこまりました」
土礫精の手の内にある物を見てぎょっとする。
切り取られた左腕だと錯覚するほどに、確かにそれは超一流の品物だった。
当然、私のためだけに作られた一点もの。それは私の左腕にピッタリとはまり、伸ばした長さも右手と同じだった。
「うっ……」
「ラキュアさん?」
「だ、大丈夫……」
魔力で動かす義手というだけあって、少しだけ違和感があった。
例えるなら水滴が少しずつ垂れていくような感覚。
回復する方が早いので枯渇するような事態にはならないだろうが、どうも体に隙間が空いたような感じがして気になる。
「ラキュア様。人体の自然な動作を再現するため、自動的に魔力を使用する仕組みとなっております」
「ラキュア様。意図的に動かさないよう努めることで、魔力の放出は停止されます」
「う、うん……」
土礫精が操作説明書──彼らの頭の中に記憶されているだけで実物は無い──を読み上げる。
やはり本物の腕とは違い、ちゃんと頭で考えて使うという過程を踏む必要があるようだ。
長老から特訓するように言われ、土礫精と共に部屋を出る。
しばらくの間は日常的な動作を試してみることになった。
歩いたり走ったり、階段を上り下りしたり、扉や窓を開けたり、あるいは腕を組んだり背中を掻いてみたりと、本当に色々だ。
「ラキュア様、いかがですか?」
「だんだんと慣れてきた気がする」
まだ違和感はあるが、自分の思い通りに動くようにはなってきた。
このあたりの馴染みやすさも一流品ゆえか。
「では我々は業務に戻ります」
「うん」
基本的な指導は終わり、土礫精も離れていく。
私は一度客室に戻り、そこにある大きな鏡に自分の姿を映してみることにした。
「これが……私……」
この姿になって初めて自分の姿と向き合う。
ストライクの所にはこれほどの大きな鏡は無かったが、それでも自分の姿が大きく変わったことは分かる。
焼け爛れた傷だらけの皮膚はすっかり修復され、汚れの無い髪の下に綺麗な顔が浮かんでいる。
そして、この四年間ずっと空振りだった右手の動きは、今はしっかりと左腕にぶつかる。
「これで私は……遺産を……」
貰える。
「何のために?」
もうストライクはいない。彼が守ってきた子供たちも。みんなの居場所も無い。
私は一体、何のために遺産を貰うのだろう。
取り戻したなんて感想は微塵も湧かない、この作り替えられた私を見つめながら、私は葛藤する。
「長老……」
残っているのは長老の思いだけだ。
彼は私に遺産を継がせたがっている。そのために私は遺産を貰う。
……そうなのか?
彼が私の幸せを願って、毎日を必死で生きて、そうして託した遺産は……本当に私を幸せにしてくれるのか?
既に遺産の意義を見失ってしまった、こんな私を……!
「……ううっ」
頭がぐらぐらする。
心が迷宮に入り込んでいるのが分かる。
このままでは駄目だ。
「温もりが……欲しい」
私はふらふらとした足取りで客室を出て、真っすぐに長老の部屋へと向かった。
「ラキュアさん、魔法の扱いが上手なんですのね」
「ゴホッ! ゴホッ!」
扉はわずかに開いていて、中からエフィの声と長老の咳が聞こえてきた。
一度、部屋を離れたエフィが治療のために再び呼ばれ、その際に扉を完全に閉めていなかったようだ。
「義手の扱いも大丈夫そうで、安心ですの」
「ふん、お前は何も分かっておらん。あの娘ならそれくらいはやってのけるわ」
「あらあら、お孫さんのこと信頼しているんですのね」
「はっ! 笑わせるな!」
長老が声を張り上げる。
「肥溜めの最下層に沈んだ乞食がこんな機会を逃がすわけがなかろう! 全身全霊でウルシアを騙るに決まっておるわ!」
…………え?




