死んだ母親の机の中に入っていた大切なもの
「あ、あの……俺……」
先ほど来ていた客が俺を見て出て行ってしまったため、注意されるのかと思い、思わず俯いた。
「坊や。本、好きなのかい」
しかしその予想に反して、暖かな声で問いかけられた。
老婆は眼鏡を下にずらして、上目遣いにこちらを見ている。
「えっと……。べ、べつに」
「好きじゃないのかい?」
「す、好きじゃない……けど好き」
「めんどくさい子供!」
「う、うるさいな!好きだよ!良いでしょ!」
「まどろっこしいこと言っとらんで最初からそう言いな。坊やはどんな本が好きなんだい?」
それから老婆はいくつか質問をしてきた。
「好きな本」「読みたい理由」「将来の夢」ーーー。
うまく答えられないものもあったが、その回答ひとつひとつに老婆は深く頷いた。
「本が好きな子に悪人はいないよ。それがどんな生まれの子でもね。その"好き"って気持ちには確かな好奇心と、夢が隠れているもんさ」
「好き……」
「そう。それに、本には人と人を繋いでくれるとても強い力があるんだ。あんたもいつかきっと、本が誰かを繋いでくれる」
そう言うとニコリと笑って俺の頭に手を置いた。
「俺、汚いよ……」
「汚いもんか」
少し、母親を思い出して目が潤む。
「でも……俺、字が……」
どんなに好きでも、読めなければ意味がない。
そんな思いで呟くと、老婆は一冊の本を渡してくれた。
「ほれ。これを持っていきな。タダで良い」
「え、これって……?」
古びた分厚い本を渡されて、俺が戸惑っていると、それが何か教えてくれた。
「これは、文字を読み書きできるようになるために書かれた本さ。欠点は、文字を読み書きできる人に読んでもらわないと役に立たないってことさね」
そう言って老婆は立ち上がり、本棚をほうきではたきはじめた。
「も、もらっても、良いの?」
「もう渡しちまったからね。持っておいき。それで、文字が読めるようになったら、またおいで」
老婆はもうこちらを振り返らなかった。
「あ、ありがとう!また絶対来るから!」
その本を脇に抱えると、店を飛び出した。
あまりの嬉しさに飛び跳ねる。
読んでもらえる人の当てはなかったが、なんとかなる!と前向きに考えた。
そうして家に帰った俺は、すぐに床下に穴を掘り、本を隠した。
高価な本が家族に見つかってしまっては、闇市とかにすぐに売られてギャンブルに使われてしまうと考えたからだ。
しっかり見えないように上から封をすると、汗を拭った。
その夜、勝手に家から逃走した罪で叔父に回し蹴りを食らった。
「なんだこいつ、ニヤニヤして気持ち悪ぃ」
その日は未来のワクワクで痛みも感じなかった。
しかし、現実はそんなに甘くはなく。
結局、俺みたいな汚い子供に本を読み聞かせしてくれる稀有な大人は現れなかった。
だけど、どうしても本が読みたくなって、子供ながらにお金を貯めて学校に行こうと思ったこともある。
でも、子供ができる仕事じゃ何年かかっても無理だとわかった。
そんな時、俺の母親が死の直前に話していた机の中身について、いとこの兄妹が話しているのを扉越しに聞いた。
事件後、母親との約束通り、叔母さんに渡していた金の話だ。
「カイってほんとキモいよな。暗いし、早く●ねばいいのに」
「ほんとほんと。でも、感謝しなきゃいけないこともあるよ?」
「なんだよ?」
「カイのお母さんのお金だよ」
「あぁ。どれくらいあったんだ?」
「具体的にはわからないんだけど、なんかカイに向けたきしょい手紙と一緒に結構な金額が入ってたらしくて」
「手紙?」
「そう。たしか『カイが文字の読み書きできるように、学校に行くお金を貯めました。これからもたくさん本を読んでね』とかなんとか」
「本とかウケる。そんなん腹の足しになんねーじゃん」
「ぷぷ。だからお兄ちゃんは学校行ってないんだよ〜」
「あ、まさかお前!その金で!」
「せいか〜い。今行ってまーす」
「ずり〜!実際スラムで学校行ってんのお前くらいじゃね?まぁ全然羨ましくねーけど」
「ほんとだよ〜。お母さんに行けって言われたから仕方なく行ったけど、文字覚えるのダルいし、もう辞めたいんですけど」
「ぶはははは。でもちょっとは読めるようなってるんだろ?」
「まあね。少しずつだけど」
「じゃあ本が大好きなカイくんに読み聞かせしてやれよ」
「やだよめんどくさい!あー明日も学校かぁ〜。クソだる〜」
ーーーそれを聞いた日、俺は理解した。
この世に神もいなければ、救いも無いのだと。
かと言って、母親に生かされた命を粗末にする勇気も無い。
それに、こいつら一家に復讐するまでは絶対に死ねない。
弱者に理不尽な暴力を振るう叔父。
自分の子供のことしか考えない叔母。
今の環境に疑問も抱かず、ヘラヘラ笑ういとこ。
そのそれぞれが自分では何もできない貧乏なクズのくせに、人から奪った金を使って"楽しげに笑って"やがる。
貴族の搾取とはまた違う、ゲスで汚いやり口。
生きるのに必死だというのは理解できる。
だからといって、さらに弱者から奪い取っていい理由にはならない。
だったら、俺だって力づくで奪ってやる。
ケンカだってなんだって厭わない。
ーーー奪え。
ーーー楽しげにしてる貧乏人から。
ーーーその笑顔の裏には、きっと悲しんでいる人がいるから。
(ぶっ●す……。ぶっ●す……)
そうして俺は、拗らせ街道を突き進んだ。




