表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

32/36

謝罪と賠償を要求する

「うぃ~っす」


 オフィスに出勤すると、目の下に隈を作った岩下が気だるげな調子で挨拶を飛ばしてきた。


「お~う」


 と、僕も似たり寄ったりな返事を返す。


 ここ一週間、僕の勤め先である『甲斐クリエイトデザイン』はこんな調子であった。


 この事務所は、もとはと言えば映像会社に勤めていた甲斐さんが独立してCG専門の事務所として立ち上げたものだ。仕事と言えば、甲斐さんがかつてのコネで取ってくるものが半分以上を占めていたため、この規模の事務所では『そこそこある』ぐらいのほうだった。


 だが、僕が一週間前にとある計画を甲斐さんに持ち掛けたことでその仕事量は爆増。僕を含むほとんどの社員は、今の岩下と同じように寝不足でガタガタの体を押して仕事に励んでいる。


 実のところ、僕が毎日なんとか家に帰れているのも奇跡的なぐらいなのだ。……その分、持ち帰る仕事も半端な量ではないのだが。


「……これ、機密保持の観点から見ると完全にアウトですよね?」


「あー、なら重松君、帰るのやめる? 僕はそれでもいいけどさあ」


「ありがたく持ち帰らせていただきます」


 所長とそんな会話をしたのも懐かしい。


 そんな所長は、今、電話に向かってぺこぺこ頭を下げまくっていた。


「いやあ、だからリノちゃんさあ、ほんっとそこはどうか頼むよ、ねえ? 僕の顔を立てると思ってさあ。いや、こっちも急な提案で悪いとは思ってるんだけどさ、そっちにとってもいい話だと思うんだよね? ほら、最近よく飲み会で愚痴ってたじゃ~ん。開発資金が足りねえ死ぬ~って」


 口調は軽いが、その表情は必死である。


 そんな甲斐さんの拝み倒しが功を奏したのか、最後には「いやあさっすが話が分かるねえリノちゃん!」と明るい顔で電話を切っていた。


「『デザイナーズ・エンジェル』ですか?」


「うん。三顧の礼とはよく言ったもんだよね。今日で三日目、ようやくリノちゃんの首を縦に振らせられたよ」


「派手好きな割に案外保守的な人ですからね、丸子社長も」


「それなあ。まあでも、リノちゃんが加わってくれれば靡きそうなところもあるし、ひとまず希望は見えてきた、かな?」


 言いながら甲斐さんが煙草を取り出した。


 そして火を点けようとしたところで、「あー……」とちょっと困ったような顔つきでライターをしまう。口に咥えた煙草も箱に戻した。


「禁煙ですか?」


「いやあ、ほら、ここ、貸しオフィスだから」


 ちょっと気が引けるんだよねえ、と甲斐さんがボヤく。


 そんな甲斐さんに、かねてより気になってたことをこの機会に訊ねてみることにした。


「そういえば、甲斐さんってなんで所長を名乗ってるんですか? 立場的には、一応肩書が社長になると思うんですけど」


「ああ、それなあ。理由は色々とあるんだけど」


 少し照れくさそうに笑って甲斐さんが言う。


「ここ、もともとコンピューターとイラストが好きで立ち上げたような事務所でさ。だから半ば趣味を無理やり押し通すための場所、みたいな感じなんだよね」


「はあ……」


「だから最初はサークル感覚でやってたわけ。でさ、そうなると『社長』なんて仰々しい肩書なんて名乗るの恥ずかしくなっちゃってさ。じゃあどうしようかなってなって、『事務所』だから『所長』かなって」


「なんというか」


 言っていいのか分からなくて言葉を濁すと、「なんか単純な発想でしょ」と言って甲斐さんが笑った。


「けどまあ、自分では結構『所長』って響きは気に入ってるんだ。風通しのいい社風にしたかったからさ。ぴったりだ」


「社長より、所長のほうが、堅苦しくないですもんね」


「そういうこと」


 と、甲斐さんは嬉しそうに言った。


 ……思えば、あの提案を持ち掛けられたのもこの人の人徳によるところが大きいんだろうな。これがもっと、社員との距離感が遠い人だったら、企画倒れに終わったことだろう。


 そう思うと、感謝の念が湧き上がってくるのを感じた。


「甲斐さん……今回の件、本当にありがとうございます」


 つい頭を下げると、「まったくだよ」と言っておどけたように甲斐さんが肩を竦める。


「膨れ上がる仕事。舞い込んでくる厄介ごと。次から次へと電話だってかけないといけなくなるし、こんなてんてこ舞いはうちの事務所始まって以来といったところじゃないかな」


「いやほんと……それはもう重ね重ね申し訳なく思っているというか」


「あー、別に謝ってくれなくていいからねほんと。だって重松君の話聞いた時、『うっわマジで面白そうじゃん!』って即時オッケー出しちゃったのは僕なんだし」


 そうなのだ。


 もう少し難航するかと思っていた、甲斐さんへの相談。だがそれは、開始からたった五分で決着がついた。


 すなわち。


「『デザイン事務所をまとめて花邑グループと事業提携』だなんて話、面白すぎて乗るしかないでしょ」


 というのが、甲斐さんの主張であり。


「面白いとか面白くないとかそういう話なんですかこれ……?」


「あったり前だよー。面白そうな仕事ならとりあえずやってみるのがうちの方針。算盤はそのあと弾いたらいいよ」


 などと肝っ玉の太すぎる後押しもあって、この計画は目下稼働中なのであった。


 この話をしたときは、さすがの野菊もげんなりと表情を歪めて、


「豪快なのか、愚か者なのか、あるいは愚かかつ傲慢なのか、いまいち測りかねるところだわ」


 と感想を漏らしていたものである。


 ともあれ、この事業提携さえ上手く行けば、あの花邑竜蔵の鼻を明かすことだって不可能じゃないはずだ。


 事業の拡大という意味で野菊の実績にもなるし、計画の立案と実行に携わった僕への評価だって上げざるを得ないはずだ。


 だから今は、とにかく計画を推し進めることに力を尽くすべきなのだろう。


 ――本当にそれで足りるのか?


 胸の内で主張をやめない、そんな声など聞こえなかった振りをして――。


 * * *


 夜八時過ぎ。


 家に帰ると、野菊がダイニングのテーブルで突っ伏して眠っていた。


 彼女の前には、まだ作業途中のノートパソコン。疲れ目予防のためか、普段はかけないメガネをかけている。


 一週間前からずっと、彼女はこんな感じだ。


 立場上、野菊のやるべきことは無数にある。事業提携に向けて予想される損益の計算、各方面との折衝の数々、役員会議やそのための資料作成、その他競合他社と比較した上での企画の現実性。


 そういったものを全て加味した上で、彼女は判断を下さなければならない。それはきっと、現場と向き合っていればいいだけの僕よりもよほどシビアな判断を要求されることだろう。


 ただでさえ大変な仕事だ。なのに、彼女は今でもそれを学業と並行させている。彼女の通う寿女学院ではネットスクーリングのシステムがあるため、申請さえすれば自宅学習もできるのだ。


 最初は、計画が達成されるまで休学を僕は提案した。だけど野菊は首を横に振った。


「そうすればお父様に付け入る隙を与えることになってしまうわ。学業を完璧にこなした上で仕事をこなせなければ、黙らせることなんてできないわ」


 無茶だが道理だ。そしてその無茶を、野菊は押し通そうとしている。


「……お疲れ、野菊」


「むぅ……?」


 彼女の肩にそっと毛布をかけようとすると、野菊が小さく呻いた。


 そして、パチリと目を開ける。


「あれ……私」


「おはよう、野菊」


「太槻さ……って、え、ちょ顔近――野蛮人! ケダモノ! 婦女子の寝込みを襲うだなんて不潔だわ不潔!」


「ええ……」


 まあ確かに、今僕は彼女に覆いかぶさるようにして毛布を被せようとしていたけれど。


 でも、不潔はさすがにないんじゃないかなあ、と思わなくもなかったり。


「だって、野菊がかわいい顔で寝てたからさあ……」


「かっかかかっか……かかっかかわかわ……」


 顔を真っ赤にして動揺する野菊はやっぱりかわいい。


 そんな赤くなった顔を隠すようにして、野菊がぐりぐりと僕の胸に顔を押し付けてくる。


 なんだか、構ってほしくてじゃれついてくる犬みたいだな。性格は割と猫だけど。


「ああ、うん、よしよし。野菊は甘えん坊だなあ……あ痛っ」


 足踏まれた……頭を撫でただけなのに。


 それからひとしきり悶えたところで、野菊がようやく顔を上げる。


「ったく……駄犬のせいで最悪な寝起きだわ」


 と、悪態をつく彼女の頬はつやつやしていた。


「それは申し訳ないことをした」


「まったくよ。謝罪と賠償を要求するわ」


「何をすればいい? キス? ハグ? それとも添い寝?」


「セクハラばかり口にするその舌を今すぐ切り落としてあげようかしら」


「そいつは困るな。まだこの舌は、この先使うことになるからさ」


 そう返すと、「そうね」と野菊が肩を竦めた。


「あんたも私も、まだまだ仕事は終わっていないもの。この先いくらでも舌先三寸を使わねばならない機会はやってくるわ」


「え、使うってそっちの意味?」


「他に何があるというの?」


「や、あっちの意味かと……」


 口付けとか、キスとか、Dな接吻とか。


 だが野菊は僕の言ってることがよく分からないみたいで、「?」と首を傾げている。


「時々駄犬は、わけの分からないことを口にするわね」


「申し訳ない」


「大方、破廉恥なことなのでしょうけど」


「そんなことない」


 冷や汗を垂らしながら否定する僕であった。


「それよりも。あんたにちょっと確認して欲しいことがあるのよ」


「僕に?」


「ええ。これを見てちょうだい」


 どこか誇らしげに、電源を入れっぱなしだったノートパソコンの前を譲ってくる。


 怪訝に思いながらも、その画面を確認した僕は目を見開いた。


「これは……魂消(たまげ)たな」


「さすがの私もびっくりしたわ。希望的観測をすべて排除した上で、考えうる要素を詰め込んだ結果、こんな数字が出るなんて」


 どこか興奮している野菊の口ぶりももっともだ。


 これは……手段の一つであったこの計画を、そのまま『切り札』としても使えそうな結果だった。


「私はこの結果を、次の経営会議で発表して計画を推し進めるつもりだわ」


「その経営会議って……」


「ええ」


 野菊がうなずく。


「お父様も出席なさる、今年度の上半期の報告も兼ねた全体会議よ。そして、下半期でこの計画を推し進めるための決議を取る」


「……」


「気張りなさい、重松太槻。あと一ヵ月半で、この戦いに決着がつくわ」


 野菊にそう叱咤され、僕の気持ちも引き締まる。


 自分の道と自分の気持ちをしっかり固めて進む野菊の姿は、もう一人の立派な経営者にしか見えなかったから。

どうもお世話になってます

更新したりしなかったりで、ほんと申し訳ないです


だいたいあと三万文字、話数にして8~10話程度で完結する予定なので、どうぞ最後までお付き合い下さればと思います!

また、感想やポイント評価などいただければ非常にやる気とかモチベとか(もしかしたらクオリティとか)も上がるのでぜひお願いいたします!

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
●新連載のお知らせ 万引きしてた女子高生を諭したらいつの間にか通い妻になってた 宜しければ、こちらにも足を運んでくだされば幸いです。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ