第55話 どいつもこいつも
あたしたちがたどり着いた三階には、両側に窓が一つずつあるだけの短い廊下と、ただ一つの両開きの扉が待ち受けていた。
左側の窓は開いていた。外を覗くと、一階のリビングの真上に位置することが分かる。
察するに、エフィはここから落ちたようだ。
「あ、危ないから出ちゃ駄目ですのよ! スーちゃんはエフィと違って、落ちたらタダじゃ済まないんですの……」
エフィは頬を紅潮させながら、そそくさと窓を閉めて鍵をかけてしまった。
一体どうすればこんな所から落ちることができるのやら。
「……コホン。お爺さん、エフィですの」
そう言って彼女は扉をノックし、耳を当てて中からの反応を待つ。
三階に上がってから数歩を進んだけで、そこから先は長老のプライベートスペースだ。
「ンッンン!」
返事の代わりに聞こえてきたのはか細い咳払いだった。
普通なら偉そうな態度だと思うところだが、病床の長老では入り口まで届くような大声を上げられないのだろう。
「ふん、馬鹿でかい部屋なんて作るからよ……金持ちのツケ」
「ラキュアさん、しっ! ニカワちゃんはついてきていないですのよね?」
「うん、いない」
エフィの問いかけにラキュアが頷く。
「長老は犬が嫌いなの?」
「神経質なのよ。不潔だの何だの、色々とね……」
腹立たし気にラキュアが言う。
この感じだと、以前にニカワ関連で嫌な思いをしたのだろう。
「じゃあ、入るんですのよ」
片方の扉だけをわずかに内側へと押し込み、あたしたちは中へと入っていく。
しっかりとお金をかけて作られたであろう扉の大きさや、頑丈な作りの内鍵。それが今ではすっかり無用の長物と化していた。
そして部屋の中は……部屋というより大広間というべき空間だった。
正面に見える壁は一面が本棚となっており、隙間なくびっしりと小難しい本で埋め尽くされている。天井まで届く高さの梯子付きだ。
部屋の真ん中には大きなテーブルが複数個と、それらを囲むソファ。あたしたちが先程までいたリビングとは別に、来客と長老で使用する第二のリビングという目的なのだろう。
左側は壁一面が窓となっており、その手前に書斎と思われるテーブルと棚が並んでいる。ガラスの向こうにはベランダがあり、そのすぐ近くに松の木が何本かそびえ立っているのが見えた。
右側にはトイレや浴室へ続くと思われる扉と、ベッドにいくつかの洋服ダンス。後は一人用の小さな椅子と棚に置かれた五つの水槽だ。赤、青、緑、黄、白というように五つの水槽は魚の色で色分けされており、この静かな空間の中で動きのある唯一の存在となっていた。
そしてエフィを呼びつけた長老は、小さな椅子に腰掛けながらその魚たちを見つめていた。
「呼び鈴を増やすべきか……」
かろうじて聞き取れるほどの掠れた声で長老が言う。
椅子の傍らに置かれた杖を手に、染み一つ無い大理石の床をコンコンと叩きながら彼は続けた。
「あるいは床にそういう仕組みを入れるべきか、動かずともお前を呼べるように……いや今更か」
「お爺さん、呼び鈴なら枕元にあるんですの。ベッドで休んでいればいつでもエフィを呼べるんですのよ。最近はこれから苦しくなるって時が分かるようになってきたって、そう言っていたじゃないですの」
「老人がベッドに入ればそれは死ぬ予兆だ。わしはまだ……グゥゥゥッ……!」
「あぁ、もう! 処置するからとにかくベッドに戻るんですの!」
長老はすっかり曲がりきった腰を杖で支えながら立ち上がり……なおも崩れそうになった所をエフィの手を借りて、ゆっくりとベッドへと歩き出した。
「あれがグルーの長老……」
写真で見た顔とは同じであるが、その雰囲気は別人のようにすら思えた。
「しぶとい奴よ。私と初めて会ったときから……ああやってずっと死神と睨み合って自分の方が偉いんだって図太く……ずっとずっと……」
あたしにだけ聞こえるようにラキュアが言う。
彼女の姿はもう部屋の外……長老と顔を合わせるつもりはないようだ。
「その子供は……?」
「……!」
自分のことだと気づき、視線を部屋の中へと戻す。
長老があたしの存在についてエフィへと問いかけている最中だった。
「スティープル、スーちゃんと呼んでいますの。エフィを迎えに来てくれた友達で、今は護衛をしてくれるんですのよ」
「護衛……だと?」
にわかには信じられないだろうな。
まぁ、この老人には無関係の話だし、自分から護衛らしさを見せるつもりはない。
ただエフィの友達として、そして来客として一言だけ挨拶をしようと思い、ベッドの方へと一歩を踏み出し──。
「ギルド・カートリッジから送られてきたのか」
「え……?」
──あたしの足が止まる。
カッと見開かれた長老の目がハッキリと主張していたのだ……『そこで止まれ』と。
「エフィ、そいつを追い出せっ! 今すぐに、わしの体のことよりも先にだァァァーッ!!」
「っ!?」
「ゲホッ! ゲホッ! オ……オォォォ……ッグ!」
「お、お爺さん!? 叫んじゃ駄目ですの!」
な、なんだ? あたしに向かって……長老は何を怒っている!?
「は、入るな! それ以上……ォゲ……部屋に入るな……出ていけ……!」
……いや、違う。怒りではない。むしろ……恐れ?
「エ、フィ……そいつを……わしの部屋……に……」
「わ、分かった、分かったんですの! スーちゃん、後はエフィが何とかしますからちょっと部屋の外で待っていてほしいんですの!」
「う、うん……」
長老に何が見えているのかはさっぱり分からなかったが、あたしが部屋にい続けることで長老が死へと追い込まれているのは分かった。
すぐに部屋を出て、音を立てないように扉をゆっくりと閉める。
……きっと正気じゃないんだろうな、とは思ったがこうも拒絶されるとショックなものだ。
「ねぇ、ラキュア。いつもこんな感じなの? ……ラキュア?」
彼女はもうそこにはいなかった。
代わりに階段を上ってくるメイドと目が合った。
「主人の命令は既に完了しています。命令を再設定します。現在の命令は『主人と客人の世話をする』となっております」
「は? え、えっと……あたしに何か用?」
こいつもか。どいつもこいつも話が見えてこない奴らばかりで疲れてきたんだが。
「私は主人の命令『スティープル様を部屋から追い出す』を遂行するために駆け付けました。しかし命令は既に完了していたため、スティープル様への用事は現在ありません。用事を申し付けるのはスティープル様の方です」
「あぁ、そう。じゃあ、あたしが今から部屋に入ったら、あなたはあたしを追い出そうとするのね」
「いいえ、既に命令は完了しています。再度、命令を受けない限りはスティープル様を止めることはありません」
「そ、それでいいんだ……」
主人の望みとは違うだろうに。なんとまぁ、ちゃんとしているというか融通が利かないというか。
「あれ? ラキュアさんがいないんですの」
「エフィ、もう終わったの?」
エフィが扉を開けたのを見て慌てて身を引く。幸いにもあたしの姿は長老から見えずに済んだ。
「ラキュア様ですが、現在ニカワ様を追いかけて走っています」
「あらあら、微笑ましい光景ですのね」
「あたしの目には悲痛な光景が浮かんでくるけど……」
仕方ないのでラキュアは放置するとして、メイドと共にあたしたちはリビングへと戻ることになった。
チョキとペッグはもう話を終えて戻っているだろうか。
「あ、スティープル! おかえりー!」
あたしたちがリビングに戻るなり、いの一番にチョキが声を上げる。
部屋のテーブルではクレイブ、アドヒース、ペッグの三人がトランプに興じていた。ディーラーは執事だ。
良かった、どうやら殺伐とした雰囲気は緩和されているようだ。
「チョキ、さっそくだけど聞いてもいい? 場所を移す?」
「ううん、隠すような話でもなかったよー」
一体、ペッグは何の話をしてきたのか?
それを話すチョキの態度からは深刻さが伺えなかった。ペッグ本人がいる部屋で話すのは憚られるかと思ったが、万が一聞こえていても問題はないとばかりに彼はいつものように話し始める。
「僕たちが──」
「ちょっとあんた! どこへ行っていたざますか!?」
……なんとも盛大な妨害だった。
幸いなのはそれがあたしたちではなくメイドに向けられたものだったことだが、やはり場所を移すのが正解だったか。
「割り込みの命令につき主人の部屋へ向かいました」
「だったら火を消していくざます! 鍋に火をかけっぱなしで出歩くな、なんて子供でも知ってるざます! あんたはそれ以下のポンコツ知能ざますか!?」
「現在の調理過程において加熱を中断した場合、味への悪影響をもたらす可能性があります。また割り込みの命令に要する時間は調理に要する加熱時間よりも短いと予測されます」
「味じゃあなくて火事ざます! 火事になったらどうするざますか!? わたくしたちの命が脅かされたらどうするざますかっ!?」
「熱と煙の観測により火災の発生を検知します。その後は迅速な消火活動を行うほか、並行して救命活動を──」
「そういうことじゃあないっざますゥゥゥーッ!! 人殺しっ! 人殺し人殺しっ!!」
「…………」
ミューシーの怒りに晒されながらもメイドは毅然とした態度を取り続け、それが更なる怒りを掻き立てる。
“人殺し”か……アドヒースもずっとクレイブ夫妻をそう言っているな。
もしかしたら長老の見せた拒絶も同じだっただろうか。
見知らぬ来客のあたしを人殺しと疑って恐れる。人間の使用人を恐れて土礫精を雇ったという噂がある以上、無いとは言い切れない。
それにラキュアだってそうだ。あの被害妄想の根底には死ぬことや殺されることへの恐れがある。
まったくどいつもこいつも……!
「えっとね、それで探偵さんだけど……」
チョキが気にせずに話を続ける。
「僕たちが人殺しなんじゃないかって」
「ああもう! どいつもこいつも人殺しに執着しすぎだァァァーッ!!」
ピシャァーン!!
「雷が鳴りました」
「雨が降り始めました」
雷鳴の創り出した静寂を二人の使用人が破ると共に、窓ガラスを叩く雨音が鳴り始めた。
「天気急変の割り込みにより現在の命令は上書きされました。現在の命令は『館内の窓を閉める』、『洗濯物を取り込む』となっております」
誰に言うでもなく、執事はトランプを放り出して廊下へと走っていく。
「あ? これで終わり? ようやくノッて来た所なのによォォォー」
「ふん、代わりならいるだろう。そこの子供たち、どちらでもいい。トランプを配りたまえよ」
「はははっ! 負け分を取り戻さなきゃあならないからな。まったく金稼ぎの才能が無い奴は惨めだよなァァァー」
「相変わらず発想力のない男だ。私が金を稼ごうとしているように見えるのか? 私は君の金を奪い取ろうとしているのだよ。そうして奪った金は全て海に捨ててやる」
「……スティープル、ディーラーやる?」
「…………」
「だよね、じゃあ僕がやってみるよー」
結局、チョキからの報告はそれで打ち切りになった。
このとき彼の言葉に真剣に耳を傾けていれば……あたしがそのことを後悔するのはもう少しだけ先のことになる。




