第65話 血の喪失
長老の部屋を飛び出し、二階への階段を駆け下りる。
周囲を見渡してもラキュアはおろかニカワの姿も見えない。
ただ、一か所だけ扉の開いている部屋があった……ラキュアの部屋だ。
「『氷塊』!」
ガシャァン!
ラキュアの声。次いでガラスの割れる音。
間違いない。彼女は魔法を唱えて……戦っている!
「『氷塊』!」
あたしが部屋に向かって走っている間にも、ラキュアは何度か魔法を唱える。
その度に何かが割れ、崩れる音が鳴り響く。
「あ、が……ああああああああああっ!!」
最後は絶叫だった。
「ラキュアっ!!」
ナイフを抜き、あたしは部屋の中へ飛び込む。
その瞬間、あたしの肌が……震えた。
部屋の奥にあるガラスは大きな穴を開けて暴風雨の夜を映し出している。
あそこから来たのだろう、グルーの血筋を憎むストライク・バックが。
そして……そして、襲った。
「ぅ……っ……!」
あたしの口は言葉を失っていた。
長老の遺体と対面した時とはまた別の、そして比較にならないほどの衝撃に立ち尽くすことしかできなかった。
壁や床に飛び散った真新しい深紅の染みの数々。
その中心に横たわる犠牲者の肉体は歪な形をしていて、奇妙な痙攣を繰り返している。
そう、歪だった。あたしが第一印象で感じた言葉をそのまま使った結果、そういう表現になった。
それ以上を詳細に説明するとなると、今のあたしの理性では無理だった。
説明するのが怖かった。
その人が、さっきまで隣にいた仲の良い人間だからこそ本当に怖かった。
体には右だけが、付いてる……左の方は、肩から先が、な、無く……て……!
「うああああああああああああっ!!」
止まっていたものが一気に溢れ出す。
勝手に叫び始めた口を抑えることもなく、窓の方へと駆け出していく。
窓に空いた穴を飛び越え、バルコニーの手すりに手をつく。
雨風に濡れるのも、きっと誰の姿も見えないのも分かっていた。それでもそうせずにはいられなかった。
ラキュアをこんな目に合わせた奴に、あたしのこの想いをぶつけずにはいられなかった。
「的外れだって言うの……!?」
あたしはエフィの護衛だから、それ以外の人間をどうしようが口出しされる筋合いは無いって言うの……!?
グルーの血筋を恨んでいるのはもう知らせたから、ラキュアをどうしようが何を今更な話だって言うの……!?
そんなの……断じて違う!
「親を殺され、グルーの家を追われ、遺産を継ぐ権利すら残っていない! なのにあんたの身勝手な報復には巻き込まれるって言うのか! 応えろストライク・バック! お前が殺したのはラキュアだ! こんなことされる覚えは無い、あたしの友達のラキュアなんだ! 応えろぉっ! ストライク・バックゥゥゥーッ!!」
バルコニーの手すりを強く握り、誰にも届かない言葉を吐き出し続ける。
あたしにできるのはそれだけだった。
「誤情報です。ラキュア様は殺されていません」
「誤情報です。ラキュア様はまだ生きています」
「っ!?」
聞き覚えのある声に振り向く。
開けっ放しの扉の向こうで、二人の土礫精が佇んでいた。
相変わらずの無表情で、執事の方はラキュアをじっと見降ろしている。メイドの方はラキュアに目もくれず、真横──廊下の方──を見つめている。
「あ、あなたたち……どうしたの? リビングで見張ってたんじゃないの?」
「エフィ様、お急ぎください。ラキュア様が直に亡くなります」
「エフィ様、お急ぎください。ラキュア様の死亡率は一分後に一割まで増加します」
あたしの問いかけを無視して、彼らはエフィを呼び続けている。
そうか、主人の緊急事態だからだ。
ラキュアの悲鳴をきっかけに、これまで受けていた命令が全て取り消された。彼女の救命が最優先事項になったんだ。
そして、そのベストな方法がエフィを待つということか。
「ラキュアさん!」
悲鳴に近い声と共にエフィが駆けつける。
さすがのエフィもこの惨状には血の気が引いたようだった。
それでもすぐに気を強く持ち、包帯だらの左手をラキュアに向ける。
「大丈夫……エフィがすぐに助けるんですの!」
「えっ!? 包帯が……!?」
エフィの腕に巻かれた包帯が……伸びた。
そのまま意思を持つかのようにラキュアの方へと進んでいき、その全身に巻き付いていく。
服の上からグルグルと、贈り物を舗装するように几帳面に。
いつしかその長さは、エフィの体に巻かれていたであろう数値を遥かに超えるほどになっていた。
「エフィ、これは一体……!?」
「スーちゃん、前に言わなかったんですの? エフィはエリートなんですのよ!」
「まさかプレーン能力!?」
エフィがギルド・カートリッジで地位を確立した理由。
替えの聞かない存在としてウェバリーから気にかけられる理由。
その答えがこれか!
「さぁ、エフィの『ピックニック・パッド』! ラキュアさんの怪我を元通りに治すんですの!」
ラキュアに巻かれた包帯の形が徐々に変わり始める。
左肩の辺りが盛り上がり、そこに無いはずの左腕が形作られていく。
気づけば、部屋に漂っていた嫌な臭いはしなくなっていた。飛び散った血は、最初からそこに存在していなかったかのように喪失していた。
そして最後に包帯を巻き取ると、そこには怪我一つ無いラキュアの健康的な肉体が残っていた。
「すごい……あんなに酷い怪我だったのに……」
「なるほど、この能力で長老さんを長生きさせてきたわけだねー。スティープル、部屋に戻った方がいいよ。風邪引くから」
「シザース……!」
シザースが感心した様子で部屋を覗く。
その頃になってようやくあたしの頭も落ち着いてきたようだった。
「ごめんなさい、勝手に先走って……」
「たいしたことないよ。それより敵の姿は見……いや、敵の特徴を知りたいな」
「質問口調でいいよ。別に隠したいことなんてないもの。何も見ていない、あたしが来た頃にはもう……」
「そっか。まぁ、そんな簡単に尻尾は出さないよねー」
楽しくなってきた、と言わんばかりにシザースは不敵な笑みを浮かべる。
いつもならこの状況でよくも笑えるものだと呆れるところだが、今は少しだけその態度がありがたかった。
無意味に終わったあたしの失態を前向きに受け止めてくれてるような、そんな感じがしたから。
「ちょっとスーちゃん、手! 見せるんですの!」
「え?」
エフィがあたしの両手を手に取る。
すぐに彼女の腕から伸びた包帯が、あたしの手のひらへと伸び始める。
「あれ? あたし怪我してたんだ……いつのまに?」
「ガラスが刺さってるんですのよ。大丈夫、傷口から体内に入った凶器とか雑菌とかも合わせて元通りに治るんですの」
「あ、ありがとう……」
「もう、足元に気をつけてよ、スティープル。また転んだりしたら手だけじゃすまないかもしれないからさー」
「別に転んだわけじゃないわ。たぶんバルコニーに出たとき」
よく見ると破片は細かいとはいえ、手のひらにグッサリだ。こんなことにも気づかないなんて、よほど頭に血が登っていたらしい。
「あ……う……」
「良かった、ラキュアさん。意識が戻ったんですのね」
「…………え? あ、あ?」
ラキュアがむくりと起き上がる。
「大丈夫かしら? 自分への危害に敏感な人だし、命を狙われて大怪我を負わされたとなったら……」
「叫びだすかもね。でも船で襲われた時は、血を見ると冷静になるって言ってたんだよねー」
彼女が気を強く持ってくれるなら、それに越したことはないのだが……。
「あれ? 何で? ある……何であるの?」
「ラキュアさん、大丈夫ですの?」
「気持ち悪い」
「……?」
様子が変だった。
ラキュアは小刻みに体を震わせ、胸や腕を掻きむしるように強く擦りながら何やら呟いていた。
「気持ち悪い! 気持ち悪い! 何これ!? 何で!? うっ! お……げっ!」
「ラキュア!?」
「ラキュアさん!!」
そのまま彼女は白目をむいて失神してしまう。
一体、どうしたというのか。あたしもエフィも思わず彼女の名を叫ぶが……。
「おおよその見当がつきますぞ」
遅れてやってきたペッグが落ち着き払った口調と共に顔を覗かせる。
そしと部屋の中をじろじろと観察しながら言った。
「この状況は……ふむ、エフィ嬢がラキュアを助けたというですな。でしたらやはり、そうなのでしょう。エフィ嬢の能力……私も詳しく知っているわけではありませんが、おそらくはそれが原因でラキュアが混乱したのです」
「どういうこと……?」
「一時的に大きな混乱に見舞われて気を失ったのですよ。ラキュアの立場から考えてみると“無くなったはずの左腕がある”ということは、それほどまでに衝撃的なことだったのです」
「っ……! そうね、確かに……」
プレーン能力。誰もがその存在を間近に見てきたわけじゃない。世の中には、その存在を知らない人もいるだろう。
ラキュアにとっては自分の命を脅かす襲撃者よりも、エフィの能力の方が予想外で理解不可能なものだったということか。
「尤も、混乱しているのはこの名探偵ペッグも同じことですがね」
「え?」
ペッグが一つ息をつき、あたしたち全員の顔を見回しながら言う。
「なにせ色々なことが起きすぎた。皆さんも等しく混乱していることでしょう。唯一、この状況を作り上げた真犯人は別でしょうがね」
「……何? なんて言ったの? “真”……犯人!?」
「土礫精にラキュアを運んでもらいましょう。スティープル嬢たちにはこれから見ていただきたいものがあります」
ペッグは背を向けて歩き始める。
執事がラキュアを背負い、メイドと共にペッグの後に続いた。
あたしとシザースはその背中を追いながら、注意深くエフィと共に歩を進めていく。
一体、何を見たというのか? ペッグはこんな時でもすぐに結論を述べることはしなかった。
「ヒントは二つです。一つ、私はラキュアの部屋に最後に来た。すなわち探偵が事件現場を後回しにしたということです。事件現場よりも先に何を見ようとしたのか? いえ、事件現場以上と表現しましょう。言葉の意味合いが変わってきます」
嫌な予感がした。
“以上”ということはそれそのものを含む。
事件現場がもう一つあれば、いずれか片方を先に見ることになるわけで……!
「そしてもう一つ。真犯人という言葉を使ったことから分かるように、私は過去の推理を改めた。アドヒース殿が犯人であるという推理をです。そう断言できるだけの根拠は何か?」
「…………」
もう皆気づいている。
あたしたちがどこへ向かっているのかを考えれば、探偵じゃなくても推理できる。
「ねぇ、探偵さん。確認なんだけどさ、探偵さんはエフィのプレーン能力を知っているんだよね?」
「えぇ、さっきも言ったように詳しくはありませんが。私は長老の弁護士として、ウルシア嬢へ遺産を遺すという計画を間近で見てきた人物の一人ですからな、その延命処置の瞬間は何度か見ていますよ」
「そっか。知ったうえで、そうやってのんびり歩いているんだねー」
今にして思えば、襲撃犯がラキュアにあんな酷い仕打ちをしたのには意味があったのだ。
重要なのは、彼女が身の危険を訴えることだった。
土礫精が主人の元へ駆けつけるように誘導すれば……隙が生まれる。
「こちらです」
ペッグが足を止める。
その扉の先はリビングへと繋がっていた。




