第96話 送り火
巨大な人間に見つめられて、乱暴に左右に振られながら運ばれて、何百メートルも先の地面が急接近してくる光景を見せつけられる。
虫かごで運ばれる昆虫の気持ちが分かったような気がした。
「ラキュアの瓶はここに置いておく。大事な友達がすぐそこに見える特等席」
「おげっ……ハァ……ハァ……!」
ニカワの入った瓶の隣に、寄り添うように私の瓶が置かれる。
手を伸ばせば届きそうな距離なのに、絶対に超えられない大きな壁で遮られている。
「ぐっ……っ……!」
酸素が体に取り込まれていないのか、吸う力そのものが弱まっているのかも判別できない。
暑くもないのに汗が滴り落ちてくる。
たいして時間は経ってないはずだが、大量に魔力を消費しているうえに、私自身へのダメージも影響しているようだ。
「じゃあね、ラキュア。あなたが死んだ頃にまた来るよ」
「……え? わ、私も!?」
「何を驚いてるの? タッキを殺そうとして返り討ちにあったくせに、まさか生かしてもらえるなんて思ってる?」
「だ、だって! ラキュアの存在は遺産相続のために絶対に必要なのよ!? あなたの依頼人が葬りたいのはニカワだけのはずでしょ!?」
「はぁ?」
……駄目だ、私の言葉を信じていない。
長老のことだ。情報が漏れる可能性を潰すために、自分の目的や依頼の背景までは教えていないのだろう。
それにおそらく、私たちが島にいる間に事が終わると踏んでいるんだ。だから受諾側が飼い主と鉢合わせになることは想定していないし、“飼い主に手を出すな”という制限も設けていないんだ。
「ふん、つまらない嘘をつく奴。もういい、さっさと死になよ一人で」
「……トドメは?」
「言わなかった? タッキは手を出さない。閉じ込めるだけで勝手に死んでいくのに、わざわざ手を下すまでもないでしょ? タッキの心は痛まない、最高の殺し方」
そう言って、タッキは素っ気なく私に背を向けた。
それが今生の別れだとは思えないほどに、あまりに素っ気ない態度だった。
──だから私も素っ気なく言う。
「……これのどこが殺しなの?」
私の声にタッキの足が止まる。
彼女のその態度で分かる。
私だからこそ分かる。
「タッキ・ファイア、あなた人を殺したことないでしょ?」
「…………なんだって?」
「私が死ぬまで放置して、自分は素知らぬ顔? そんなの“見殺し”でしかない。私の知ってる“殺し”とは全然違う」
セパとハクリリ。二人の最期が頭の中に蘇る。
「あなた人が死ぬ瞬間に立ち会ったことはある? 人間の顔や体が、死ぬ前と死んだ後で、どう変わるのか見たことはある? 断末魔を聞いたことはある? 痛みや苦しみを訴えるのとは訳が違う、迫りくる死に対して叫ぶ本物の断末魔ってものを」
「黙れ……!」
「殺しに向き合うのが怖いの? 心の痛みに耐えられないの? それでも人殺しは名乗りたいって? 人間ナメんのもいいかげんにしてよ、庭の隅っこでうじうじ吹聴しているだけの虫けらふぜいが!」
「黙れぇっ! 黙れ黙れ黙れえええええっ!!」
タッキの足が瓶を蹴りはらう。
爆発のような衝撃と轟音が奔り、私の天地がひっくり返った。
「貴様に何が分かる……えぇっ!? 貴様らに何が分かるんだぁっ!? 社会に捨てられた最下層のゴミが! 這い上がることなくタッキにやられて人生を終えるだけの負け犬が! 何を偉そうに悟ったことほざいてんだああぁっ!?」
「う、ぐっ……分かるよ。私には分かるんだ。だって私は痛いから……」
「貴様と一緒にするなぁっ! タッキの心は痛んでなんかいない! タッキを捨てたクズ共! タッキを生かしてくれなかったストライク! あんな奴らの死に様なんかもう覚えてもいなぁぁぁいっ!」
「勘違いしないでよ。思い出じゃない、私は現在の話をしているの」
「あぁ……!?」
自分の胸に手を当てながら私は言う。
この感情は、セパとハクリリの時とは比べ物にならない。
「痛いよ、すごく。そして怖い。赤の他人じゃなくて、あなたが相手だから尚更そう思える。人を殺すっていうのは、やっぱり大変なことだって……私は今、改めて思っているの」
「な、何を言って……!?」
勝敗はもう決している。
この瓶の中では私の攻撃が全て無力化される……その事実が勝者を決める!
「『サウナ・クラーター』!!」
私の攻撃というのはつまり……私“から”の、私“へ”の攻撃だ!
ズブッ!
無色透明の小さな刃が生まれた。
何十もの刃は四方八方へと飛び進み、最初に遭遇したものへと突き刺さる。
瓶という強固な壁に守られた私は別だが。
「ラキュ──!!」
私が放った『氷塊』の中には、『ワースト・ケース』に止められ、瓶詰めになったまま地面に転がっている物が何個もあった。ぎゅうぎゅうで、隙間がほとんど無いような状態だ。
その中身を『サウナ・クラーター』で加熱すればどうなる?
超高速かつ超高温で、水を一瞬で通過して水蒸気へと至らせればどうなる?
「焚火ちゃんは物知りだから知ってるかもね。水が水蒸気になれば体積は二千倍近くにまで膨れ上がる。そして瓶の蓋は閉じている。後はどうなるか? その身で体験した通りよ」
私の視界が急激に上昇していく。
肌を焼くような熱気と、むせ返るような血の匂いが私の鼻をつく。
『ワースト・ケース』が解除され、私の体が元の大きさに戻っていた。
それが意味することは一つだ。
「焚火ちゃん……!」
「…………」
瓶が破裂した衝撃と、飛散する鋭利な破片。
それをまともにくらった彼女の姿は……そう、こうなるのが“殺し”なのだ……!
「ラ、キュ……分かってた……」
「焚火ちゃん!」
「見たいわけ……ないじゃん……こんな……死体……!」
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ずっと、タッキはそうだった。
『ワースト・ケース』で閉じ込めた相手が窒息するまで放置して、それを見向きもしてこなかった。
だって……仕方ないじゃん。
「焚火……頼む! 俺が土砂崩れを真っ二つにしてやらなきゃ、みんなが……!」
ストライクは必死でそう言った。
タッキはすぐに立ち去るつもりだったのに、その態度でタッキを引き止めてきた。
だったら、かつて自分を否定した男が命惜しさに私に頭を下げるのを見てやるのもいいかと、タッキは愚かにもそう思った。
「焚火っ!!」
「タッキ・ファイアだ。その名前は捨てた」
でも、ストライクはいつまでもそんな気を見せずにタッキの目を真っ直ぐ見つめ続けた。
やがて遠くからハクリリの声が聞こえてきた。
「おーい、セパが待ちくたびれてるよー! 早くそこから離れないとファイアも巻き込まれちゃうよー!」
「…………」
そうだ、もうすぐ大勢の命が泥に埋もれることになる。
そんな光景、見たくもない。
タッキは最後にもう一度だけストライクを一瞥して、さっさと──。
「分かったよ、焚火。なら俺にできることはこれだけだ。……ごめんな」
「え……」
「『焦突』!」
ストライクの鮮血が瓶の中身に溜まっていく。
それはタッキにとって初めての、人が死ぬ瞬間だった。
「…………」
そして、タッキは黙って“それ”に背を向け、立ち去った。
大粒の雨がタッキの頬を濡らす。
土砂崩れが全てを土に還していく。
『親ってのは子供のことを何でも知ってるもんだ』
いつかストライクに言われたことが脳裏によぎる。
今になってその通りだったと思う。
彼はタッキのことをよく知っていた。
その剣が刺し殺したのは、他の誰でもないタッキの方だった……!
「ううう……ああああ……!」
大粒の雨がタッキの頬を濡らす。
その時点でタッキは気づいていたのかもしれない。
あるいはもっと前。
ラキュアを復讐の道に誘ってストライクに止められ、激昂してその日の夜にラキュアの元を離れた。
あの時も大粒の雨が降っていた。
「うあああああああああああああっ!!」
最初からタッキは気づいていたのかもしれない。
「焚火ちゃん!」
最初から無意味だった。
タッキがなれるわけなかったんだ……ワラジムシにも、あなたにも。
「焚火ちゃあああああん!」
もういいや。
いなくなろう。
……ラキュア、ごめんね。
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他人の命は呪いのようなもの。
奪っても背負えることはなく、ただ蝕まれるだけ。
魂は腐臭を放ち、二度と引き返せない悪夢の中へと苛まれていく。
そうしているうちに人間はいつのまにか変わってしまう。
「ニカワ……?」
「グルルルルル!」
「どうしたの? 私よ、ラキュアよ」
「ギャワンギャワンギャワン!!」
「ニ……カワ……!」
見た目が変わっても、左腕が増えていても、私のことは分かると思っていた。
でも、そういう次元の話ではなかった。
私は……いつのまにか変わってしまっていた。
「そうよね。こんなの、もう私じゃないよね……」
「グルルル! ガウゥゥゥゥ!」
どうしてだろう?
私は人を殺した。世界中からお前は悪だと指を差されても否定する気は無い。
……でも神様、あなたはそれをすべて私のせいだと言うのだろうか。
『大人たちがあなたの人生を自分の都合で引っ掻き回してきたからですの』
『でも、エフィだけはあなたの意思を尊重するんですの!』
もう私には何も無い。
家族も故郷も恩人も友人も、本当に欲しがったものは何も残っていない。
なら、最後に一つ欲しがってもいいよね?
私の望む結末を欲しがっても。
エフィに私の意思を……私の心に虚しく灯る最後の火を、送っても。
──いいよね?
「ニカワ、私は帰るよ」
「ガウゥゥ! ギャワンギャワン!」
宿に帰ったら手紙を書こう。
それをエフィに渡して、長老へ届けてもらうようにお願いしよう。
私から全てを奪い、のうのうと生き続けている屍食鬼の奴らに、人間の痛みを教えてやるから。
「教えてやるからあああああああああっ!!」
番外編 END
(第3章へ続く)




