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失声のスティープル  作者: 青山風音
第3章 真髄~Evolve Essence~
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第73話 視る

 ラキュアが悪夢の中にいるというなら、私はいつ彼女の悪夢に入り込んでしまったのか。

 自分の心臓がバクバクと激しく脈動しているのが分かる。

 それが彼女の左肩から噴出する血潮の激しさと連動しているかのような錯覚に陥り、気づけばあたしは呼吸をするのもやっとの状態になっていた。


「ハァ……ハァ……『鱗鎧魚襲スクァーマ・バジャック』、食いちぎったのは片方だけか」


 バジャックと呼ばれた魚が地面から飛び跳ね、シェイクと共にラキュアを睨みつける。

 その数は二匹。


「それにこの氷……まだ意識があるようだな! クソが、さっさと死にやがれぇっ!」


 シェイクは未だに自身の両足が氷に包まれていることに苛立ちながら言う。

 その声に応えるように、二匹のバジャックが再び地面へと潜り込んだ。


「す、すぐに助けるんですの! 『ピックニック・パッド』!」

「邪魔するんじゃねぇ!!」


 エフィの包帯がラキュアの元へ伸びるが、地面から飛び上がった魚──バジャック──が容易く食いちぎった。


「駄目ですの! ここからじゃ距離が遠すぎるんですの!」

「だからって近づいちゃ駄目だよ、エフィ。泥の上を歩けばあいつは真っ先に君から狙う」

「だったらこのままラキュアさんが死んでいくのを見ていろっていうんですの!?」


 半狂乱のエフィをシザースが必死に抑える。

 彼らが言うように、シェイクはラキュアにトドメを刺すことを優先するだろう。

 今度は二匹、バジャックを差し向けて……だ。


 ──あたしはどうすればいい?


 今なら安全にシザースのところまで行ける。

 それでバジャックの脅威からは逃れられる……が、その代償として満身創痍のラキュアに背を向けることになる。

 きっとあたしの心はそれを“見捨てた”と思うだろう。


 ならラキュアの方へ行くのか?

 移動するスピードはバジャックの方が上だ。それだけは絶対だと確信する。

 間に合う道理は無い。

 しかもバジャックと渡り合う目途も立っていない。

 ラキュアが殺される瞬間を今よりも近い位置で見せられ、ショックを受けたまま自分も殺される。そんな結末になるだろう。


「ぐっ……!」


 この二択、あたしに選べるのか……!?

 いや、選ばなければ……今すぐに選ばなければ!




「大丈夫」


 ……それは澄みきった水のように透明で、静かな口調だった。


「血が流れてるなら、それは悪夢の中。どれほど恐ろしい境遇が待ち受けていようとも、夢の中なら何も恐れずに済む」


 あたしも、シザースも、エフィも。

 喧噪の真っ只中にいたあたしたちの心に、その言葉が染み込んでいく。

 最も多くの血を流し、最も死に近づいているというのに、ラキュアはこの中の誰よりも落ち着き払っていた。


「だから大丈夫」


 そして飛びかかってきたバジャックを軽やかに、あまりにも軽やかにかわしてみせる。

 一瞬の静寂。誰もが呆気に取られているのだと分かった。


「た、たまたまだ! バジャック、もう一度やれぇっ!」


 真っ先に荒げる声を取り戻したシェイクが攻撃を再開する。

 ……だが結果は同じ。ラキュアはひらひらと素早い身のこなしでバジャックの突進をかわしていく。


「な、なんでだ!? さっきは当たったのに!」

「さっきは本調子じゃなかったから。『氷塊(アイスロック)』!」

「ううっ!?」


 放たれた氷が空中で融解し、シェイクの右肩を包み込んだところで氷に戻る。


「そ、そんな馬鹿な! 調子の良し悪しで片付けられる問題か!? いきなり腕一本を無くしたってのに、まともに立ってられるわけが……!」

「別に初めての経験じゃない。左腕なら前も失った。立ち方くらい分かってる。『氷塊(アイスロック)』!」

「うおおおおっ! やめろぉっ!」


 さらに二度、三度とラキュアは魔法を唱える。

 シェイクの左肩、左腕、腹。徐々に全身が氷に埋め込まれていく。


「ラキュアよ! それ以上は危険です! 氷を維持するのにも魔力を消費するのですぞ!」

「っ! あ、『氷塊(アイスロック)』! うるさい……って言ったのに……『氷塊(アイスロック)』!」


 ペッグが言うように、ラキュアの動きは徐々に鈍り始めた。

 全身から大粒の汗を垂らし、息づかいも荒々しくなってきている。

 だが彼女はひたすらに魔法を唱え続ける。


「スティープル……こいつは私が止める……から、こっちに来なくて大丈夫」

「ラキュア……」

「は、早く逃げて……『氷塊(アイスロック)』」


 ラキュアは必死だ。でもその頭の中は冷静なままだ。

 だって彼女の魔法は、まだ氷に覆われていない部分だけを狙っているから。

 こんな状況でも彼女はしっかりと“視て”いる。


「バ、バジャック! 早く殺せ……! 俺の足が……もう間隔が……無くなって……!」

「『氷塊(アイスロック)』……こ、このまま使い物にならなくしてやるから。そうしたらスティープルも逃げられる……『氷塊(アイスロック)』!」

「す、『鱗鎧榴弾(スクァーマ・ニッス)』!」

「うっ……!」


 シェイクの鎧の一部が分離し、ラキュアに向かって射出される。

 第三の奇襲をラキュアは何とかかわすが、バランスを崩した右脚をバジャックの牙が切り裂いた。


「まだこんな魔法を……あ、『氷塊(アイスロック)』」

「ううっ! も、戻れ! 早く戻れぇっ!」


 ラキュアは鎧の剥がれた跡を狙う。

 だが射出された鎧はすぐにシェイクの体へと戻っていき、ジグソーパズルのようにピッタリとはめ込まれる。


「お、惜しかったな。だが俺は一撃……加えたぞ! 有利なのは俺の方だ! バジャック!」

「ぐっ! うううっ!」


 脚を負傷したラキュアの体に、徐々にではあるがバジャックの牙が命中し始める。

 目では捉えているが体は追いついていけない。

 彼女の限界はそこまで来ていた。


「す、スティープル……早く!」

「ラキュア……分かった。絶対に無駄にはしないよ!」


 そして、あたしは……シザースの方へと向かった。


「うん、それでいいの」


 その言葉を聞いたのは、きっとあたしの背中だけだ。




「スーちゃん!」

「スティープル嬢……」


 エフィとペッグがあたしを迎える。

 安堵と悲しみ。いずれも感じてはいるが、前面に出せずに苦悩している。そんな複雑な表情に思えた。

 ただ、少なくともあたしを咎めるような表情ではなかった。

 なにせ全員が目の当たりにしたのだ。あたしがラキュアを見捨てたわけではなく、ラキュアがあたしを守ったという真実を。


「いいよね、エフィ? 探偵さんも」

「…………」


 シザースが二人へと問う。

 ラキュアを置いて逃げる、彼の言葉に隠された残酷な意図は無言で受け入れられていた。

 ここで反対する人などいないだろう。

 反対すればラキュアを否定することになる。

 彼女はあたしを守り、その次にあたし()()を守ろうとしてくれている。

 あたしたちが身を隠し終わるまでシェイクをこの場に押さえつけようとしてくれている。

 このような言い方が合っているかは分からないが、生きることを諦めて、少しでも長く生きようとしてくれている。


「よし、スティープル。どっちに逃げる?」


 『どっち』というのは館の中か外か、という二択のことだろう。

 館の中は隠れる場所が多いだろうが、物音で居場所がバレる危険性もあるし、いざ見つかった時に追い詰められやすい。

 その一方、外は森だ。館と比べると遮蔽物は少なく、見通しが悪いとまでは言わないが、意外と見つかりにくいとは思う。

 バジャックのように泥に身を潜めたり、あるいはエフィの包帯を利用して木に登ったりと、逃げる側が取れる選択肢は多く、何より広い。

 追う側からすると森の方が探すのに体力を要するだろう。


「逃げないよ。シェイクを倒す」


 …………。


「ごめんね。ちょっとみんな話しかけないでくれる?」

「ス、スーちゃん? あの……」

「シザース、ちょっと!」


 そりゃあ、みんなそういう顔になるよな。

 あのね、あたしだってもっと和を乱さないような言い回しをしたいんだよ?

 なのにシザースが質問するから。

 この一秒でも時間が惜しい場面であたしに気を使っていられないのは分かっている。

 でもあたしに質問するということはこうなる危険性を孕むっていうことなんだよ。


「シザース、お願い! 何も聞かずにあたしの指示に従って!」

「あー、そうだねー。聞けば君は喋り、シェイクにも聞かれる」

「そういうことよ、だからお願い!」

「分かった、任せるよ」

「ありがとう」


 そう言ってくれるって信じてた。

 あの凶暴な魚を掻い潜り、あの堅牢な鎧を貫くだなんて、あなたの見てきたスティープルにそんなことができるとはあたし自身も思っていない。

 おまけに、その作戦に勝機があるかも確認できないなんて。

 それでもあたしを信じてくれるのは……チョキ、シザース! あなただけよ!




「シギャ……ハハハ! シギャハハハハハ! 消えた! 氷が消えたぞ!」


 シェイクが高らかに笑う。

 ラキュアは……まだ息はあった。

 魔力が底を付きたために、氷を維持できなくなったのだ。


「ううっぐ、足も無事だ! そのうち感覚が戻ってくるさ! 手こずらせやがってこのガキが! バジャック、食い殺せぇ!」

「シェイク! そうはさせない!」

「……んん?」


 あたしは再び泥の上へと足を踏み入れる。


「な……スティープ──」

「何も聞かないで、ラキュア。あなたのおかげよ。あたしが冷静になれたのも、あいつをちゃんと“視る”ことができたのも」


 そしてナイフの切っ先をその()()()へと向ける。


「せっかくあなたがあの半魚を弱らせて雑魚に変えてくれたというのに、逃げるなんてもったいない! 今なら勝てる! だからあたしは戻ってきたのよ!」


 さぁ、行こう……ここで決着をつけるんだ!

 挑発的な言葉を投げつけ、あたしは走り出す!


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