第56話 晩餐
夕方頃から降り出した雨は夜になってますます強くなり、強風を伴ってしきりに窓ガラスを打ち鳴らしていた。
煌びやかな内装も一つ窓を隔てれば暗闇の世界。
ただでさえ余計な街灯が存在しない島だというのに、そのうえ月明かりまで奪われた。
……なんとも悪い時期に来てしまったな。
この悪天候では船はやってこない。
明日の昼、エフィの仕事期間が終わっても悪天候が続いていたらどうなる?
おそらく護衛の期間も一日延びるのだろうが、館に泊めてもらえるということで支障はないか?
色々と聞きたいことはあるのだが、どうしてもそれを口に出す勇気は無かった。
なぜなら──!
「グリーンアスパラガスと生ハムのサラダ、シャングリ鉱泉風ポーチドエッグ添えでございます」
「ソフトシェルクラブのフリット、エビと魚介出汁と香味野菜の生クリームソースでございます」
──格式ばった晩餐の真っ最中だからである。
「土人形とはいえ高い金を取るだけのことはある。一流シェフの最上級コースの味をムラなく再現できているな」
「えぇえぇ、泥の臭いも砂の味もない……怒鳴りつけてやろうと思ったのに、何ともつまらないことざますねぇ、ほほほっ」
クレイブ夫妻は上機嫌に料理と向かい合っている。
どうやらあたしが感じているこの変な臭いも、美味しいのか不味いのかも分からないこの味も、彼らに言わせれば正しいらしい。
「……先程から子供たちが私を見ているようだが?」
「わたくしたちの所作を真似しようと必死ざますよ。貧乏人の貧しい発想ざます」
その通り。
金持ちの食事の作法なんて、まともな教育を受けている子供ですら学ぶことはないだろう。
そんな超難解な学問を解き明かすべく、あたしたちはひたすらカンニングを試みる羽目になったのである。
「あわわ……スプーンを持つ手が震えてきたんですの……」
「分かるよ、エフィ。あたしもだ」
日頃から館に暮らすエフィなら順応できるかと思いきや、普段の食事は長老とは別なうえに、料理の内容も本人の好みに合わせた家庭的なものが一人前きりときた。
そうなれば目の前の前代未聞・複雑怪奇な料理の数々に目を白黒させるなのは必然だ。
別に正しいマナーなど求められていないと頭では分かっているのだが、使用人たちの作り出した厳粛な世界観を目の前にすると、それを開き直って打ち壊す気には到底なれなかった。
「……ふむ、お二方ご夫妻には不快な思いをさせて申し訳ない」
あたしたちの様子を見たうえでペッグが言う。
「名探偵ペッグの教えなのですよ、日頃から観察癖をつけるようにとね」
「ふん、どうりでよく目が合うわけだ。特にそっちの助手の……」
「……ふん」
「こら、ラキュアよ。睨みつけては駄目ですぞ、観察するならバレないように」
先程からラキュアはあたし以上にクレイブたちへ視線を向けていた。
彼女もクレイブからすれば子供側に分類される存在だ。そしてその中では最年長となれば、真っ先に侮辱の的に晒されるのは想像に難くない。
彼女の性格上、ナメられたくないという気持ちもあるみたいだし……あたし以上に心の中では必死なんだろうな。
「それともう一つアドバイスです。観察するなら相手を選ぶことですよ。そなたの前に置かれたグラスは水入りだ。であれば同じく水入りのグラスを頼んだこの私を観察するべきでしょう。今のそなたにはナイフやナプキンの使い方ならともかく、ワインの飲み方は不要ですからな」
そう言ってペッグはグラスを持つ。
大人たちがワインを注がれる中でペッグだけはワインを断っていた。
曰く『名探偵たるもの酔いによる判断力の低下は天敵である』とのことだ。
その時は『自分に酔ってるなぁ』と心の中で思ったものだが、いざ食事が始まって大いに驚かされたものだ。
なにせペッグもまたクレイブ夫妻と同様に、この場に相応しい完璧な所作だったのだから。
裏切られた気分……どれだけペッグを見下してたんだって話だが。
……ところで、残るもう一人の大人枠アドヒースはどうかというと……。
「ガツガツ……ズズッ……ジュルリ……っかァァァーッ!」
駄目な見本。
料理を咀嚼する音、ワインをがぶ飲みする音、食器を打ち鳴らす音、この空間内における音のほとんどが彼の席から聞こえてくる。
食前、彼は『自分が最底辺になればマナーを知らない子供たちが気楽になれる』と言い訳をしていたが、気楽どころか不快でしかなかった。
「それで? いつになったら俺たちは会えんだよ、親父によォォォー?」
一人だけ先に食事を終えたアドヒースが、食後の紅茶に口をつけながら言う。
「家族が揃う食事の場だってのに降りてきやしねぇ。それとも警戒してんのか? 同じテーブルを囲めば毒殺される可能性が高まるもんなァァァー」
「毒物の混入は我々、土礫精が検知可能です」
「本日の料理に我々の認知しない物質は塵一つ含まれていないと判断します」
「はははっ! そりゃあそうだ、この状況で狙った一人だけを毒殺するなんざ不可能だもんなァァァー安心安心」
「な、なんだかエフィは口の中が酸っぱくなってきたんですの……」
「大丈夫よ、元々そういう味だから……たぶん」
料理の味が分からないのに変わりはないとはいえ、まだ食事をしているというのに、毒物の話をしないでほしいものだ。
クレイブたちは冷めた目でアドヒースを見ているあたり、あたしが気にしすぎなだけか?
ただアドヒースはそれが気に食わない様子だった。
「はっ、なんだよその顔は? つまらねぇ物を見るようなその顔はァァァー!?」
「ふぅむ、この名探偵の歩んできた歴史を紐解けば皆さんを唸らせる毒物の話ができるのですが。よろしければ食事の後でお話しましょうかな」
「そんな話を聞きてぇわけじゃあねェェェーッ!!」
「ひっ!?」
ガシャンと音が鳴った。アドヒースの大声に驚いたエフィがナイフを皿に落とした音だった。
だが、それを咎めたり卑しい目で見つめる者はいなかった。
「いつまでこんなくだらねぇもてなしを続ける気だ!? 俺にとっちゃここは実家でも旅行先でもねぇってのに! さっさと死にぞこないの老いぼれを引きずり出せ! 遺言を吐かせろやァァァーッ!!」
一同が静まり返る。
無礼だった。さっきまでの食事の作法が些細に思えるほどの、本気の無礼だった。
「……はははははっ!」
クレイブが笑う……ワイングラスの中身を存分に楽しみながら。
「相変わらずの子供っぷりだな。私の前では余裕ぶって勝った気になっていたのだろうが、ほんの少し焦らされただけですぐこれだ」
「おっほっほ! なんとみっともない姿ざましょ、貧しい男!」
後に分かったことだが、アドヒースはこの時点で相当な鬱憤を溜め込んでいた。
彼は自分が十分な額の遺産を貰えないであろうことは予測していたが、言及されていない以上は無視するわけにもいかず、こうして親の呼び出しに応じてきたのだ。
だが、その見え透いた結論をペッグはいつまでも話すことなく、こうして初日の夜を迎えている。
そのために嫌悪するクレイブ夫妻と長い時間を共にし、嵐の直撃まで受けてしまった。
彼からすれば時間の無駄でしかない。
「誤解しているようですが、アドヒース殿。私は決して意地悪をしているわけではありませんよ」
ペッグがナイフとフォークを静かに皿に置きながら言う。
「遺言状には時期というものがあるのですよ。今回のように生前の発表ともなればなおのこと。確かに書状そのものは私のカバンにありますが、それを遺族の方へ公開する時期は長老の意思によって厳格に定められているのです」
「だったらその時期とやらに呼びつけりゃいいだろうが! そうりゃ見たくもねぇツラのクソ共と卓を囲む必要も無かった! 違うか!? あぁ!?」
「ふん、違うな。私が親父なら君が遅刻すると考える。昔から君は時間にずぼらだし、遅刻すれば私への嫌がらせにもなる。時間に余裕をもって呼びつけるのは至極当然と言えるだろう。それで公開はいつだね?」
「…………良いでしょう。明日の午前中です。それまでには公開します。これでいかがですかな?」
「はっ! なら寝て起きればすぐだな! 俺は先に消えるとするぜ!」
「アドヒースにしては良い心遣いざますね! これで食事の味が良くなるざます!」
「どれ、ワインをもう一杯もらおうか」
長男夫婦がご機嫌な状態で食事が再開される。
明日の午前中……ちょうどエフィの仕事期間が終わるまでか。
「……何か変なの」
ペッグは館に着いてすぐ長老と話をした。全員が揃ったことは周知済みのはず。
それなのに、わざわざ事前に決めた公開の時期を律儀に守るのだろうか。いつ亡くなるかも分からない状況だというのに。
それとも何か理由がある?
明日の午前中でなければならない理由。あるいは、今日中ではいけない理由。
「スーちゃん? 何か言ったんですの?」
「…………」
黙って微笑みながら首を横に振る。
壁にかけられた時計は静かに針を回していた。
──今日が終わるまで残り五時間弱。




