京浜(けいひん)は東京(とうけい)の名残
私が小学生だった時のことです。
社会科の授業で「京浜工業地帯」というものを習いました。東京や横浜を含む工業地帯のことなのだそうです。私は疑問に思いました。
「東京と横浜なら、『きょうひん』って読むのが普通じゃないの?」
「浜」が「浜」に変ることは、すんなりと受け入れられました。二つの地名を合体させる時、訓読みだった漢字が音読みに変ることがあるのは知っていたからです。ですが、「京」が「京」になるのは一体どういうからくりなのでしょう。
私が大学生だった時のことです。
あるテレビ番組を見て、「東京」は昔「東京」とも呼ばれていたということを知りました。ふと、小学生の時の思い出がよみがえります。私はひらめきました。
「ひょっとして、『京浜』を『けいひん』って読むのは、『東京』を『とうけい』って読んでいた名残なのかな」
私はさっそく調べてみました。
まず、東京の意味で「京」を「けい」と読む言葉が他にないか、探しました。すると、「京浜」を含めて四つ見つかりました。
●京浜 東京と横浜
●京葉 東京と千葉
●京成 東京と成田
●京王 東京と八王子
次に、「東京」を「とうけい」と読んでいたのはいつ頃なのかを調べました。東京都公文書館の頁にはこう書いてあります。
「慶応四年(一八六八)七月十七日……江戸は東京と改称された」
「……明治初年から二十年代頃までは、『トウキョウ』読みも『トウケイ』読みも混在しており……」
東京都公文書館「明治東京異聞~トウケイかトウキョウか~東京の読み方」, <https://www.soumu.metro.tokyo.lg.jp/01soumu/archives/0715tokei.htm> 2021年7月14日閲覧.
私は、「京浜」「京葉」などの言葉のどれかが、慶応四年(一八六八)から明治二十九年(一八九六)のあいだに生れたのだと見積りました。
国立国会図書館デジタルコレクションで四つの言葉を検索します。
●京浜(旧字体は京濱)
明治18年『東京高名鑑』<https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/778417/42>「京濱毎日新聞社員」
明治21年『東京事情筆写真』<https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/764123/12>「京濱汽車」
●京葉
昭和39年『地域開発関係文献目録』<https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2507265/9>「京葉工業地帯」
●京成
大正2年『大日本護謨同業名鑑』<https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/950441/128>「京成電氣軌道株式會社」
●京王
大正2年『大日本護謨同業名鑑』 <https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/950441/209>「京王電氣軏道株式會社」
この中で一番古い言葉は「京浜」です。ほかの三つの言葉は、明治二十九年までの本には見当りませんでした。
このことから、「京浜」を「けいひん」と読むのは「東京」を「とうけい」と読んでいた名残だと考えられます。「京成」や「京王」は「京浜」を真似て作った言葉だと私は思います。
「東京」という言葉そのものは消えてしまいましたが、片身は「京浜」や「京成」に取り込まれて今も生き続けているのかもしれません。