第81話 寒空の下で
それは曇り空の中に雪を見る、ある寒い日の出来事。
私は馬車の荷台で眠っていた。大好きな母の膝に頭を乗せながら眠っていた。
母もまた眠っていた。
父もまた眠っていた。
全てが始まる、いや終わるその瞬間まで眠っていた。
ずっとずっとずっとずっと眠っていた。
眠らされていた。
「───ウルシア……」
母の声に私は意識を取り戻す。
ぼんやりとした目に移ったのは、一人の男が母の髪をわしづかみにしている姿だった。
アドヒース。私の叔父が何度も母の頭を前後に揺すっていて、その度にガツンガツンと聞いたことのない音が響いていた。
「馬鹿な兄貴だぜ、殺したらそれで終わりだと思ってやがる。俺が拾ってなけりゃあ大損してるぜ。まったくお金の価値ってモンが分かってねぇ。そんな馬鹿に遺産が渡されるなんて本当、笑っちまうよなァァァー」
そう言って叔父は母の指輪や宝石、ネックレスを奪い取っていく。ときおり宝石に息を吹きかけ、母の服で拭きながら自分のポケットにしまっていく。
母の頭の後ろからは赤い物が流れ出ていた。
私が転んで膝を擦りむく時とは比べ物にならないくらいの量だった。
「じゃあな、シエラ。諸悪の根源は兄貴とミューシーだ、幽霊なんて信じちゃあいねぇが、化けて出られるようになったら呪い殺してくれよなァァァー」
叔父は立ち上がると、私の方を一度も見ること無く、遠くに倒れていたもう一人の男の顔を跨いで立ち去っていった。
……父だった。
母と同じように赤い物が流れ出ていた。
「う……あ……あああ……」
私は泣いた。
次第に意識がハッキリしてきて、体中を痺れさせていた何かの効果が薄れてきても、ただひたすらに泣き続けた。
私に許されたのはそれだけだった。
両親の元に駆け寄ることはできなかった。
なぜならバラバラになった馬車の破片が私の左腕を地面に押さえつけていたから。
そのうち夜が来て、両親の姿が闇に飲まれて見えなくなったところで、私の涙が底を尽きた。
次にやってきたのは寒さだった。
凍える空気が容赦なく私の体温を奪っていった。
「さむ……い……」
寒い。寒い。寒い。寒い。
温もりを求めて手を伸ばしても虚空の先には誰もいない。
闇の中で私は一人ぼっち。
いつまでもいつまでも。
「グルルル……!」
──否、私の孤独はすぐに解消されることになった。
ただし私が掴んだのは神様の救いの手ではなく、研ぎ澄まされた死神のカマ。
獰猛な獣たちが唸り声を上げながらじりじりと近寄ってきていた。
彼らが何の生き物なのかは分からなった。
閉じかけた瞼を懸命に開いたところで、暗闇の向こう側を見通せはしないのだから。
やがて彼らが食事を始めたところで、やはり何を食べているのかは分からなった。
ガブリ、ゴキン、ブチン、グチャリ、ピチャリ、──。
二か所から聞こえてきた音は最初は硬く、徐々に水音に変わっていき、そして止まった。
それは決して彼らの食事が終わったというわけではなく、ただ単にお皿の上が空になっただけ。
見えなくても足音で分かった。
彼らの腹はお代わりを求め、この場に残された最後の料理へと近寄ってきていた。
「あ、かっ、ああああ……!」
羽虫のように惨めな有様だった。
か細い声も懸命に揺らす手足も無意味で無力。
周囲を不快にするだけの、引っぱたかれてぺしゃんこにされるのを待つだけの、もはや抵抗とも呼べない単なる“動き”でしかなかった。
「ガァウ!!」
唯一、動きを封じられていた私の左腕に、爪なのか牙なのか分からない鋭利な何かが直撃した。
──悲鳴は上げなかった。
「あ……たたかい」
暖かい。
凍えて麻痺していた体は全く痛みを感じることはなく、それどころか私は噴き出した血液の熱さに安らぎすら感じていた。
そこにあったのは温もり。
その時の私が一番に欲していたものだった。
「もっと……欲しい……!」
私の体が、脳が、命が……覚醒していく。
もっと……欲しがってもいいよね?
だってこれは夢の中なのだから。
こんな温かくて満たされるものが地獄に存在するはずがない。
だからきっとこれは夢なんだ。
地獄の中心で私がみているつまらない夢。
夢の中なら……何だってできる!
ゴォッ!
馬車の残骸が突如として燃え上がった。
眩い光の中で、熊のような巨体な影たちが叫びながら逃げていく。
同時に私の体がじんわりと感覚を取り戻していく。
「何これ……私がやっているの?」
頭では説明できないが、その能力が何なのかは本能的に理解していた。
私の指先から放たれた熱源が木材の内部へ潜り込み発熱。木材に含まれる水分を全て蒸発させた。
極限にまで乾燥させた木材に、さらなる超高温を加えて発火。
同様に乾燥させた周囲の木々や葉っぱへと燃え広がっていく。
後に『サウナ・クラーター』と名付ける私のプレーン能力が目覚めた瞬間だった。
「……ううっ」
限界の時は早かった。
炎の勢いが良かったのは最初の方だけで、私の全身から力が抜けていくと同時に、徐々に暗闇の世界が戻ってきた。
度重なる疲労。そして左腕を失ったことによる体への負担。
それと私の目に映った獣たちの影。巨大な二匹の影に守られるように一緒になって逃げていく、小柄な一匹の影。
「うう……あああっ!」
どうして?
どうして私の方には二人がいないの……!?
「私だって一緒に……ずっと一緒に……ううううっ!」
火が消える。
「うわああああああああああああああっ!!」
私を包んでくれる温もりは、もうどこにもない。
今度こそ私は独りぼっちだ。
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X月X日。
シエラ・グルー、バーニス・グルー、ウルシア・グルー。計三名の乗った馬車が崖から転落した。
崖下で発生した火災によって事故の痕跡がほとんど焼失しており、野生動物が現場を荒らしまわったこともあって事故の真相究明は不可能と判断され、捜査は打ち切りとなった。
三名は行方不明であるが、現場に残された身体の一部から生存は絶望的とされている。
「火災か。お前、何かやらかしたんじゃあないだろうな?」
「馬鹿言うなよ、ジャン。俺が駆け付けた時にはもう燃えてたぜ」
二人の男性の話し声が聞こえた。
そのうち一人は新聞を捲っているようだった。
「たぶんあの子だ。あの子が気を失った瞬間、火は消えた。俺の魔法と同じだ」
「はっはっ、何が同じなものか! 武器しか燃やせんお前の方が下だろうが、ストライク!」
彼らが何を言っているのか分からない。
全身がぼうっとして感覚が鈍い。
あの時と同じだ。目が覚めたら両親が殺されていた、あの時と。
「お……おお!? 気づいた!? 気づいたのか!? おいジャン、気づいたぞ!」
「分かった分かった。少しは落ち着けストライク。まったく、かわいそうにな」
「あぁ、こんな酷い目に合って……あと一つでも何か違ったら生き残れなかっただろうぜ!」
「やれやれ、お前はそう解釈するんだな。わしに言わせれば、この子は死ねなかったんだ。まったく、かわいそうで仕方がないわい」
「はっ! それが医者の発言かよ! いいじゃねぇかよ、人を助けるってのが人ってもんだ!」
白髪交じりの医者と、黒髪のさわやかな青年。
彼らに見下ろされる格好で私は蘇った。




