第50話 海上の乱入者
イルカのような優雅な動きで海面から飛び出した生物の姿は、自然さとは程遠い歪で醜悪なものだった。
顔の部品や手足は人間のそれと同じ配置でありながらも、皮膚の色は濃密な青色であり、体毛の代わりに魚鱗で覆われている。
さらに胴体部分は鎧のような形状の灰色の鱗で、水滴が太陽光を反射して光っていた。
「な、なんざますかぁっ!?」
「おいおいおいィィィー」
「シュアアア……」
ミューシーが素っ頓狂な声を上げれば、アドヒースが引きつった苦笑いを見せる。
船体に着地したそいつは、体から海水を滴らせながらあたしたちの顔を順番に見回していた。
「ワン! ワン!」
「ニカワ、駄目! そんな煽ったら狙われるから……狙われるからああああっ!」
「落ち着いてラキュア。大声を出せば、むしろあなたの方が狙われる。それにニカワが吠えているのはそいつじゃなくて……!」
とても嫌なことに気付いてしまった。
ニカワが吠えている相手は敵のさらに後方。すなわち海の方だ!
「シュウシュウ……」
「シュギィッ!」
「あ……あああああ! まさか集団で!? 集団で食い殺されるううあああああっ!!」
二匹、三匹と船体をよじ登ってきた個体が姿を晒す。
その向こうには、さらに何匹もの個体が海面から顔だけを覗かせて船を睨みつけていた。
「魔物の出る航路じゃあねぇってのに……集団で動く半魚兵団? 間違って迷い込んだ数じゃあねぇし、親父のイタズラか? タチが悪すぎるよなァァァー」
「め、めでたい頭ざますねアドヒース! わたくしは逃げるざますよ! あんたらはさっさと船員を呼んで──ふんげっ!」
ミューシーが背を向けて駆け出した……瞬間に、足がつんのめって転倒した。
その様子をサハギンの目はしっかりと目で捉えていた。
獲物に逃げられると思ったのか、援軍を呼ばれると思ったのかは分からないが、とにかくサハギンは最初の標的をミューシーに定めた。
「がっ! た、助けっ……!」
「ははっ、こいつはお気の毒ゥゥゥー」
半狂乱になってもがく義姉の姿を見ながら、アドヒースはやや控えめな動きで距離を取る。
なるべくしてなったのだと、そんな哀れみの欠片も無い無情な表情だった。
「シザース、敵襲よ! 群れで来ているわ!」
あたしは船室に叫びながらサハギンの背を追う。
でも間に合わない……サハギンの方が早い!
「『デュアル・ブレード』!」
ガキィン!
甲高い音が鳴る。
少年は剣と共に、あたしの進行方向から颯爽と登場した。
「この鎧は……皮膚の一部だね。刃を当てただけじゃ命令できないや」
「シザース、いつのまに部屋を……!?」
「敵襲よりもずっと前からだよー。色んな人の声がうるさいんだもん」
「ああ言われてみれば……」
もしかして、あたしも場の空気にあてられて叫んでたりした?
よく覚えてないな……そんなはずがないとも言い切れず、少し恥ずかしくなる。
「ひとまずそっちは任せたわ! あたしはラキュアの方へ戻らないと!」
「一人で大丈夫?」
「無理!」
本音が漏れる。
あたしたち二人に対して敵の数が多すぎる。どう考えても手が足りない。かといって冷静に策を練る猶予はない。
そもそもラキュアが混乱している限り、この場に冷静なんて言葉を持ち込むのは不可能だ。
「ラキュア、敵が上がってくる! そこから離れて!」
「で、でもニカワが! ニカワ、早く私の方に……!」
「ギャワンギャワンギャワン!」
「そんな! ニカワが私を置いて……! あ、ああ……そうなんだ! 私も魔物と一緒で邪悪な存在なんだああああああっ!!」
「あーもう! 悲観してないで逃げろってぇっ!!」
ラキュアへと迫るサハギンの右手へナイフを振るう。手首の部位は鎧に覆われてはいなかった。
「ジシャァァァァァッ!!」
サハギンの手首が吹っ飛んだ。
そいつはすぐさま半狂乱で走り去り、海へと飛び込んでいく。
いくら鎧に覆われていないとはいえ、この切れ味。……このナイフ、あたしの予想以上に良質な代物らしい。
だが、事態はまるで好転しない。
「シギィ……」
「シュウウウ」
サハギンたちはさらにその数を増やし、あたしのナイフを食い入るように見つめている。
あたしに狙いを定めた……?
何を考えているか分からない、不気味な眼球の整列に思わず恐怖を覚える。
ラキュアはまだあたしの後ろにいるのか?
彼女を庇いながら、この数を正面から突破するなんて不可能だ。
「血が流れてる」
「え……!?」
唐突に、あまりにも唐突に……ラキュアが言った。
ちらりと振り向いた先で、彼女が浮かべていた表情は同じだった。先程と同じく、恐怖に乱れた表情。
ただ声だけが、叫び声の在庫が切れたかのように豹変していた。
「血が流れてるなら頑張れる……私は悪夢の中にいるんだもの」
「ど、どうしたの? 大丈夫よ、これは襲ってきた魔物の血。あたしもあなたもどこも怪我なんて……」
「夢の中なら頑張れる……戦える。『氷塊』!」
ラキュアの手の上に冷気が集まり、膨張する。
やがて自身の体格よりも大きな塊となった所で、サハギンたちへと放たれる。
これは……魔法だ!
「シッシッ! ブシャァァァーッ!」
他の個体よりも体格が大きい一匹が、氷塊の前に両手を広げて立ちふさがる。
受け止める気だ。
「夢の中なら頑張れる……何にだってなれる」
カシャン!
あたしは目を疑った。『何にだってなれる』、まさか本当に!?
一瞬のうちに、ラキュアの言葉通りに氷塊が姿を変えていた。
殻を破ったという表現がぴったりだった。
氷塊が内側から破裂したかのように細かな破片となって飛散し、そのさらに内側から別の形の氷が出現した。
それは氷と呼ぶにはもったいない芸術的な形状の代物。
三つ又の槍……それが何本も飛び出してきた!
「シャギャッ!?」
「ジャシィィィィィッ!!」
立ちふさがった個体の脇をすり抜けて、氷の槍が後ろの個体へ襲いかかる。
ほんの一度の魔法だけで何匹もの敵が傷を負い、床に倒れこんだ。
「すごい……こんな奥の手を隠し持っていたなんて!」
「や、やっちゃった。そんなつもりじゃ……そんなつもりじゃあああああ!!」
「あ、ちょっと!?」
走り去っていった……情緒が不安定すぎるな。
さっきと違って足が動いたあたり、怖がっているというより恥ずかしがってるようにも見える。
「すごいねー! スティープル、僕たちも負けてられないよー!」
「そ、そうね……何はともあれ数は減らしてくれた」
サハギンたちは戦闘不能とまではいかないものの戦意喪失の状態だ。よろめきながら海へ逃げ帰っていく何匹かの姿が見える。
まだ向かってくるのは……あたしの前方にいる二匹と、シザースが食い止めた一匹か。
「スティープル、そっちに──」
「シャァァァァァッ!!」
「っ! 三匹ともあたしの方に……!?」
前後から挟み撃ちにする気か……!
なら、あたしもシザースの方へ向かって走るか?
孤立している一匹を逆に挟み撃ちに仕留めれば二対二に持ち込める。
「──行った奴は無視して」
「……!」
彼の不敵な笑みで察した。
その言葉を信じ、あたしは何の躊躇いもなく、前方の二匹へ向き直る。
「シャシャシャッ!」
「ジャッ!?」
その無視した一匹はあたしの横を通り過ぎ、他のサハギンへと殴りかかった。
既に仕留めて命令していたわけだ。おそらくラキュアの魔法に気を取られた隙に。
「相手が魔物で良かった。同士討ちの強制なんて。これが人間相手ならあたしは引いていたかも」
「あはは、えげつないよねー。でも安心してよ。僕が命じたのは仲間を力付くで追い返せってことだけ。殺せだなんて言ってないよ」
「あなたがそれを楽しんでないっていうなら安心できるんだけど……まぁ、いいか」
突然の裏切りに奴らは大混乱だ。そのおかげであたしが動く隙が貰えた。
甲板に置かれた木箱を開け、中の物をシザースへ放り投げる。
「シザース、ついでにそれに命令できる?」
「これは釣り糸……?」
「船員の私物だと思う」
「いいよ、任せて。『デュアル・ブレード』!」
シザースの手に渡った釣り糸がサハギンたちへと伸びる。
同士討ちに気を取られていたそいつらは、あっさりと体に糸を巻き付かれてしまった。
「それで、次はどんな命令がいいかな。締めさせる?」
「いいえ、それじゃ足りない。噛み締めるのよ!」
サハギンの皮膚に接した糸の表面に、大量の口が顕現する!
「『ファングド・ファスナー』! 釣り糸にあたしの口を仕込んでおいた! 全身を千切られて死ぬか、それが嫌ならさっさと失せろ!」
「ジャアアアオオオオォォォッ!?」
最後まで残っていたサハギンたちも敗走していく。
魔物たちの着水音が何度か響いた後、船はようやく本来の様相を取り戻した。
……ちょっと甲板が汚れすぎたけど。
「は……はがが……」
「いやいやお見事お見事ォォォー」
ミューシーとアドヒースの声が聞こえる。
負傷者は無し。魔物の襲撃という事件を無事に乗り越え、船はグルーの島へと航行を続けるのであった。




