寝込みを襲う
その日の朝。僕は、ごそごそと何かが布団にもぐりこんでくる気配で目が覚めた。
意識は眠りの底から浮上しても、視界は開けない。まだ眠くて、瞳を開けられないでいるのだ。
暗闇の中、手探りで何がもぐりこんできたのかを確かめようとする。伸ばした手のひらが触れたのは、柔らかいながらもしっかりとした質感のある温かい何かだ。
不思議なことに、いつまでも触っていたくなる。手触りはシルクのような感じだが、少しでも力を入れると指が沈み込む。まだ眠気に支配されたままの僕は、欲望に突き動かされるがままに手の中のものを揉みしだいていた。
「むぅ……」
すると、そんな唸り声が聞こえてくる。どこか甘いその吐息に反応して目を開くと、目の前にとても綺麗な顔だちの女の子が横たわっていた。僕の腕を枕に、すやすやと心地よさそうに眠っている。
そして、僕の手が伸びているのは彼女の胸元だ。シルクみたいな感じの手触りはまさしくシルクそのもので、寝巻きに包まれた少女――野菊のたわわに実っているものをまさしく鷲掴みにしているといった有様であった。
しかも、野菊の寝巻きはだいぶ乱れていて、上はまくれ上がってお腹と下乳が見えているし、下のズボンは膝までずり下がっていて白い布地にピンクのリボンがいかにも鮮やかで色っぽい。
ベッドの上で、半裸のJKの胸を鷲掴みにしている成人男性。
「ちょっと自首してくるか……」
現実を直視してみたら事案だった。
だが、いかなる魔力か胸から手を離すことはできない。いやこんなん無理でしょ。だってもういかにも襲ってくれと言わんばかりの有様ではないか。
据え膳という言葉の意味を知る。これは食わねば恥ですわ。
というわけで、ペロリといかせていこうとした野菊に顔を寄せたところで、彼女がパチリと瞳を開いた。
そしてぱちくりと瞬きをひとつ。
「……なんで私のベッドに太槻さんが?」
「これ、僕のベッドだよ」
「へ?」
「あ、おはよう野菊。よく眠れた?」
「え、ええ……って、あれ? これは、どういうこと? 私は昨日、ちゃんと自分の部屋で寝たはず……」
まだ寝ぼけている野菊が、ぶつぶつ呟きながら視線を下げていく。そこでようやく、自分の格好と、まだ僕に胸を揉まれたままであるのを認識した。
「な……ななな、なな、なななななな!?」
「うーん、朝から野菊の顔を見るとなんだか気分も爽快だね。こう、すっきり目覚められる気がするよ」
「は? え、ちょ、なっ――このっ」
「さて。じゃあ、野菊もそろそろ起きようか。いつまでも寝てるってわけにもいかないし、ね」
「え? あ、うん、ええ……それはそうね」
さりげなく胸に触れてた手をどかしてから、野菊が頭を乗せていたほうの腕で彼女を抱き起こす。
そして、野菊に微笑みかけ、
「朝食の準備しちゃおっか」
と促した。
「え、ええ……そうね、朝食の――って、ちょっと待ちなさいこのセクハラ犬! 別の話題でごまかそうという魂胆なのだろうけれど、そうはいかないんだから!」
「バレたか」
朝から元気にぷんすか怒り出した野菊から逃れるように、僕は自室から直接繋がっているダイニングへと移動する。
「バレたか、じゃないわこの駄犬! 寝込みの私を襲おうとするなんていい度胸ね! 今すぐそこに直りなさい!」
「野菊、野菊。ちょっとあんまり騒ぐと隣の部屋の人がうるさいから……」
「ああもうっ、庶民ってのはいちいちみみっちいことを気にするのね!」
「あと、僕のベッドにもぐりこんできたのは野菊なんだからむしろ寝込みを襲われたのは僕のほうっていうか」
「……うるさいわね、みみっちいことをいちいち気にしてると立派になれないわよこの駄犬」
だからといって、照れ隠しで自分の非から目を逸らすのもなかなかみみっちいことだと思うんだ。
――ここ最近は、こんな感じで僕らは日々を過ごしている。
野菊が花邑邸を出てから一週間。そして、僕が野菊にとある計画を持ちかけてからも一週間。
結果的に彼女は、僕の計画にいくつかの修正を加えた上で受け入れた。
そしてその計画を実行に移すため、今僕らはこうして生活を共にしている。
僕の借りている部屋は2DK。もともと物置のように使っていた部屋を整理して、今はそこは野菊の執務室兼寝室となっている。
だが、なぜかこの一週間、野菊は毎朝僕のベッドで目を覚ます。一度は自分の部屋で眠りに就くのだが、必ず僕のベッドで目を覚ます。どうやらこれは本能的なもののようで、これではわざわざ部屋を分けた意味がないなあと僕としては思うのだが、野菊の言葉を借りるなら、
「犬と一緒に寝るだなんて汚らわしいことができるわけないでしょう? ただでさえこんな犬小屋みたいな場所での生活を我慢しているというのに、これ以上私に苦痛を与えようだなんてとんだ外道ね。本当におぞましい発想だわ」
ということらしいので、とりあえず彼女の好きにさせている。
……好きにさせた結果、僕の理性は毎朝大きなダメージを受けているのだけれど。
その、毎朝僕の理性に致命的なダメージを与え続ける系財閥令嬢は今、村岡さんと並んでキッチンに立ちながらぶつくさと文句を言い続けている。
「ほんと信じられないわ。手を出さないなどとかっこつけて私に恥をかかせたくせに、毎日毎日私を嬲り者にして……」
「お嬢様が積極的なようで何よりです。あ、ネギは小口切りですよお嬢様」
「せ、積極的なんかじゃないわ! くっ、こんな屈辱を私はいつまで受け続ければいいのかしら……。分かった、小口切りね。次は、どうすればいいのかしら?」
「いつまでと言われましても、末永くお付き合いし続けていくおつもりなのでしょう? あ、次はですね、豆腐をさいの目切りにしてください。それとお鍋にお湯、沸かしますね」
「末永っ……!? あ、朝っぱらから破廉恥なのは感心しないわ村岡さん!? ……豆腐はこんな感じかしら? あと、魚もそろそろ焼けそうだわ」
「あらあら、お嬢様ったらいったいナニを想像なされたのでしょう? 妄想著しいようで何よりです。……あ、お豆腐いい感じですね。そしたらグリルの野菜は裏返していただいて、あとは水に漬けておいたわかめはザルに上げて……」
「今とても侮辱的な当て字が垣間見えた気がするのだけれど!?」
そんな野菊と村岡さんの後ろ姿を眺めながら、いいなあ、なんて僕は思う。
なんていうか、これってこう、あれじゃない? なんていうの? 新婚さん? っぽいっていうか?
ほら、年齢的に考えて姑な村岡さんに、新妻たる野菊が色々と教わっているようにも見えて……。
「重松様? なんだかわたくし、今無性にイラっとしたのですが」
……さすがはベテランの使用人。人の機微に敏いものだなあと、思わず冷や汗を垂らすのであった。




