第72話 血が流れてる
「わざとって……どういうことですの?」
エフィは不思議そうにそう聞いた。
知らないのは当然か、この島では血が流れるような戦闘は今まで無かったという話だ。
それに、そんな奇妙な癖があるなんて普通は思わない。
「血が流れてる」
ラキュアは静かにそう呟き、身を起こす。
「血が流れてるなら頑張れる……私は悪夢の中にいるんだもの」
自分の体を濡らす血をじっと見つめる彼女の姿は、普段とは似ても似つかない冷静さに溢れていた。
船の上では偶然だったけど、今回はやはりわざとだったようだ。
出血。それが彼女にとって一種のスイッチ。
……と、その時だ。ペッグが声を上げた。
「待つのですラキュアよ! いくら自分の心をごまかしても怪我をしていることに変わりはない! それに、そなたは隠したがっていたはずですぞ! スティープル嬢たちの前であれを使うのは危険──」
「うるさい、三流探偵。私はもう決めたんだ」
妙に焦った様子で話すペッグに、ラキュアはピシャリと拒絶の意思を示す。
一体、何の話だろう?
シェイクの方を向いた、すなわち私に背を向けたラキュアの表情はあたしには読み取れない。
ただ、彼女は優しくも力強い口調で言った。
「気にしないで、スティープル。あとは私が何とかするから。いいえ、何とかしないといけないの」
「ラキュア……?」
「ニカワが死んだのは私のせい。私がこんな呪われた人生を選ばなければ巻き込まれることもなかった。だったら……せめてスティープルたちだけは!」
再びラキュアが走り出す。
その堂々とした姿勢をシェイクは鼻で笑った。
「それで? 俺の鎧を突破できる策でも思いついたのか?」
「『氷塊』!」
「はっ! またそれか! いいかげん俺には効かないと──」
「いや、でかいよ」
シザースが言う。その指摘通り、ラキュアの放った氷塊は先程よりも大きく、シェイクの体格に匹敵するまでに膨らんでいた。
「でかいから何だ、押し潰そうってか!? 馬鹿が! これくらい受け止められないとでも思ってんのか!」
シェイクが両手を交差させて構える。
そして氷塊を正面から受け止めたところで──
「夢の中なら何にだってなれる」
「っ!?」
パァン!!
──割れた。
石畳の上に落下したガラスのコップのように、シェイクの腕と接した個所から割れて飛び散っていく。
「何が──」
シェイクは完全に虚を衝かれていた。
強い衝撃に備えようと構えていた全身の筋肉が、肩透かしを食って完全に硬直してしまっていた。
しかもその視界が氷の破片で埋め尽くされていたとなれば、次の攻撃に備えるどころか気づくことすらもできやしない。
「えええええげぇあああああァァァーッ!!」
シェイクの顔面に何本もの氷の槍が突き刺さる。
氷塊はただ割れただけではない。
中心部分の氷だけは割れずに、槍状になって残っていた。
まるで丸太を削って彫像を作るように、外殻にあたる部分だけが破片となって離れたのだ。
「あれがラキュアの隠したがっていたものだねー」
シザースが一冊の紙きれを取り出しながら言う。
「それは……?」
「長老の部屋で見つけた本のページだよ。基本的な魔法が載ってた。ラキュアの『氷塊』のこともね。氷の塊を放出するってだけで、その形を自在に変えるなんて記述はどこにもなかったよー」
「え……! でもラキュアは今──」
「そう、私の氷は思い描く姿へと変わった。魔法だけじゃこうはならない。これは私自身の持つチカラ。失敗したって思ったのよ……船の上であなたたちに能力を見せた時、魔法の範疇を超えているって疑われでもしたら私は……!」
「いでぇ……血が血が……あああっ!」
ラキュアの独白は、シェイクが起き上がったことで遮られた。
血と怒り。二重の意味で真っ赤に染まった顔で彼女を睨みつけ、走り出す。
「ブッ殺してやる! ブッ殺してやるぞぉっ!!」
「でも、もういい。『氷塊』!」
先程より小さい氷。それが頭上ではなく足元へと滑り込むように放たれる。
「また何か出てくるってのかぁ!? もうそんな手は──!」
「何にでもなれる!」
「なっ!? 水!?」
今度は氷ですらなかった。
外側も内側も関係なく、氷が全て水に変わった。
──すなわち“溶けた”。
「そして解除する!」
「ひっ! つ、冷てぇ! な、なんだよこれ! 足が……!」
放たれた氷は水に変わり、シェイクの足を包んだところで再び氷へと戻った。
つまり足を氷の中に埋め込んで、身動きを取れなくさせた。
「氷が溶けたってことは、これは熱ってことでいいのかなー」
「……そう、プレーン能力『サウナ・クラーター』」
シザースの質問をラキュアは肯定する。
魔法で生み出した氷をプレーン能力の熱で溶かして水に変えたということか。
そして能力を解除すると熱が加わる前の凍った状態に戻る。
「クソがぁ! こんなもの砕いてやる!」
「砕かれる前にトドメを刺す……『氷塊』!」
ラキュアの手元で氷塊が徐々に大きくなっていく。
「そこから槍が出るのも熱で……?」
「そう。指先から氷の内部に潜航させた熱源が、特定の部分だけを瞬間的に溶かして分離させている」
「平然と言うなぁ……」
それで氷の彫像を実現するなんて、どれだけ細かい調整が必要なのだろう。
“熱を加える”なんて一言で表現するのがおこがましいほどに、精密で高速な加熱を可能とする能力。
そこにラキュアの想像力が即興で加わって、初めてあの槍ができあがるのだ。
「きっと、これがラキュアの真髄ってことなのね……」
かつてヴェル・ミリーがあたしに言った言葉を反芻する。
ラキュアも最初からこんなことができたわけではないだろう。
“熱を加える”という漠然とした能力と向き合って、何ができて何ができないかを精一杯考えて、そして訓練を積んだのだ。
今ならあたしにも分かる。
プレーン能力。その真髄。
『ファングド・ファスナー』の奥に眠る新たな段階。
あたし自身が見なければいけなかったことが、とてもよく分かる。
「これで全部終わらせるっ!」
ラキュアの一際、大きな声が響く。
シェイクは未だに足を覆う氷を砕けないでいる。
これから氷塊に備えようとも、そのガードを縫うようにラキュアは槍を作り出すだろう。
決まった……ラキュアの勝ちだ!
「スーちゃ──」
「取りなさいスティープル嬢!!」
ペッグのおよそ尋常ではない叫び声があたしの耳に突き刺さる。
何事かとそっちを向くよりも前に、あたしの前にふわりと何かが浮かび上がった。
それはエフィの包帯によって引っ張り上げられた、あたしのナイフだった。
「備えるのです! 地面を──」
エフィが包帯であたしにナイフを届けてくれた。
それに加えてペッグの、あの言い方は……!
言葉の意味は分からなかったが意図は伝わった。
あたしがナイフを必要とする……そんな事態が起きようとしている!
ボンッ!!
地面が……破裂……した?
いや、地面から何かが飛び出してきた!
昨日までの雨が染みこんですっかり緩くなった泥が、あたしの顔ほどの高さまで跳ね上がって、両手や首元に降りかかる。
それを“汚い”なんて呑気に払わなかったのは、もはや大した問題ではなくなったから。
強い衝撃が左の頬を下から上に通り抜け、バランスを崩した体が泥の中へ倒れこむ。
もはや降りかかった泥なんて些細なものだった。
「いづっ……!」
傷は“掠めた”というレベルではなかった。
命に別条はないのだろうが、ザックリと深く斬られていて、ぼたぼたと血が流れ落ちていた。
刃物にしては傷口が太い。そもそもシェイクはあの場所から動いていないのだし、あたしを斬れるはずがない。
「だとしたら一体……!?
「スティープル、地面だ!」
シザースが館の外で飛び出しながら叫ぶ。
同時にすぐ傍の泥が盛り上がる。
とっさに顔の前にナイフを構えると、泥が弾けて白い物体が突進してきた。
「こいつは……魚!?」
体長30センチはあろうかという魚、あるいは魚の形をしているだけの別の生物か。とはいえ便宜上は魚と呼ぶしかないのだが。
全身が真っ白な鱗で覆われたそいつは、凶暴な唸り声をあげながら鋭い牙を剥き出しにして、あたしのナイフに食いついていた。
「くっ! この……!」
刃を押し込むが斬れない。とてつもない硬さだ。
やがて魚は無駄だと察したのか、ナイフから歯を離して地面へと戻っていく。そして地中へと潜った。
「スティープル嬢! それはシェイクの鎧です! さっき奴はラキュアの氷に『冷たい』と言った! 足の部分が分離して魚に変化したのです!」
「そうね、ペッグ。覚えのある色と硬さだった」
氷で足を封じられた時には既に、鎧は足から離れて魚となり、地面の中を掘り進んでいたということか。
「スティープル、ここまで来て! 泥から離れるんだ!」
舗装された道の上でシザースがあたしを呼ぶ。
確かに、あの魚が自在に掘り進めるのは雨で柔らかくなった地面だけだろう。理屈は分かる。
ただ、それをみすみすシェイクが許すとは思えない。
「ラキュア、急いで! シェイクが倒れればこの魚も動きを停止するはず……」
確実なのはシェイク自身にトドメを刺すことだ。
そこまで考えたところで、ふと嫌な予感が頭をよぎった。
「ラキュア……?」
……何か変じゃないか?
あたしは魚に狙われていて、魚を操っているのはシェイクで、シェイクを狙っているのはラキュアで……。
この状況でシェイクはどうしてラキュアよりあたしを狙っているんだ……!?
「血が流れてる」
「な……!」
彼女の放った氷塊は姿を変えることなく、シェイクの横に逸れて転がっていた。
そして彼女の左腕、いやそれどころか左肩から先が“見覚えある状態”になっていた。
「私は悪夢の中……に……」
「ラキュアァァァァァァァーッ!!」
ただし辺りを覆う血の量も臭いも昨日の夜とは段違いで、さらには“実物”もそこに転がっていたのだが……。




