文字の読み書きを教える鬼のスパルタ令嬢
あの日、老婆から本を貰って20年以上。
いつか、文字の読み書きができるようになるために、ずっと大切に取っておいたもの。
オリヴィアはそれを見て、俺に問いかける。
「これ、ここ一ヶ月の間に使ったんか」
「つ、使ってねぇが……いつか使う大切な物なんだよ!」
「これ、文字の読み書きのための本やろ?なんやこれ」
「お、俺……文字の読み書きができねぇからよ。ガキの頃、書店の婆さんから貰ったんだ。それで勉強すれば、いつか他の本も読めるようになるって……」
俺は恥ずかしくなって俯いた。
「……………」
オリヴィアはそんな俺を黙って見つめていた。
「ま、まぁ、誰かに読んでもらわないと役に立たないクソ本だけどな。だから使いたくても使えねーんだ。けど、それでも俺は……」
すると、オリヴィアは鬼の形相を解き、俺に微笑みかけた。
「では、この本、使ってみますか?」
「え?」
「せっかくお部屋がきれいになったんです。お茶でも飲みながら、読書するのも素敵ではないですか?」
「い、いや。そ、そうなんだけど、俺読めねーから……」
「私が読んで差し上げます」
「え、え?」
「嫌ですか?」
「い、いや!そんなことはねぇ!マ、マジで良いのか!?」
「もちろん」
俺は嬉しくなって感情が溢れ出しそうになったが、舐められる訳にはいかないので、後ろを向いた。
20年以上かかってしまったが、ようやく俺に本を読んでくれる人が現れた。
「ま、まぁ、そんじゃ、頼むわ……」
そう言いながら後ろを向く俺の目からはポロポロと涙が溢れ出て止まらない。
「人にもの頼む時、そんな後ろ向いたまま頼む奴がおるかーーー!!!」
こうして鬼のマナー講師による文字の読み書き講座が始まった。
それから一ヶ月、俺はオリヴィアから文字の読み書きをひたすら習っていた。
「カイ様。では、この単語はどういう意味でしょう?これは、先ほど教えた『第二群規則動詞』が使われてますわね?」
「え、えっと……。『finir』だから……。『フィンランド』?」
「なんやそれ」
「え?」
「なんで国名に第二群規則動詞が関係あんねん」
「い、いや……それは……」
「これは『〜を終わる』やろ!!」
「あ、そっか……。『ir』……」
「いつになったら文法までいけんねん!!ええ加減にせえやーーー!!!」
「いや、声がでけえよ!!」
そうしてオリヴィアの超スパルタ授業は苛烈を極めた。
そして、そんなある日、いつものように勉強が終わった所で、俺は伸びをしつつ呟いた。
「んー!たまには外に出て酒でも飲みてえなぁ」
そう、ここ一ヶ月、その身を狙われているオリヴィアを連れ回す訳にもいかず、ほとんど外に出ていなかった。
しかし、そんな状態だとメンタル的にも参ってくるし、動かなすぎて逆に体が痛い、という状態にもなっていた。
そんな俺の発言を受けて、オリヴィアが申し訳なさそうにする。
「す、すみません。私のせいで……」
「あ、悪い。そんなつもりじゃねーんだ。ただ、俺普段は外に出てる生活が普通だったからよ。あんま家に長くいるのが慣れねーっていうか」
普段は外に出て、舐めたチンピラにケンカふっかけたり、日雇いの仕事をしたりしていたため、ほとんど家にいることは無かった。
ネジ工場に行ってからは工場との行き来のみになったが、それでも帰りに一杯やったりとか、そういう生活は変わっていなかった。
「そうですわ!でしたら、たまにはパブにでも行って来てください!私なら大丈夫ですから!」
オリヴィアはパンッと手を叩くと笑顔で言った。
「い、いや、それはさすがに……」
「大丈夫ですわ!ここ一ヶ月、危険な状況になったことも無いですし!」
「でもよ……」
確かに、ここ一ヶ月、ここに誰かが来たり、オリヴィアの身が危険に晒されるようなことは無かった。
もしかしたら、反乱軍もオリヴィアの身柄については諦めたのかもしれない。
そう考えると『少しだけなら』という感情が頭をよぎる。
「ね、大丈夫ですから。それに、変な人が来たら、思いっきり殴って血の海にしてやりますわ!……この本で!」
「いや、それはやめろよ!」
そう言うと、オリヴィアはぐいぐいと俺を玄関まで押していった。
その勢いに押されて、俺は玄関の外に出てしまった。
「じゃあお言葉に甘えて……。俺は馴染みがやってるスラムのパブに行ってくるからよ。なるべく早めに帰るから」
そう言って鼻の頭をかく。
そのバツの悪そうな俺の姿を見て、オリヴィアは笑顔で手を振ってくる。
「カイ様、いつもありがとう。楽しんできて下さい」
その瞬間、俺は今までに感じたことのない暖かい感情と、少しばかり鼓動が早くなるのを感じた。
俺はオリヴィアに手を上げて、スラムの方へ早足で向かう。
(あれ、これ……)
俺は自分の中に生まれた感情に気づいていたが、俺と彼女じゃあまりにも身分が違いすぎる。
(何考えてんだ、俺は……)
慌ててその感情を振り払い、久しぶりのスラムの空気を肺いっぱいに取り込むと、パブで何を飲もうか思案した。




