第一章 父親殺しの貴族令息
「うわぁぁ!!」
「なっ…!!ぐふっ…ア、レク……」
頭に血が上り、父親を斬り殺した――そのタイミングで、一気に前世の記憶が蘇る。
「ああ…ああアあ…アアぁァ……っ」
情報量に頭が擦り切れそうなほどの激痛が走る。
すでに常軌を逸していた精神を飲み込むようにして、前世の精神に上書きされてしまった。
だが、記憶もある。
こいつが経験したこうなるまでの苦い記憶。
「もうちょい早けりゃ……」
目の前には腹を切られ事切れた親父の姿。
元々、父親は子供が好きではない人間だった。
兄は貴族の模範となる、幼いながらに利発な子であった。
比べて俺は、前世でいうところの癇癪持ちの手のかかる子供といったところ。
前世なら、スーパーで癇癪を起こして地面に転がって地団駄を踏むような子供を想像してくれ。
母親ももちろん貴族。育てるのはメイドが主だ。
本来なら、乳母が育てるものだが、兄と俺は年子だった。乳母は乳の出が良く、ベテランでもあり、俺の母親が兄の母親が連れてきた乳母を羨ましがったのもあり、そのベテラン乳母が俺ら兄弟を二人まとめて面倒見ることになった。
ただ、元々は跡取りのそれも母親が侯爵と身分が上の貴族から産まれた兄の為に連れてこられた乳母は、兄を中心とした。俺の母親が男爵家な上に無理やり俺の面倒も見るようにと直接の雇い主ではないのに偉そうに命令し、その子供の俺も可愛げのない問題児とあって、プライドを傷付けられた乳母は俺のことも嫌っていた。
メイドが数人で俺を面倒見るも、3歳くらいになると体が兄より大きく育ち、ワガママで蹴ったりする子供になった。手に余ると俺の面倒を誰もが嫌がった。
中心になるメイドが3歳くらいから音を上げるようになり、兄のメイドと交代させた。交代させられたメイドは、臆病な引っ込み思案の性格であり、軽い育児ノイローゼのようになってしまった。
2年はそのメイドが中心となっていたが、そんな事情から継続は無理。となり、次にそんなメイドからキツい性格のメイドになり、すでに前の気弱なメイドに散々ワガママを言って困らせていた俺は今度はキツいメイドに腹を立て癇癪を起こすようになった。
このメイドは裏でメイド同士で愚痴を沢山言うようになり、病んだメイドのこともあり優秀な兄と比べ関わりの少ないメイドからも毛嫌いされるようになる。
同じようにメイド長が父親に報告し、またメイドを交代させることになった。次がさらに最悪だった。
今度のやつは嫌な奴。ニコニコと嫌味を言うような奴で、子供に近づけたくないタイプだ。俺をどんどん悪者に仕立てあげた。
注意するふりをして、腕を何度もつねるのだ。
何度も泣いた。暴れては困った表情をされ、周りはいつもの癇癪と思いメイドに同情した。
この頃8歳になっていた。戦前の日本を想像して欲しい。寿命が短く戦争の為に14.5.6の子供が戦地へ駆り出されるような時代だ。初めて会う戦地へ特攻する男の妻へ一日だけ夜慰め者になるのに15.6の女が嫁に行かされるような時代。青春時代は短く子供でいられる時間が現代の日本よりない。早熟でなければならなかった。現代の日本と違って、この世界でも成人は15となり、8歳でもある程度貴族として振る舞えていなければならない歳だ。現代で考えれば小3くらいの男の子だ。癇癪起こして泣くくらいでそこまで非難はされない。お母さんが「いい加減にしなさい!」と怒鳴ってる姿を見ても、大変だと思うだけで異常とまでは思わないだろう。
「騒々しいぞ」
ある日、父親が通りかかった時にそのメイドが周りにわからないように傷付くことを言い、また腕をつねってきた。我慢の限界で、大泣きしていたところに父親が声をかけてきたのだ。
「旦那様…申し訳ございません」
「うわぁぁん!!お父さ、ま…!」
まだ8歳だ。親に泣きついて、抱きしめて欲しいと思う子供がいて、おかしくないだろう?普通だと思うんだ。
だが、兄は父親とはいえ、伯爵を前にしたら「お父様」と佇まいを直し、距離を置いたまま目を伏せ会釈するくらいの礼儀を見せていた。
だから、涙と鼻水でぐしゃぐしゃの顔で、あろうことか抱きつこうと近寄る息子に、貴族として有るまじき行為と思い腹が立ったのかもしれない。
思えば、俺が嫌がっている様子があればメイドを変えてはくれていたのだ。知るのも遅く、放置気味だとしても。全く愛情がなかったわけではなく、扱いに困っていた不器用な父親であったのかもしれない。
バシンッ――!!
「痛っ…!」
頬を殴られた。味方してもらおうと泣きすがろうとした父親から殴られたのだ。8歳の男の子からしたら絶望するくらいにショックな出来事だ。
折檻されたわけでもない。甘ったれかもしれないが、それまでのネグレクトを思えば、どんどん闇が深くなってしまう出来事だったのだと思う。
「まったく…もう8歳だというのにお前は…!」
ダメなものを見る目で俺を見る父親。愕然としたね。
「メイド…相性がお前も悪いようだな。今日をもってアレク付きから外れよ」
「…!わかりました」
メイドが深々と会釈する。
未だに呆然とする俺へ、メイドに移していた目をこちらへまた向けるも、まだ怒りがこもっている目であり、ビクッとする。ため息をついて振り返ることなく去ってしまった。
ここから、しばらくメイドが固定されずに代わる代わる世話されることになった。
メイド長にそのメイドは、俺が癇癪を起こすと自ら自分の腕をつねると報告していたらしく、俺のつねった痛々しい痕は自傷行為によるものとされていた。
父親にもメイド長より報告があり、父親はため息をつくだけでメイドの処分はされずであった。
あろうことか、メイド長ではなく乳母が父親にまたあのメイドを俺にと勧めたのだ。
前の病んでしまったメイドやキツい性格のメイドと比べても、キツい性格のメイドの時は立場がメイドである為にイライラしながらも怒鳴りつけたり手を挙げたりはしない常識的なメイドであった為に、止められずに暴れても大人しくできなかった俺が、意地悪メイドの時は比べると俺が泣きながら震えるも暴れず大人しくなる場面があったからだ。
つねられて大泣きし、イヤミを言われ精神的にダメージを食らって大人しくなったりしていただけだったが。他のメイドを前にしたら嫌々相手をしていると子供は敏感に感じ取るものであるし、つねられたり精神的ダメージから余計に癇癪も酷くなっていた為、やはり根気よく俺の面倒を見ていた意地悪メイドを復帰させるべきだと助言したのだ。
乳母もいい人ではあったが、それは兄にとってというだけだった。乳母の子供達も兄とはまるで兄弟のような親しい関係になるも、俺はその子供らからも嫌われるくらいの浮いたガキになっていた。
俺を誰も救ってくれなかった。
実の母親も、父親に可愛がられもしない俺に、さらに癇癪ばかりの俺にうんざりして罵倒するだけ。
メイドが復活してからは母親からも殴られるようになった。自傷行為として、母親へメイドが相談したのだ。
「アレク様は寂しいのかもしれませんわ…」
と、まるで同情するように俺のために言うように母親に告げるも、母親は責められたように感じただろう。メイドのいやらしいところはそういうところだ。キツい性格のメイドとは違って裏がある感じの嫌な奴だった。
腹を立てた母親は、やめなさいと最初は注意をしてくるも、まるで反抗するようにもっと酷い傷を作ってくる俺に母親も苛立った。
それも、メイドにやられたと主張する俺にカッとなり殴ってしまったのが始まりだ。
「どうしてお前はそうなのよ…!」
一度、手をあげると後は抵抗が薄れるのだろう。泣きわめく俺にまた腹を立て何度も殴るようになった。忌々しいと言いたげに。憎らしいと思っているのがわかるほどの目で見てきた。
俺は、父親に泣きついた。仕事中の伯爵を煩わせる行為だ。
母親からぶたれるくらいのことは、厳しい貴族社会ではあることだ。礼儀作法を叩き込むのに出来の悪い子を相手に手をあげるというのは、ある話であった。それだけ苛立たせる要因が俺にもあった。俺は、精神的に幼かった。貴族の立ち回りができない理不尽な目にあえば反発するだけの堪え性のない性格だった。
母親に殴られる。メイドにつねられる。俺は泣いて怒って父親に訴えかけた。
「だから――うっぐ…辛くて…わぁ…あアあっ!」
「っ…いい加減にしろ…煩わせるな!」
感情のまま、断りもなく仕事部屋である伯爵の部屋へ乱入して喚けばしばらくは聞いてくれていた伯爵もずっと騒ぐ俺に我慢の限界だったのだろう。そうなるのに、俺は我慢ならなかった。
ちゃんとメイドがつねると言う発言には不快そうに眉を寄せていたし、母親が殴ることについても思案顔していたから母親から離そうと動こうとしてくれたはずだ。もっと落ち着いて話があると時間を作ってもらって話せばよかったのだ。
泣きながら部屋を後にした俺は、メイド長から注意され、あの意地悪メイドに嘲笑われ、イヤミを言われ、母親からはまたぶたれた。伯爵に迷惑をかけたからだ。
その後自室へと戻すのに意地悪メイドが俺の背をそっと促すように見せかけ腕を死角でつねられるところを、たまたま角から兄の為にお菓子を運んでいた気弱なメイドに目撃された。息を飲むような仕草をする気弱なメイド。だが、そのメイドはあろうことか目を逸らした。
兄の前では素朴に笑うそのメイドは、俺が視界に入ると怯えたように暗くなり目を伏せる。その様子が俺を悲しくさせ苛立たせるというのに。癇癪の原因の一つでもある。
メイド同士の大きな声の噂話が聞こえてくる。あのキツい性格のメイドだ。また俺の悪口を言いふらしている。どんどん視界が狭くなり目の前が暗くなる。
急激なストレスだ。この環境から逃げ出したい。どうしたらいい?どうしたら抜け出せる?
意地悪メイドに冷水をお風呂に入る時にかけられる。食べ物に虫を混入させられたりイジメがエスカレートしていった。芋虫のようなものを口にして吐いた。
心配するのは意地悪メイドだけ。乳母は好き嫌いで吐いたと思っている。母親は毒を心配したが毒味役を意地悪メイドがしていた為にそれはないと首を振り、俺のワガママであることを困った笑顔で合図する。
ああ、また困らせる為の行動か、と片付けるメイドも迷惑顔をするだけ。
「虫が――!!メリサが僕の料――」
「なんて嘘をつくの!」
鬼のように目をつり上げ顔を真っ赤にして怒る母親。
父親が目で合図すると、メリサ以外のメイドがシチューの中を確認する。吐き出したシチューも見るが虫はいなかった。
メイドが首をふり、嘘であると断定する。
メリサは幻覚魔法でも使えたのかもしれないな。この時のことは自分で信じられなかった。確かに芋虫が蠢いていたし、かみ潰してしまった食感や味を覚えているのに、目の前のシチューにはそれらの痕跡がまるでないのだから。
メリサは困った笑顔でそばにいる。ああ、この後もまた母親に呼び出され殴られた。
また、父親が気付くのは2年後だろうか?
なんでだろうか。どこか甘えてたのかもしれない。意地悪メイドでも母親でもなく、俺は稽古の時に使う剣を手に、父親を殺しに行った。