第64話 現場百遍
「クソが! 放しやがれっ! 俺は犯人じゃあねェェェーッ!!」
アドヒースの声に耳を貸す者はいなかった。
彼の体はリビングの椅子に縄で縛られ、身動きが取れないようにされている。
「これで悪さはできないでしょう。さて、名探偵たるもの犯人の名を挙げてそこで終わりではありません。彼がいかにして凶行を完遂させたのか、全てを明らかにしてみせましょう」
「ふん」
クレイブ夫妻は探偵のこだわりに興味が無いのか、アドヒースの醜態を楽しげに眺めているだけだ。
重要なのは犯人の正体のみ。動機や方法はどうでもいいといった感じだ。
「というわけで私は現場の捜査に向かいますよ。エフィ嬢、申し訳ありませんがご同行を願えますかな?」
「え? エフィがですの?」
「長老の延命治療に携わった者として遺体の検分をお願いしたいのです。年端も行かぬ少女に酷なお願いかもしれませんが、今の状況ではエフィ嬢しか頼れないのですよ」
「で、でもエフィは……!」
「それならあたしとシザースも行くよ。いいよね?」
「あぁ、そうでしたな。護衛対象についていくのがお二方の役割というもの」
そうじゃない。ペッグが一人で向かうつもりなら、あたしから同じことを提案していたさ。あたしがこの部屋を離れる理由を作るために。
なにせ犯人は外部にいるのだ。少しでも館内を見て回る機会……もっと言えば犯人の姿を確認できる機会が欲しい。
「わ、私もニカワと一緒に行く……」
「ラキュアよ、もう名探偵の助手を演じる必要は無いんですぞ? それに訓練も受けていない犬を事件現場に連れていって、現場を荒らされてしまっては叶いません」
「行かなくて死んじゃったら……死んじゃったらあああああ!!」
「……あぁ、確かに。リビングに残るのは、そなたの人生をドン底に突き落とした方々でしたな。いいでしょう、再び助手としての席を与えましょう」
「違う……!」
不満げなラキュアのぼやき。
そうだった……リビングに残るのはグルーの親族! 犯人が手紙で標的と明言してる人たちじゃないか!
「ど、どうしようシザース……リビングを見守った方がいいのかな……」
「うーん、あの人たちは護衛対象じゃないんだけど、生きてる人間は多い方がいいのは確かだねー」
シザースは笑いながらアドヒースの元へ向かう。
「な、なんだよガキィィィー!?」
「何か怪しい人間を見たら大声を上げて知らせてほしいんだ。そうしたら僕たちが助けに──」
「何が手相だ!? 何が『拒否したらお前が犯人』だ!? 結局、何もしなかったじゃあねぇかよ! それで今度はいい子ぶって保身に走りやがって! よく分かったぜ! お前らが知性も論理も持ち合わせてねぇカワイソーな負け組だってなァァァーッ!!」
ベッ、と大きな音を立ててアドヒースが唾を吐いた。
「大丈夫、シザース?」
「あぁ、気にしないで。僕が間違えただけだから。最初からまともな方に行けば良かったよー。ねぇ、メイドさん」
「はい、命令を受理しました」
苦笑しながらシザースは同じことをメイドに言った。
執事とメイドが見張りになってくれれば異常は察知できるだろう。
犯人が姿を隠す前に駆けつけられればそれで十分だな。
ペッグを先頭に、あたしたちは長老の部屋へと向かう。
エフィとラキュアはあたしと共に周囲を警戒しながら、そしてシザースは最後尾でニカワと共に歩いていた。
廊下には物陰は無く、誰もいないことは明白だったため、あたしたちの目線は必然的に窓ガラスへ向けられる。
「む?」
「どうしたの?」
三階に上がってから長老の部屋に向かうまでの廊下で、ペッグが足を止める。
短い廊下は両側に窓が一つずつ。彼の目線は左右の窓へ交互に動く。それが何かを比べている動作なのは一目瞭然だった。
「片方だけ濡れていますな。それに鍵も開いている」
ペッグの言うように、長老の扉に向かって左側の窓だけが、縁から床にかけて水が流れ落ちたような形跡があった。
長老の遺体を発見したときは動転していて気が付かなかったが、どうやら探偵の気を引くほどには不自然な痕跡らしい。
「ふぅむ、床にも水滴がありますが……量は少ないですな」
「ふん、どうせ窓を開けっ放しにしていて雨が降ってきただけでしょ。その後で執事かメイドが閉めた、鍵は閉めずに窓だけね。些細なことよ」
熱心に色々な角度から見始めるペッグに、ラキュアが冷たく言い放つ。
「むぅ、ラキュアよ、今のは名探偵として見過ごせない一言ですぞ。些細なことの積み重ねが真実を明らかにするのです」
「そんなの目に見える大きな証拠だけで犯人が特定できなかった時の苦肉の策でしょ」
「ペッグさん、本当にラキュアさんを助手扱いしてるんですの……」
「確かに。ウルシアとも呼ばなくなったね」
案外、助手がいるという状況が気に入ってるんじゃなかろうか。
二人は互いに憎まれ口とも言えるような言葉をかけ合いながらも、やがて窓を離れて長老の部屋の方へと歩いていく。
エフィもそれを追った。
「……あれ?」
「スティープル? どうしたのー?」
シザースがあたしを呼んでいる。
当たり前だ。護衛対象が先に行ってしまったというのに、あたしは足を止めて考え込んでいるのだから。
でも……何か引っかかる。
あの窓って確か……!
「ご、ごめんなさいですの!!」
「えっ!?」
あたしの思考はエフィの叫び声に掻き消された。
慌ててシザースと共に長老の部屋へ入る。
そこではエフィがペッグに向かって頭を下げているところだった。
「ペッグ? これは……!?」
「いえいえ、問題ありませんよ。エフィ嬢も顔を上げてください。この名探偵ペッグ、医者の不在程度で事件を迷宮入りさせるような凡才ではありませんので」
「ほ、本当にごめんなさいですの。さっき言えば良かったんですのに、エフィは検死は専門外で……」
「そうなんだ……」
医療の世界にも色々と分野があるのだろう。
あたしは全然、詳しくないけれどエフィは治療専門だということらしい。
「僕は言わなくて良かったと思うよ。リビングに残るよりこっちに来た方が安全だからさー」
「確かに、第一候補のアドヒース殿は向こう側にいますからな。ですが動きは封じています、万が一にも縄を解こうなら土礫精が知らせに来ますよ」
相変わらずペッグの思考はズレたままだ。
ここでリビングに襲撃があれば思い直してくれるのだろうが、他人の不幸を当てにするのは気が引けるな。
「それにしても、この部屋うるさいですのね」
エフィが大きく割れた窓ガラスの方を向いて言う。
木々を揺らす暴風と雷が直に部屋の中へと響き渡っている。
本当に嫌な騒音だ。これではリビングで悲鳴が上がっても聞き逃してしまうのではないだろうか。
せめて入り口の扉だけは開けたままにしておきたい。
「たしかペッグがぶち破ったのよね。鍵のかかった扉か……」
そういえば長老はいつも鍵をかけないんだっけ。
ということは襲撃犯が鍵をかけたということになるわけだけど……。
「もう、窓が閉じれないせいで床がびしょびしょですの」
「あーあ、これじゃ本が濡れて駄目になっちゃうよー。貴重なものとかいっぱいありそうだし。えっと、これとかは……いやそんな貴重じゃないか。基本的な魔法についてまとめた書物かな」
「チョキ殿、読書などしていないで名探偵ペッグの思考をメモしていただけませんかな?」
「えー? 名探偵なら自分の頭の中に書いてよー」
ガチャン!
「スティープル!?」
「ご、ごめん!」
あたしの立ててしまった音は予想以上に大きかった。
扉のノブに付いていた摘みを回すと、扉の側面から金属状の出っ張りが勢いよく姿を表す。ごく一般的な仕組みの鍵だ。
しかし、音はともかく高級品の扉からどんな大層なものが出てくるかと思えば、少し期待外れだった。
てっきり金の延べ棒でも出てくるのではないかと思ったのに……なんて、自分のふざけた思考回路に少しだけ苦笑する。
「スティープル、大丈夫。三階には誰も来てない」
「あ、ラキュア……そこにいたんだ」
「うん、ニカワと一緒。部屋を荒らすなって言われたから」
ラキュアは部屋の外でじっと階段の下に目をこらしていた。
相変わらずニカワは飼い主から距離を置いていたが、吠えたり唸ったりはしていなかった。
「スティープルの考えてることは分かってる。敵が次に狙うのはリビングに固まっている悪人共。そしてリビングからこの階段を上って……私を狙いに来る!」
「……一人でいると身が持たないよ。エフィと一緒にいた方がいい。あたしが守りたいのはエフィだけじゃないんだから」
「大丈夫、それも分かってる……ありがとう。守ってほしいときはそっちに行く。今は……ニカワを見てる」
ニカワ……か。そうか、魔力が分かるんだったな。
あたしが襲撃者の存在を予感したのもニカワの行動があったからこそだ。
今は大人しい。なら、安全と言えるか。
「スティープル、ちょっとこれ見て!」
「えぇ、分かった」
シザースがあたしを呼ぶ。
彼は長老の遺体を指差していた。
「この傷跡なんだけど……あ、女の子に見せるものじゃなかったか」
「今更、何を気遣ってんのよ。あんたの相棒は人間の遺体に尻込みするような女じゃありません」
「だよね、良かったー! ほら、ここ」
だからといって笑顔で遺体を指差す少年をすぐに受け入れられるとは限らないが。
そんな言葉を飲み込みつつ、シザースの指の先を見る。
「傷口のこと? 鋭利な刃物がまっすぐ刺さったって話よね。長老は腰を曲げて歩くから、寝かせた状態で……」
「そうじゃないよ、傷口の周辺。赤く腫れてるんだ、火傷したみたいに。それに服には焦げ目もある」
「っ! それって……まるで燃えている剣で刺したみたいじゃない!」
悪しきを焼く義賊は、炎をまとった剣で戦った。
あたしが読んだ、ストライクに関する本にはそんなことが書かれていた。
「遺体に添えられた手紙は『ストライク・バック』。まさか本当に帰還してきたっていうの……!?」
「スティープル嬢、お忘れないように。義賊ストライクは死んでいるのです。大方、犯人の偽装工作でしょうな。自身に疑いの目を向けられないためのね」
「それくらい覚えてるわよ! でもここまで来ると……!」
「うん、こだわってるよね。これをやった人はきっとその義賊さんをものすごく尊敬していたんだろうな。むしろ崇拝の域にまで達しているかもねー」
「崇拝……ですか、ふぅむ」
ペッグがシザースの言葉を反芻する。
アドヒースらしからぬ行為だと思っているなら、これを機に自分の推理を見直してくれないだろうか?
「……ス、スティープル嬢!」
「え?」
そんなあたしの淡い期待は叶うこともなく。
「ラキュアはどこです!?」
それどころか裏切られることもなく。
「ラキュアなら外よ、入り口の扉の向こう側で……」
そこから先は全く予想もしない展開が待ち受けていた。
「きゃああああああああっ!!」
悲鳴が上がった。
誰の? リビングにいる親族の──否、それだと“予想していた展開”だ。
そうではない。
そうではないのだ。
「ラキュアっ!?」
あたしは真っ先に部屋を飛び出していた。
──そこには誰もいなかった。




