第58話 扉の向こう
荒々しく扉を開けて廊下へと出る。
ほとんど同じタイミングでラキュアの部屋の扉が開けられ、中から執事が飛び出してきた。
「ねぇ聞いた!? ガラスの割れた音よ! 襲撃の可能性が──、っ!?」
思わず声が上ずった。
これまで執事の役割に忠実に徹していた土礫精が、客人の呼びかけを無視してどこかへ走り出したのだ。
「ちょっと! どこへ行くの!?」
「緊急事態につき命令を受理できません。現在の命令は『主人の部屋へ向かう』となっております」
「主人の……!?」
つまりは長老の部屋というわけだが……その意図は不明だ。
単に主人の身の安全を確保しようとしているだけか?
それとも、そこがガラスの割れた部屋だと考えているから……!?
「僕たちもついていった方がいいね。エフィの安全が第一だけど、事態が掴めないうちは安全も何もないし」
「えぇ、あたしが先に行く。チョキはエフィと一緒に来て。敵を見つけたらすぐにあたしを呼ぶように」
「うん、任せて。エフィ、大丈夫?」
「お、お爺さんの部屋に……あわわ……」
チョキは落ち着いた口調で言いながらエフィの手を取る。
一方のエフィは緊張した面持ちで、空いた方の手を胸元で握っていた。
階段を一段飛ばしで駆け上がり、三階にたどり着く。
そこでは先に向かっていた執事が扉を叩いて中の様子を探っていた。
決してノックとは呼べない強い叩き方ではあったが、てっきり既に部屋に突入しているかと思っていたあたしにとっては、その行動が随分と悠長に見えた。
「何をしているの!? 睡眠薬で寝てるのに返事なんかできないでしょ!」
「いいえ、睡眠薬はあくまで睡眠を補助するものであり、外部からの刺激や大きな音によって目が覚める可能性はゼロではありません」
「だからって作法に則って扉を叩いている場合じゃないでしょ!? 緊急事態だって思っているならさっさと扉を開けなさいよ!」
「開きません」
「えっ!?」
何の感情もなく執事は実際に起きたことだけを言い放つ。
開かないって……そんなはずがない。
長老は鍵をかけないはずだ。具合が悪くなったときにすぐ人を呼べるように。そもそもベッドから扉まで歩いてこれるかも怪しい。
それならどうして鍵が……!?
「っ……!!」
寒気がした。
ひんやりとした冷気が足元から這い上がり、背中を通って脳髄へと浸食していく。
それは先程まで感じていた嫌な予感とは違う、“恐怖”に近い感情だった。
「チ、チョキを……」
呼ばないと。
きっとメイドが鍵を取りに向かっているのだろうけど、それよりチョキを呼ぶ方が近い。
『デュアル・ブレード』で扉に命令して、鍵を開けてもらわないと……!
「下がっていなさい、スティープル嬢」
「え……」
階段の下から姿を現したのはペッグだった。
それに……騒ぎを聞いて駆けつけてきたのは彼だけではなかった。
「さっきの音は何だね? まさかこの嵐で木が倒れたんじゃあないだろうな?」
「冗談じゃあないざます! こんな危ない島で眠れるざますかっ!」
「ハハハッ! 白々しいな細工していたくせに。何をやったんだ? 実の父親相手によォォォー」
集まるや否や険悪な雰囲気を作り出す親族三名。アドヒースは嬉々として兄を煽っているあたり、不機嫌から立ち直ったようだ。
その後ろには着替え終えたラキュア、そしてチョキとエフィ。
「まったく不思議なことです。この名探偵ペッグを待ち受ける宿命というのは、何故にこうも似たようなことばかりなのか。鍵のかかった扉とはまさにその定番。もはや親近感すら覚えますな」
ペッグが芝居がかった口調で言う。
さらには袖を捲り、屈伸運動をしたり軽く跳ねてみたり……これから一仕事するかのように体を動かし始めた。
「さてともう一度、言いましょうか。下がっていなさい、スティープル嬢。緊急事態なのでしょう? 今から扉をブチ破ります」
「……!」
鍵を持ってくれば済む話ではあるが、その時間も惜しいのは確かだ。
少なくともあたしは今すぐに、扉の向こうがどうなっているのか知りたい!
「ペッグ様、一般的な成人男性の身体能力では不可能だと判断します」
「ご心配なく。この名探偵ペッグ、この手の扉に屈したことはない! スゥーッ、ウオオオォォォォォーッ!!」
執事の心配は杞憂だった。
ペッグの渾身のタックルを受けると扉はあっけなく開放され、長老の部屋の様子が露わになった。
「────っ!!」
それが誰の悲鳴だったのか、あるいは息を飲む音だったのかも分からない。
あたしの目線は、ただただ眼前の光景に奪われていた。
「これは……どうしたことざますか!?」
「ち、違う! 違うぜさっきのは! いつもの冗談のつもりだったんだ! まさか本当に兄貴の奴……」
「こんな時に馬鹿を言っているんじゃあない! 黙っていろ!」
口々に叫ぶ声が聞こえる。
部屋の中央に置かれたテーブルの上に長老が横たわっていた。その両目は見開かれて天井を見つめており、胸の部分からおびただしい量の血が床へ流れ落ちている。
また、テーブルを囲むソファの一つにはペンが突き刺さっており、画鋲のように何かが書かれた紙を射止めていた。
「どうやらスティープル……君の嫌な予感が当たったみたいだね」
「……えぇ、そして最悪なことに遅すぎた……!」
入って左側の窓ガラスには巨大な穴が開いていた。壁一面を覆う窓の中心部分から全体の九割近くをくり抜いたような状態だ。必要な部分だけ割ったとは思えない、明らかに過剰な割り方だった。
だが、その割り方が過剰でなかったら? すなわち、それだけ襲撃者の図体が大きいのだとしたら?
……まずそれが最悪な事態の一つ目。
続いて二つ目は、その襲撃者を見逃したこと。
部屋の右側には長老のベッドの他、浴室やトイレへ繋がる扉があるが、ガラスの割れた左側と比較して明らかに綺麗な状態だった。襲撃者が内部に侵入したとは思えない。
それはすなわち外に逃げたということだ。
遅すぎた……襲撃者の正体はこの状況では最も重要な情報だというのに!
「お、お爺さん……お爺さん!」
「お待ちなさい!」
走り出したエフィの手をペッグが掴む。
「どうして止めるんですの!? 早く傷を手当てしないと死んでしまいますのよ!?」
「いいですか、エフィ嬢。残念ながらその答えは既に出ているのですよ。執事を御覧なさい」
「え……!?」
執事はもう部屋の中を見ていなかった。
後から来た人たちに道を譲るようにして、廊下にじっと立っていた。
「ど、どうしたんですの? お爺さんが……あなたたちの主人が倒れているんですのよ!? どうしてそんな、何の興味も無いって感じで立ち尽くしているんですの!?」
「土礫精の職務は主人に仕えること。その彼らが何もしないということは……」
「あれはもう主人じゃないんだねー」
「その通りです、チョキ殿。土礫精の態度を見れば長老が手遅れなことは明白なのです。高性能な商品ですからな、人間と遺体の区別程度は造作もないことでしょう」
「そんな……!」
「ところでさ、あの紙は何なのかなー?」
チョキがソファに射止められた紙を指で差す。
ペッグが一人で見てくると言い、遺体の側へと歩いていく。そして怪訝な顔で内容を読み始めた。
「『屍食鬼の血を引く者共へ人の痛みを知らしめん ストライク・バック』とのことです。見覚えのある内容ですな」
「同じですの! この前、館に届いた手紙と同じ! イタズラじゃなかったんですの!?」
「イタズラじゃなかったんでしょうね、こうして人が死んでいる以上は……!」
ウェバリーの心配が現実になったというわけか。
「うーん、犯行声明ならもっと分かりやすくしてほしいなー。“屍食鬼の血を引く者共”って誰のことだろう? “者”じゃなくて“者共”だよ?」
「それは確かに深刻な問題と言えますな」
標的は一人ではない。つまり、まだ敵の襲撃は終わらないという明確なメッセージ。
「これってさ、標的全員が屍食鬼だから“共”って呼んでいるの? それともメインの標的が屍食鬼でその周りの人たちをまとめて“共”でまとめているの?」
「急に随分と楽しげな口調、シザースね?」
「あはは、もう僕の顔を見なくても分かるようになってくれたんだね。嬉しいよ、スティープル」
「お願いだからこれ以上、場を混乱させないでよ?」
「分かってるって、エフィの護衛が最優先だもんね。でもだからこそ気になるんだよねー。前者ならエフィは狙われないけど、後者なら狙われるかもしれないわけだしー」
「まったくもう……!」
人が死んでいるのによくあんなに明るく振る舞えるな……!
……いや、シザースだけではない。
「さて、どうやら皆様方に話を聞く必要が出てきたようですな。一度リビングに行きましょうか」
自称名探偵のペッグ。彼もまた、心なしか生き生きとしているように見えた。




