第68話 見えない所
リビングを出たあたしたちは、その隣にある小さな扉へと案内された。
緑色の簡素な扉だ。来客に対して何ら見栄を張ることなく、その先が閉ざされた使用人だけの世界であることを示している。
今のあたしにとっては牢獄だ。
「どうぞ中へ」
執事の手に招かれながら中へと入っていく。
物置は意外にも綺麗だった。大小様々な棚や箱が規則正しく並べられており、臭いや埃は気にならない。
土礫精たちは物置と言えども日頃から手を抜くマネはしないのだろう。少しだけありがみを感じる。
「スティープル様。我々は物置におけるベッドメイキングの作法を存じておりません。予備の寝具はこちらの箱にありますので、ご自由にお寛ぎください」
「えぇ、どうも」
「鍵はどうするのー?」
「こちらのロープを使用します」
チョキの質問にメイドが傍の箱を開けながら答える。
物置の扉と、その隣のリビングの扉。二つの扉のノブをロープで結び、開閉を封じようという魂胆だ。
「では、スティープル嬢。扉を閉じる前にナイフを預けてもらいましょう」
「……後で返してもらうからね」
あたしのナイフ。言われなければ差し出すつもりは無かったが、さすがにそれは虫のいい話だった。
探偵なら証拠品として保持してくれるだろうか。
まさか勝手に処分されたりはしないと思うけど……少しだけ不安だ。
「じゃあ、チョキ。気をつけて」
「うん、スティープルもねー」
最後に短い会話を交わし、あたしの隔離は完了した。
執事一人を部屋の外に残し、残った生存者たちはあたしも知らない別の部屋へと向かっていく。
「──、──?」
遠くて聞き取れないが、ペッグの声が聞こえる。
もう事件は起きないと安心しているのだろうか?
いや、まだチョキがいる。彼の無実に根拠が無い以上、安心はしないはずだ。
そうであってくれと願いたい。チョキの足を引っ張ることはせずに、ただ警戒はしていてほしい。
“次”は必ず来るのだから……!
「これが面白い物語なら、次に死ぬのはきっとあたしよね。それでまた真犯人を探すことになる。まぁ、そんなことにはならないだろうけど……」
「はい、スティープル様はグルーの親族に含まれません」
ぶつぶつと独り言を吐き出しただけのつもりだったが、物置の外から執事が感情のない返答をしてきた。
「なんだ、ちゃんと会話はしてくれるんだ。だったら……ねぇ、あなたはどう思ってるの? あたしが犯人だと思ってる?」
「いいえ」
一瞬の躊躇もなく断定的な言葉が返される。
「随分とあっさり言ってくれるじゃない。それならあたしの代わりにペッグに反論してほしかったけど」
「ペッグ様に反論するという命令は受理しておりません」
「そうでしょうね、だんだん分かってきた。あたしの使い方が悪いってことにしておきましょう。えっと……ならあなたは誰が犯人だと思う?」
「我々に推理機能は搭載されておりません」
「あぁそう……」
こりゃ、あたしには永遠に使いこなせそうにないな。
まぁいい。チョキの方は気が張って碌に休めないだろうし、あたしだけでも眠っておかないと。
予備の布団を乱暴に引っ張り出して冷たい床に敷いていく。
「…………」
そうやって休む準備を整えはしたがものの、やはりというか眠れなかった。
別に、今のあたしの置かれた状況が、先の親族三人と似通っているからというわけではない。
悔しかったのだ。
あたしの脳は一度、間をおいて冷静になったことで色々な情報を思い返せるようになっていた。
どうしてこれをさっきのペッグとのやり取りの中で言えなかったのか。
もちろん単に思いつけなかったというだけで、自分の能力の範疇を越えている不可抗力なのだが、それでも悔しいものは悔しい。
「あたしならラキュアやクレイブたちを攻撃できた。なら長老は?」
ペッグが内部犯の存在を主張したとき、あたしを疑う者は誰もいなかった。
エフィが長老の介護を終えてから遺体が発見されるまでの間、あたしは長老の部屋へは出入りしていない。
階段の下には執事が控えていたし、戻ってきたエフィとはずっと一緒だった。彼らが証人になってくれる。
しかも長老の遺体はテーブルの上。その横には予告状まで用意されていた。
殺害だけならまだしも、その後の工作まで考えれば遠隔からの犯行とは思えない。
犯人はあの部屋で凶行に及んだのだ。
……さて、あたしに犯行は可能か?
「やっぱり無理だ。あたしには無理。でも……」
どうせペッグなら何かしらの答えを見つけるのだろうな。
傍迷惑なことに、真実ではない別の可能性をだ。あの男はとても想像力が優れているようだから。
執事とエフィの目を掻い潜って長老の部屋に行き、遠隔でガラスが割れる仕組みを作って部屋の外から鍵をかけ、再び彼らの目を掻い潜って戻って来る。
これが全部あたしならできるって?
そこまで言うのならむしろ教えてほしい。一体『ファングド・ファスナー』にどれほどの活用法があるっていうんだ。
『真髄を引き出しなさい』
「っ!?」
ビクリと体を震わせる。
いつのまにかあたしは眠っていたのだと分かった。
それより今のは……?
『自分のプレーン能力は何か? 答えは自分自身で見つけるしかない』
『第一印象だけが能力の全てだと思い込んでいる』
そうだ……確かユキリの護衛を終えた後の日に、ミリーから言われたことだ。
なぜ今それを思い出したのかは分からないけど、彼女はそんなことを言っていた。
『ともかく……目に見える所だけじゃなくて、その奥の見えない所までしっかり考えてみることねぇ』
奥の見えない所……!
あたしは自分の能力の何を知っている? どこまで“見た”ことがある?
『夕食の時に出されたワイン。あの中に能力を仕込んでおけば、飲んだ相手の体内で口を生成できる。そして内側から食い破ったのです!』
ペッグの言葉が再生される。
「そうだ……あたしはまだ見ていない」
人間の口は何のためにある?
声を発して自分の考えを相手に伝えて……それだけではない。
そうだよ、あたしは思いもしなかった。
『ファングド・ファスナー』。今までは人間や魔物に噛みついて攻撃して、食い破ってきた……だけだった。
食い破った“それ”を……吐き捨てることなく“食べる”なんて思いもしなかった!
当たり前だ。あたし自身が食べられない物を他の口に食べさせようだなんて思うわけがない。
「でも、そうじゃないんだ……」
あたしは体を起こすと、目についた箱を開けて中を覗き込んだ。
館の備蓄品を少し破壊することになるけど、ちょっと試させてもらうとしよう。
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もう時計の長針が何度頂点を回ったか分からない。
降りしきる雨は未だに勢いを落とすことなく、割れた窓ガラスから室内へと入り込んでいた。
当初、ラキュアに割り当てられた部屋は襲撃事件によってすっかり様変わりし、今や誰もいないはずだった。
「…………」
その誰もいないベッドの下で蠢く影があった。
土礫精の手の抜かない仕事で彩られた客室は、たとえベッドの下と言えども埃の無い快適な環境だ。
這い出てきた影は咳一つすることなく、満足げな表情で口元を歪ませ、歩きだしていった。
「…………」
影は廊下を進み、一つの扉の前で立ち止まる。
二度三度と軽いノックをした後、扉に寄り添って小声で何事か呟くと、やがて扉がゆっくりと開け放たれた。
部屋の中ではメイドがじっと立ち尽くしたまま、静かに来訪者を見つめていた。
来訪者がベッドに目を向ける。
ベッドの中ではラキュアが眠っており、その傍らでは彼女の飼い犬のニカワが静かに寄り添っていた。
「……キューン」
ニカワは小さく鳴くとベッドを降り、来訪者の方へと向き直る。
あれだけ飼い主に吠えたけっていたニカワが、今ではすっかり大人しくなったものだ。これから何が起きるのか知る由もないであろう純真無垢な瞳で見つめている。
ふぅ、と来訪者の呼吸が一つ、部屋へ溶け込んだ。
その呼吸は何を思ったものなのか。
安堵か罪悪感か。
やがて来訪者は、その瞬間を待ち望んでいたかのように行動を起こした。
──落雷が子犬の影を照らし出す……頭だけが真上に飛んだ歪な影を!
メイドは一瞬の閃光にも目を閉じることなく、そして顔色一つ変えることなく、その光景を見つめ続けていた。
それは表情だけに留まらず、手足の動き一つ一つを取っても同じこと。
彼女は何一つとして微動だにすることはなかった。
「うう……あ……ニカ……ワ……」
唯一、ラキュアの声にのみメイドの瞳が反応を示す。悪い夢を見ているのだろう、額に汗を浮かべてうなされている少女の声に。
「ご要件は以上ですか?」
土礫精というものはつくづく一級品だった。
主人の身に迫る危険を取り除くように作られてはいるが、彼らの優れた観察力は名探偵にも引けを取ることはないものだった。
来訪者は既に武器を収めている。
そして、その殺意の矛先は主人の飼い犬ではあったが、主人そのものではない。
すなわち、来訪者が見せた今の行動は主人の命を危ぶむものではないのだ。
「ご要件は以上ですか?」
「…………」
一つ名探偵と異なる点は、“分からない”状態を受け入れるということ。
彼らは常に正確な仕事をこなし、正確な結果を報告する。
分からないことは『分からない』と言うことが土礫精の本質なのだ。
「では、おやすみなさいませ」
土礫精は来訪者の行動の意図を解き明かすことはない。
解き明かそうと行動を起こせば解き明かせたとしても、解き明かさなかったことが仇となって結果的に主人が死亡したとしても……それは仕方のないことである。




