相性1000%の彼女
「野菊、野菊ぅぅぅぅ、愛してるぞ俺はああああ!」
「僕のほうが、愛してますから」
「野菊ぅぅぅぅぅ」
「ダメだこりゃ……話通じねえ」
てっぺんを回る頃には、もう竜蔵さんは酒が回りに回りまくって歩くのも困難なほどだった。
僕も大概酔っぱらっているけれど、肩を支えて歩けないほどではない。
ただ、抱えるようにして歩いているとおっさんの酒臭い息がもろに顔にかかってくることが大問題ではあったけど。
「ああ、クソ、野菊よぅ、お前、幸せになんだぞぉ……」
「ええ、ええ。幸せにしますよ。僕がしますから」
「でも、お前の父ちゃんは永遠に俺だぁ! 俺が野菊の父ちゃんなんだぁ!」
「分かってますから。お義父さんはあなたを置いて他にはいませんって」
「俺は『野菊』の父ちゃんだっつってんだろ!」
「ああもう、じゃあそれでいいですよ」
投げやりに言葉を返しながら、路肩に停まっていたタクシーに竜蔵さんを押し込んだ。
「これで大丈夫ですか? 家の場所は自分で言えますよね?」
「野菊ぅ……」
おいおい……。
「東京都〇〇区××までこの人運んでおいてください」
言えそうになかったので、代わりに僕が運ちゃんに告げた。
運ちゃんはやや呆れたように笑っていたけど、しっかりとうなずいてくれる。とりあえず、大丈夫そうだ。
「それでは、これで僕は失礼します」
言って、タクシーの扉を閉めようとする。
だが。
「待てよ」
と、いやにはっきりした声で竜蔵さんが引き留めてきた。
「はい?」
思わず手を止め竜蔵さんを見ると、彼は「こいつを持ってけ」と懐からとりだした冊子を僕に押し付けてくる。
「これは……?」
「読めば分かる」
「いや、でもその、大事なものじゃないんですか?」
「読めば分かる」
同じ言葉を繰り返し、竜蔵さんは僕から目を背けた。まるで、『これ以上言うことはない』とでも言うかのように。
タクシーが走り去った後、僕は手に残された冊子に目を落とした。
それは、女性的なデザインの日記帳。
表紙には、丸みを帯びた柔らかい文字で『貴方へ』と書かれていた。それ以外には、何もない。
だからこそ、思った。これを渡された意味は、それこそ『読めば分かる』のだろうと。
* * *
こんにちは! 私は、花邑早苗と申します。野菊の母親です。
こうして私からのお手紙を読んでいるということは、きっと私はもうこの世に存在しないのだと思います。
さて。貴方は、野菊の恋人ですか? 旦那様ですか? お目にかかれないのがとても残念です。あの子が選んだ方なら、きっと春の爽やかな風のような、気持ちのいいお方なのだと思います。
こうして野菊の良い人にお手紙を残したのは、ひとえに母として、娘と寄り添い進んでいく方に紙の上だけでも挨拶をしたいと思ったからです。子を想う親の愛情……などという言い回しは、少々綺麗すぎるでしょうか?
野菊は元気にやっておりますか? 楽しく過ごしておりますか? 父とも母とも離れ離れになって、涙を流してはいませんか? きっと、大丈夫なのでしょうね。この手紙を読んでいる人がいるということは、心の底からあの子が信頼できる人を見つけたということですから。兄には、そんな人が野菊にできたらこのお手紙を渡してくれるように頼みましたから。
九月の、涼しい風が窓から病室に入ってきています。私の病室は二階にあるのですが、ここからだと庭の植え込みがよく見えます。薄紫色の花びらのノコンギクが、優しい笑顔を咲かせています。まるで野菊が恥ずかしそうに笑っているかのようです。
私は野菊と会うたびに、ノコンギクを思い出すのです。娘の名前の由来となった、野に咲く可憐なノコンギク。『野菊の墓』に出てくる野菊は、ノコンギクとも言われているそうです。
私の一番好きな花。その名前を娘にはつけました。あまり、目立った特徴のある花ではありません。派手でもなければ華美でもない、だけど内に秘めた強さを感じさせる花。
きっと野菊にはぴったりの名前です。
どんな女の子に育つのかな。
どんな恋をするのかな。
どんな人と出会って、どんな風に笑うのかな。
尽きない興味でたくさんです。貴方はどんな男性ですか。野菊を愛してくれていますか?
願わくば野菊が、心の底から安心できる男性と巡り合えますように。最愛の我が娘に幸あれかし。
忘れられない想い――それはノコンギクの花言葉。
そんな絆で、二人の絆がいつまでも結ばれますように。
* * *
「駄犬。ねぇ、駄犬ったら!」
部屋で早苗さんからの手紙を読んでいると、野菊が扉を開いて声をかけてきた。
一仕事を終え、今週からまた学校に行き始めた彼女は、制服の上からエプロンを羽織っている。その姿はなんとも、こう……グッとくるものだった。
「ちょっと。人が呼んでるのに無視とかどういうことよ!?」
「ごめんごめん。すぐに行くよ」
「早くしなさい。愚図愚図していると、せっかく作ったご飯が冷めちゃうわ」
「そいつはもったいない。僕のために作ってくれたなら、温かいうちに食べないとね」
「私は私のために作っただけよ! ただ、その、一人だと量が多くて食べきれないというか……そう! あんたは残飯処理班よ! 感謝しながら残飯を食べなさい!」
「残飯って言い回しにすると途端においしそうじゃなくなるな」
「文句を言わない! 食べさせないわよ!」
眦を釣り上げた野菊に、僕は降参とばかりに両手を上げた。
早苗さんからの手紙をサイドテーブルに置いて立ち上がる。
すると野菊が首を傾げた。視線は、サイドテーブルに置かれた日記帳に注がれている。
「……それは?」
「最近手に入れた秘蔵本。興味ある?」
「別に読みたいわけじゃないわ。ただ、デザインがあんたらしくなかったから」
肩を竦めた野菊が踵を返す。
その背中に、僕は話しかけた。
「ねぇ野菊。今度お互い休みを取れたら、『忘れられない想い』を探しに行こうか」
「はあ?」
振り返った野菊が、怪訝そうに眉を顰める。
「なによそれ。わけが分からないわ」
「じきに分かるさ」
「なにその勿体ぶった言い回し。駄犬の癖に生意気よ」
「それはさておき、冷める前にご飯食べちゃおうか」
「ちょっと! 話をごまかしたわね!」
なんて言いながらも、野菊と二人でテーブルにつく。
そして両手を合わせて、二人で声を合わせて「「いただきます」」を口にしながら、僕は心の中で野菊の母親に話しかけていた。
(僕らの絆は、きっといつまでも続きますよ)
なぜなら、そう。
(僕らは相性1000%の恋人同士ですから)
野菊の作ったその日の夕食も、温かくて、優しい味がして、おいしかった。
これまでありがとうございました。
これでこの物語は完結とさせていただきます。
後日談等、完結後も連載扱いにするかどうかで非常に迷ったのですが、中途半端に続くよりもきっちり終わっておいた方がいいだろうと思ったので完結ということにいたしました。
まあ、気が向いたら二人の後日談や周囲のキャラのエピソードなど書くこともあるかもしれませんが。
また、新連載を始めました。タイトルは「「どうせ、あたし、要らない子だから」と絶望していた少女を助けたら、不器用にくっついてくるようになった」です。
下部のランキングタグからページに直接飛ぶことができます。是非読んでください。




