第66話 腹を割る者
ペッグが扉に手をかけ、そこで一度あたしたちの方を振り向く。
心の準備はできているか、そう問いかけるつもりだったのだろう。
「…………」
言葉はいらなかった。あたしたちの表情を一瞥したペッグは納得したように小さく頷くと、さして時間をかけることもなく扉を開け放った。
「うっ!!」
その瞬間、あたしは強烈な不快感に思わず口元を抑えることとなった。
臭い。気持ち悪い。近づきたくない。吐きそう。
怒りや悲しみといった感情の起伏も、非現実的な出来事に対する動揺も無く、ただただ不快なだけ。
それはきっと、あたしが彼らに大した尊敬の念を抱いていなかったせいか。
「見ての通り。真犯人はきっちりと仕事を成し遂げたようですな」
「そんな! じゃあ皆さんはもう……!」
エフィの声にペッグはゆっくりと頷く。
答えは最初から分かっていた。
彼らに少しでも助けられる見込みがあるなら、ペッグはエフィに急ぐように言ったはずだ……土礫精がそうしたように。
そうしなかったということは、もう手遅れなのだ。
「クレイブ、ミューシー、アドヒース……」
静かなものだ、遺産相続であれほどに罵り合っていた三人が……。
アドヒースは椅子に縛り付けられた状態のまま、がっくりと項垂れている。
ミューシーは一度、椅子から立ち上がって倒れたのか、床の上に腹ばいになっている。
そしてクレイブは二人から離れた位置、窓に背を向けた状態で仰向けで倒れている。
死因は全員共通のようだった。彼らの腹部から流れ出ているおびただしい量の血だ。
まるで削り取ったかのような、あるいは破裂したかのような……ともかく生半可な傷ではない。どう見てもあれが致命傷だ。
それに部屋全体を覆い尽くすこの酷い臭いの元も……!
「シザース、これって焦げ臭い……で合ってるのよね?」
「うん、長老さんの遺体からもかすかに同じ臭いがした。傷口が焼け焦げているんだよ。ただ、長老さんとは比べ物にならないくらいに広範囲だね。死体以外に焦げ跡が無いのが不思議なくらいだよー」
シザースの言うように、部屋の中には荒れた痕跡は見当たらなかった。
あたしたちがリビングを出た時とほとんど変わっていなかったと言っていい。
唯一、変わっていたのは窓だ。
「ペッグ、換気でもした?」
「まさか、この名探偵ペッグに限ってそのようなことはしませんよ。最初からこの状態のままです」
ペッグはそう断言する。
クレイブの後ろにある窓は、当時は言うまでもなく鍵を閉めていたはずだ。それが今では大きく開き、雨風の通り道となっている。
「なら分かっているでしょう? あなたの言う真犯人があそこから逃げたのよ。土礫精のいなくなった扉から堂々と入ってきて三人を殺害した後でね」
「…………」
「犯人はやっぱり外部から来たのよ! 最初からあたしたちの中にはいなかった! あなたを責めているわけじゃないのよペッグ、今からでも全員で備えて──」
「やめておきなさい。スティープル嬢、あなたでは名探偵にはなれやしません」
「え……?」
「この名探偵ペッグ、確かに自身の推理を改めました。ですがスティープル嬢、あなたの望む結論に向かう気はありません。犯人はやはりこの中にいるのです!」
「まだ言うの!?」
もう限界だった。
「あんたが間違ったせいで三人も死んだのよ! ラキュアが生きてるのだって奇跡みたいなものだわ! これ以上、余計なこと言ってあたしたちを危険に晒さないで!」
「危険? 何が危険なのですかな?」
「残りはラキュアよ! 犯人はこれからラキュアを狙って再び襲ってくる! ただし今度はあたしたち全員が標的になるのよ! それともあんたはラキュア一人だけを見殺しにして済ませようと思ってるの!? 違うでしょう、守りたいんでしょう!? だったら間違った結論にしがみつくのはやめて!」
「っ……!」
ペッグの表情がわずかに曇る。
「ふ、ふっ……なかなかの名優ぶりですな。スティープル嬢の声にはなぜか感情が揺さぶられる。気を抜けばすぐにでも信じてしまいそうになりますよ」
「当然よ、あたしの声はいつだって心がこもっているんだもの。これを見せれば信じてもらえるかしら?」
「ちょっと、スティープル!?」
シザースが止めるよりも前に、あたしは自分の手をペッグへと差し出した。
「あたしの手が喋っているのが分かるでしょう? 『ファングド・ファスナー』、この口は人間が嘘偽りで隠そうとする本音を勝手に喋ってくれる。あたしが手相を見るとか言って動いたのは、全員の体にこの能力を使うため。そこであたしはハッキリと質問をした!」
「どうして長老を殺したのか、ですな?」
「そうよ! その結果、全員が動機を言わなかった! もし犯人がその場にいたのなら必ず動機を言う! 動機が無いなら“無い”って言う!」
「…………」
「つまり犯人はあたしたちの中にはいないってことなのよ!」
言い切った。使い切った。
あたしの持ちうるカード全てをだ。
「……そうですか。なるほど、スティープル嬢。あなたのお気持ちはよく分かりました。ですが、この名探偵ペッグ……あなたの望む真実を認めるわけにはいきません」
「っ……!」
駄目か……やっぱりこいつには何を言っても駄目なのか。
「ハァ……だったら、あなたは誰が犯人だって言うのよ?」
もういい。こうなったらあたしたちだけで何とかしよう。
幸いなことに、土礫精の最優先はラキュアの命だ。ペッグが誤った結論に誘導しようとも、彼らはそれを無視して自分たちのやり方で動いてくれる。
そうだ、この自称名探偵を信じる奴は誰もいないんだ。
説得が無理だっていうなら、いっそ好きなように喋らせてやろう。
あたしたちに従う義理は無いし、その結果としてペッグの命が危険に晒されたとしても知ったことか。
むしろ『真実に出会えておめでとう』だ。
「スティープル嬢」
「何よ?」
ペッグの言葉の持つ意味を、あたしは最初は理解できなかった。
彼があたしに手を向けていて、周りの人間はあたしを見つめて押し黙っている。
その光景をしばらく味わった後、ようやくあたしはそれが単なる呼びかけでないことに気づく。
あれ? あたし、ペッグになんて言ったっけ……?
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ギルド・カートリッジ。
多くの人々が仕事を依頼するこの組織は、言い換えれば多くの人々の弱みを握っている組織でもある。
実力主義社会のパーチメント王国において、弱みというものはとりわけ重要な情報だ。
ギルドにその情報を守るための仕組みが築き上げられているのも必然的と言えるだろう。
「異常はありませんか?」
「ああ、ウェバリーさん。いえ特にはありませんが……」
夜も更けた頃、受付の席に座る男性職員は笑顔でウェバリーに頭を下げた。
たとえギルドが受付時間を終了しても、この席には常に誰かが座っている。二十四時間、建物内に人がいないことはありえないのだ。
「強いて言うなら、ウェバリーさんがこんな遅くまで調べ物をしているのが異常ですかね?」
何気なく男性職員が追った目線は、ウェバリーの持つファイルに止まる。
『F204』と記載されただけの何の変哲も無いファイルは、それだけではどれほどの貴重な情報を持っているかも分からない。
「あなたは新人ですね?」
「えぇ、そうです」
「ならば覚えておきなさい。このファイルには新人が雑務で参考にすることは何一つ書かれておりません」
「そうなんですか。ちなみに何が──」
「殺し屋の情報です」
「え……!?」
目を見開いて固まる男性職員に、ウェバリーは言う。
「ご心配なく。この情報を知ったからといって命を狙われるような代物ではありません。何しろ殺し屋側から提供していただいた情報ですから。我々に仕事を依頼する時の連絡手段だ、とね」
「そ、それってつまり、これから誰かを……!?」
「…………」
そこでウェバリーは、普段の鷹のような目つきからは想像もできないような美しい笑顔を見せて笑った。
「嘘です。これは単なる私の日記です」
「え……は!?」
「では、引き続き業務を遂行するように」
誰もいない部屋に入ったウェバリーは、『F204』のファイルを机の上に起き、開く。
そこに挟まっていた紙は単純な表現をするのであれば契約書だった。
派遣依頼者:アウスハルト・ベイツメン・グルー
派遣職員:エフィ・ルレッド
業務内容:派遣依頼者に対し、延命処置を施すこと。
業務期間:派遣日より二年。派遣依頼者がその期間を過ぎて派遣職員に業務をさせる行為、および派遣職員の帰還を妨げる行為は違反とする。
ウェバリーの目線がある一点に止まる。
インクの付き方から、後から書き足された文章だということは明らかだった。
備考:違反行為に対するギルド・カートリッジ側の対応について。当ギルドは派遣依頼者に以下の内容を警告済。
一つ。派遣職員の拘束ならびに帰還を妨げる要因は、当ギルドの実力をもって排除する。
一つ。違反行為によって派遣依頼者が得た利益は、当ギルドが全て回収する。回収できない場合についても派遣依頼者が所有することは決して認めない。
「エフィの能力は人の欲望を増長させ、争いの元となるもの。厳格な管理が無ければ秩序は容易に崩壊してしまうでしょう。ギルド・カートリッジとしては一秒たりとも許すつもりはありません。さぁ、頼みますよ……」
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「護衛とは表向きの依頼。真の目的はグルーの一族に対する粛清。そうなのでしょう? ギルド・カートリッジから派遣された殺し屋のスティープル嬢」
「な、何を言っているの? 殺し屋……あたしが!?」
「この事件の真犯人はあなただ!」




