第53話 倒れた少女
エフィが上から落ちてきた? それを伝えに来たって……!
「何を呑気に打ち解けてるんだよお前はっ!?」
「うおっ!?」
急激に膨れ上がった怒りが爆発するかのような勢いで声へと変わり……あたしはアドヒースの手へと掴みかかる!
「な、何だよいきなり大声出すんじゃあ──」
「リビングはどこ!?」
「右に曲がって左手側にある最初の部屋……」
「行くよ、チョキ!」
「うん!」
『ファングド・ファスナー』で聞き出した部屋へと走りこみ、閉じ切っていない扉を体当たりで荒々しく開け放つ!
中にいたクレイブ夫妻は椅子から立ち上がった状態で窓の方を向いていた。
さすが大富豪の館だけあってリビングの広さも普通ではなかったが、今は何も感じなかった。
リビングの外……舗装された道と島本来の土の境界線。
ああ、少女が仰向けで──!
「エフィ!」
鍵もかかっていない窓から外へと飛び出し、少女の名を叫ぶ。
一瞬だけガラスに映ったあたしの顔のなんと無様なことか。
当たり前だ。あたしは護衛に来たというのに、その相手が出会う前から……!
「はわわわ……」
「へ?」
少女は……むくっと起き上がった。
「ご、ごめんなさぁい! 落っこちちゃったですの……あれ? 見たことない人ですの」
「ひえええっ! 死体が! よ、よ、蘇ったざます!」
…………。
何だこの温度差は?
後ろから響くミューシーの金切り声は、間違いなくただ事ならぬ雰囲気なのだが。
一先ず、あたしはできるだけ冷静な口調で少女へと語りかける。
「大丈夫なの? えっと……エフィ?」
「もちろん! ちゃんと安全な所に落ちるように考えながら落ちたんですの! このエフィ・ルレッド、だてにこの館で二年間も働いているわけじゃないんですのよ!」
えっへん、とでも聞こえてきそうな感じだ。
とてもさっきまで倒れこんでいたとは思えない。
「あはは、良かったねスティープル。取り越し苦労だったみたい」
「ほ、本当に? なんか全身ズタボロに見えるんだけど……」
エフィの見た目はウェバリーから見せられた写真とおおよそ似通っていた。
短髪ながら左目だけ前髪で覆った青い髪に、やせ細った体付きだ。
服装は写真では布切れだったが、今は子供用のかわいらしい洋服に変わっている。ただし上から下まで黒を基調としていることと、千切れたり穴が開いたりとボロボロな点が一致している。特に膝下と肘から先が酷く、袖と裾が引き裂かれていて、真夏の炎天下で騒ぐ男の子のような格好だ。
おまけに手足には大量の包帯が、それこそ素肌を覆い隠すほどにグルグル巻きにされている。
「少なくとも落下してきたことで新しく怪我は増えてないんじゃないかな」
「う……うーん? そうなの?」」
確かに地面に血が流れているわけでもなく、包帯から血が滲んでいるわけでもない。手足を見ても骨折しているようには見えない。
そして何よりエフィ自身に痛がる素振りが見られない。
だから大丈夫ということで安心……していいのか?
「生きているなら結構。ハァ……まったく、さっさと事情を聞きたまえ」
あたしの心配とは裏腹に、リビングの中からふてぶてしい態度の声がした。
ミューシーはまだ気が動転しているようだが、クレイブは落ち着いた様子で椅子に座り、こちらを睨みつけていた。
「ペッグならそうするぞ。探偵か弁護士か小説家か……なんにせよな。君たちもやってみたまえよ、見ているだけじゃあなく同じ体験をしてみるといい。ペッグの職業見学で来ているのだろう?」
「違うわよ、エフィの護衛」
あ、言っちゃった。まぁいいか、チョキだってもう隠す気も無いみたいだし。
……と、エフィが何やら楽し気な表情であたしたちを見つめていることに気付く。
「護衛? じゃあ二人がチーム・ツーサイドのスーちゃんとチョッくんですのね!」
「スーちゃんって……」
あ、あたしのこと……だよな?
「同い年の子とお友達になれるなんてエフィ初めてですの! ウェバリーさんから知らされてからずっと楽しみだったんですのよー!」
「あはは、ニックネームってことだねー。僕はいいよ、チョッくんってかわいいし。スーちゃんは?」
「あんたは普通に呼びなさい! まったく……あたしも別にいいけど」
「わーい! お友達ですのー!」
少しくすぐったい気分だ。
同い年……かは知らないが、年の近い女の子と親しく話すのは初めてなんだよな。
最初はタダ働きみたいな感じで気が進まなかったけど、これなら来て良かったかもね。
「私は親交を深めろと言ったかね?」
「え?」
感情を抑え込むような口調でクレイブが言った。
この口調には覚えがある。船の中で船員に向けていたときの口調だ。
「事情を聞けと言ったのだっ! “さっさと”とも言ったっ! 私の貴重な時間を別の用事に費やすんじゃあないぞ! この軽挙妄動な単細胞どもがァァァーッ!!」
ああ、やはりというべきか、それは怒鳴り声の予兆だった。
だが叱られている気はしないな。単に苛立ちをぶつけられているような感覚だ。
「長男のおじさん、すごい怒ってるねー。目の前で人が落ちてくる光景を見せられたから気分が悪いのかな」
「は、はわ!? エフィのせいですの……!?」
「だからって怒鳴らなくてもいいと思わない? 聞きたいことがあるならあたしを介さずに自分で聞けばいい話だし。というか、そもそもよ!」
怒りが伝染する。
「怒鳴りたいのはあたしの方よ! あんたら子供が倒れてるのに何をボサッと突っ立ってるの!? 助けるどころか近寄ってすらいなかったじゃない! そんなにエフィが元気そうに見えたの!?」
「はん! 冗談じゃないざます! 頭を打ち付けるように落ちてきて、倒れたまま起き上がらなかった……あんな恐ろしい瞬間があるざますか!?」
「あはは、たぶんおばさんの方は身がすくんで動けなかったんじゃないかなー」
「あぁ、そう。確かにそういうこともあるのかもね。でもクレイブはどうなの!? 随分と冷静に見えたんだけど!?」
「冷静だとも」
クレイブが腹立たしげに言葉を返す。
「『助ける』だと? 私が医者にでも見えるのかね? 馬鹿馬鹿しいことに子供はすぐそういう考え方をするのだ、“大人なら何でもできる”とな。そうだ、これをチャイルド・バイアスと名付けよう。私の経営書の一ページにして世の中に浸透させてやる」
「あんたの野心は聞いてない! たとえ医者じゃなくても近寄って無事を確認するくらいはできるでしょ!?」
「ほう? そんなことをして、その子供が死んでいたらどうするつもりだ?」
「は……?」
クレイブが厳しい口調で言う。
あたしの口が勝手に答えることはなかった。彼の言葉が問いかけではなく、指導のような物言いだったためだ。
そこには“私が間違いを正してやる”という深い傲慢さが満ち溢れていた。
「物事の綺麗な面しか見たことが無い子供たちよ、よく考えたまえよ。死体が一つと、その傍らに男が一人……別に医者でもないただの男だ。後からやってきた人々はそれを見てどう思うかな」
「ど、どう思うって……別にあたしは何とも……」
「自分基準で考えるんじゃあないぞ。君たちは事故のことを知っているじゃあないか。そうじゃあない、例えばあのヒステリックな女……誰だったかな、ペッグの助手の……あの女ならどうだ?」
ラキュアがこの状況をどう思うか……?
「殺されるんだあああああっ!!」
「っ!?」
「エフィが殺されて、私も殺されるんだあああああ……ああ……あれ?」
あたしが答えるよりも先に本人が現れた。
リビングに入ってから叫んだのではなく、叫びながら入ってきた。そして事態を把握して落ち着いたようだ。
その声量が思ったより大きかったのか、クレイブは一つ舌打ちをしながら言う。
「自分の身の危険を訴える点が余計だが……どうだ? もしもその子供が死んでいたら、今頃こいつは“側に立っている男が殺した”と騒ぎ立てていただろう」
「それが何よ。そんな誤解なんてすぐに──」
「解けるかバカが! アドヒースがいるのだ! あの男は死体を指して“我々夫婦の共謀”だと主張する! その女の被害妄想を真実にすり替え、噂として世の中に伝播させる! 分かるか!? 私の失墜に繋がるのだ!」
「な、何よそれ……? 考えすぎよ。どっちが被害妄想か分かったもんじゃないわ」
「ならアドヒースの行動をどう説明する? あの男は実に“のんびりと”人を呼びに行ったのだぞ!」
「あ……!」
それは……確かにそうだ。
あたしが思わず叫びだすほどには、アドヒースは呑気だった。それは事実だ。
「分かったか!? 全ては計算づくなのだ! 子供が死ぬ時間と、私が近づく時間を作るために! 私をはめることしか考えていない! あの妄想癖の俗物めがァァァーッ!」
「呼んだかァ? ……って何だよ、そいつ生きてたのかァァァー」
入り口にはニヤニヤと笑いながら入室するアドヒース。
……何なんだよこいつは!
「すごい一族だねー」
チョキがあたしを宥めるように、優しい口調で言った。
「一つ分かったのは、長男のおじさんが不機嫌だったのはエフィが落ちてきたせいじゃなくて、次男のおじさんが悪いこと考えていたからってことかなー」
「そうね……ハァ、他には分からない……」
……分かるわけがない。
目の前で一人の命が失われているのかもしれないのに、そこで考えることが“兄を貶める材料に使えそう”だの“弟の言いがかりに備えた方がいい”だのと。
あたしの思考回路とは次元が近いすぎる。
あたしも少し身の振り方を考えた方が良さそうだな。彼らに何か頼んだりすることがないように。




