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彼女と迎える朝

 そうこうしている間にも、部屋にはいい香りが漂ってくる。


 白米と、焼き魚と、味噌汁のにおいだ。


「野菊が僕のために作ってくれたと思うと、こう、込み上げてくるものがあるよね」


「だっだだだっだ駄犬のためになんか作ってないわよ!? これはただ、そう! ただ私が自分のために作ったおこぼれを犬にくれてやるというだけの話で――」


「もっと重松様に喜んでもらえるぐらいの手料理を振る舞えるようになりたい、とお嬢様は仰っております」


「言ってないわ! 捏造よ!」


 なんて言っている間にも料理が仕上がったので、皿や箸を出して食卓の準備を整える。


 それから、僕、野菊、村岡さんの三人でテーブルを囲んで手を合わせた。


「「「いただきます」」」


 三つの声が重なって、食事が始まる。


 今日の朝食は味噌汁に焼き鮭、そこに漬物がついてくる、お手本のような和食だった。


 食べてみれば、ちゃんとおいしい。炊いたご飯は浸水が足りないのか、少しだけ芯が残っていて硬めではあったものの、鮭も味噌汁も申し分のない味だった。


「うん、いいね。おいしいよ野菊」


「おいしい? 何を言ってるのかしら。人のことをバカにするのも大概になさい」


 褒めたのになぜか憤慨された。


「ご飯の炊きあがりがよくないわ。そんなことも分からないの? なんの考えもなく、ただ褒めるだけで私が喜ぶとでも思っているのなら随分おめでたい頭をしているわ。評価を口にするのなら偽りなく正当にするのが相手にとっての礼儀というもの。口先だけの誉め言葉をもらうぐらいなら、何も言われないほうが遥かにマシだわ」


 ガチ勢か。


 人にも厳しいけど、野菊は自分にも厳しいなあ。


「まあ、だったら正直に言わせてもらうと、僕はご飯はこれぐらいの炊き加減が好きだよ。こっちの方が歯ごたえを楽しめるからね」


 それと、と言葉を続ける。


「焼き魚はもっと皮がパリパリになるぐらい焼いてくれたほうが僕の好みかな? おいしいけど、ちょっと焦げてるぐらいが香ばしくておいしいと思うんだ。特に鮭は」


「そ、そう……把握したわ。次から気を付け――って、別にあんたの好みに合わせたいわけじゃないのよ!? ただ、これはそう、色んな感想を参考にしたいというだけのことであって他意は――」


「重松様好みの料理を作れるように精進したいと、お嬢様は仰っております」


「だから違うのよ村岡さん!?」


 野菊と村岡さんのお馴染みのやり取りに、思わず僕はくすくすと笑う。


 照れ屋な性分は、こうして同棲みたいなことを始めても相変わらずなようだった。


 ちなみにだが、村岡さんは部屋数が足りないため同じマンション内のワンルームを借りている。最初は僕がダイニングで寝ることも提案したのだが、「未来の旦那様にそんなことはさせられません」と言って断られてしまった。


 まあ、村岡さんのことだから僕と野菊に気を回したのかもしれないけれど。つい先日は、「進捗はいかがですか、重松様」と意味ありげな質問もされてしまったし。


「しかしまあ、野菊もこの数日で本当に料理が上達したよね。初日はソーセージすら焦がしていたのに」


「うっ……さ、最初のうちは誰だって失敗するものだわ」


「そうだね。失敗を恐れず、それどころか糧として前へ進む材料にする野菊の姿勢は僕も見習いたいところだね」


「……お父様のような経営者を目指すなら当然のことだわ。それに――」


「それに?」


「……駄犬に言うことでもなかったわ」


 顔を真っ赤にして野菊が視線を逸らす。それはどこか、照れ臭い感情を隠そうとしているかのようでもあり――。


 だから僕は、無理に追及しないでただ微笑みかけるだけにとどめたのであった。


「ところで、向こうの方の状況はどんな感じに進んでる?」


「それについては昨日、会議で話がまとまったところよ。役員の協力も取り付けることができたし、何より(おおとり)幽玄(ゆうげん)相談役を口説き落とせたのが大きいわね」


 話題を変えると、テレテレしていた野菊が一瞬で経営者の顔になる。


「……僕でも名前を聞いたことがある人じゃないか。某メガバンクの頭取で、日本どころかアジアの経済すら左右しかねないという噂の」


「そして今はお父様の相談役ね。立派な人よ……未だに『野菊お嬢ちゃん』と私のことを呼ぶ以外には」


「それは……」


 だって鳳幽玄といったら、もう還暦を越えている。その年齢の人からしてみれば、野菊なんて孫みたいなもんだろう。


「なにが『おしめも替えたことのあるお嬢ちゃんの頼みとあれば、竜蔵に喧嘩を売るのも面白かろうて』よ。ほんっとデリカシーの欠片もないわ」


「あ、はは……」


 大人物はやはり性格も剛毅なのだろうか。竜蔵さんを小僧呼ばわりをするなんて、よほどな人間でなければできないだろう。


 そんな人間を捕まえて『デリカシーがない』と悪態をつける野菊もなかなかである。小市民であるところの僕は、それだけで心臓が縮こまりそうだ。


「まあともあれ、相談役の後押しも獲得できたしこちらのほうに抜かりはないわ。で、あんたは?」


「所長に頼み込んで、今交渉の真っ最中。でも目をつけていた二十社のうち、十五社までは話をつけられたよ」


「そう。難儀するでしょうけれど、上手くやってちょうだい。いくら相談役の助力があったとしても、現場が整っていなければ算盤だって弾けないから」


「上手くやるもなにも、いかんせん僕も所長も技術者側だからなあ」


「随分と気弱じゃない」


「それもそうなるよ。交渉はやっぱり専門じゃないんだ」


 そうボヤきながら頭を掻くと、野菊が「ふんっ」と鼻を鳴らした。


「そんなこと言って……どうせそれでもやるんでしょう?」


 なんせ、とどこか誇らしげに野菊が続ける。


「あんたは私が見てきた限り、初めてお父様に正面から喧嘩を売った男なんだから」


「……評価が大袈裟すぎないかい?」


「そんなことないわ。興味津々よ。とんだ大物か、バカみたいな傾気者か、あるいは世紀の愚か者か……この喧嘩の行く末が、今から楽しみで仕方ないわ」


「少なくとも僕に言えるのは、こんな状況を楽しめる野菊こそ世紀の傾気者で、大人物だってことかな」


「そんなこと、おかげさまで知り尽くしてるわよ」


 不敵に笑って見せた野菊は、いかにも頼もしいと思う僕だった。

もうそろそろ大詰めですかねー……一応どう終わらせるのかは考えてはいるんですけど作者としてもここからどう転んでいくのやら

最後までお付き合い下されば幸いです


※サブタイトルが別の話とかぶっていたので修正しました

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