自分で決めたこと
「……お父様。これは一体、どういうおつもりなんですか?」
時は少し遡り。
村岡が太槻を見送り部屋に戻ると、父と娘が対峙していた。
かたや、姿勢良く執務机に向かいながら。かたや、体の両脇で握り拳を作りながら。
野菊が張り詰めた空気を醸している一方で、竜蔵はというと涼しげな顔である。野菊の言葉を右から左へ聞き流しながら、目を通しているのは経済新聞だ。
「どういうつもりもなにも、さっき言った通りだよ。重松太槻――彼はどうにも野菊にふさわしくないようだ」
「……!? さっきはあの方の名前をわざと間違えて……!」
憤慨する野菊には取り合わず、竜蔵は穏やかに言葉を続ける。
「お前の幸せを思えばこそ、俺が代わりに切ってやったんだ。お前は何を怒っている?」
「あの方と私が出会ったのは、もとを辿ればあなたが原因ではないですか! 遺伝子マッチングAIシステム……それに私の遺伝子を勝手に登録したのは、お父様です!」
「そうだな。さらに言うなら、そのシステムを考案したのも、システムを利用したマッチングプロジェクトを推し進めたのもこの俺だ。お前にふさわしい相手を探すために、な」
「……私に、ふさわしい?」
「ああ」
と、竜蔵が経済新聞から顔を上げ、そこでようやく真っ直ぐ野菊と視線を合わせた。
「お前の伴侶はいずれこの花邑を継ぐことになる。それだけの能力を具えた上で、野菊を幸せにしてやれるだけの器を持ち合わせていなけりゃならん。となれば、遺伝子レベルでお前と惹かれ合う男なら良いだろうと思ってな」
「……なぜそうなるんですか」
「これは親の欲目と思われるかもしれんがな。野菊よ、お前はなかなか優秀だ。優れた遺伝子を持ち合わせておる。そんなお前の遺伝子と惹かれ合う男ならば、器と才覚のどちらも併せ持っているかと思ってな」
だが、と竜蔵が、むしろ苛立たしげに吐き捨てる。
「重松太槻。ありゃダメだ。相性1000%などというから部下にお前との交際を報告させてみたが、器もなければ才覚もまるで感じられん。作法も礼儀も品格も、どれもがあまりに見劣りするわい」
「……それは、でも彼は庶民で」
「庶民だろうが上流階級だろうが、CGなどという下らんもんを作っとるんだろう? 妄想の中でしか存在し得ないもんを売りもんにしとるんだろう? おまけに経歴もあまりに凡庸。どこまでも凡夫。挙句の果てに、せっかく用意した部屋の鍵を受け取らんわ、渋谷なんぞという下品な街にお前を連れ出すわ……これでは不適格と判断するほかあるまいよ」
「それは……確かに、鍵を受け取ってはくれませんでしたが、それはあくまで私の意志を尊重してくれたからで……」
「それがぬるいと言っておる。意志を尊重? 心の準備? たわけが。そのようなとろくさいことを言っている男に、花邑の会長が務まるなどとよもやお前も思っちゃおらんだろう?」
「それは……お父様の跡は私が継げばいいだけです」
「それこそ、バカを言え」
竜蔵が鼻先でせせら笑う。
「女が働くもんじゃない。いいか、野菊。前からお前には言っているがな、女というものはおとなしく家庭に入っておくのが最も幸せな生き方よ」
「そんなことは――ッ」
「男女共同参画だの、男女平等だの、女性にも仕事や活躍の場をだの言うがな。俺は仕事に生きる女が幸せそうにしているところなど見たことないわ。女というもんはな、家庭に入り旦那と子どもを支えるのが最も正しく、そして幸せになれるものだと決まっている」
それは、野菊が以前から言われていることだ。
お前の旦那が次の会長になる。女が働くもんじゃない。いずれお前も家庭に入る。女の幸せを手にすることだけ考えろ。――他にも、他にも。たくさん、たくさん。
竜蔵はそういう人間だった。女が仕事に精を出すことに否定的で、家庭を守り家事や育児にこそ心血を注ぐべきだと考えている。そのことは野菊もよく知っている。
だから、野菊は一度も認めてもらったことがない。拝み倒して任せてもらえるようになった会社で結果を出しても、会長職を継ぐために経営や経済の勉強を積み上げても――竜蔵の目からは『女には分不相応なこと』と見えてしまう。
それは、『憧れ』そのものの否定に等しくて。
それに――それにだ。
「……なぜ、お父様が私の幸せを決めるのですか」
「む――?」
「太槻様と直接言葉を交わされたことのないあなたが、何を持って彼を不適格だと断じたのですか? 実際に彼の仕事を見たわけでもないあなたが、何を持って彼の仕事を下らぬ妄想を売り物にしていると断ずるのですか? 女に生まれたのならば家庭に入るのが幸せだと、なぜ男であるお父様に言い切ることができるのですか!?」
「分相応というもんがある。野菊、お前は俺に従っておけば間違いない」
第一、と竜蔵は目を細め、
「野菊よ。――なぜお前の名が『野菊』なのか、今一度よくよく考えろ。分を外れて熱に溺れた女の末路めが、同じ轍を踏むのは許さんぞ」
「旦那様、それは――!」
それまで沈黙していた村岡がとっさに口を挟むも、時はすでに遅かった。
ダンッ――と、野菊が鋭く床を踏み鳴らす。
「許されなくて結構です! そもそも、この話とあの人のことは今は関係ないことでしょう!」
それからくるりと踵を返すと、未だ怒りも冷めやらぬとばかりに荒々しい口調で言い放った。
「あの方――重松太槻様を私の交際相手として不適格だと断じたお父様に私は異議を唱えます。この件に関しては一切退くつもりがないこと、どうぞご理解くださいますよう!」
殴りつけるように言い切り、足音も荒く退出する。
そんな野菊の背中と竜蔵の顔に、村岡も交互に目をやって――それからやがて、竜蔵に向かって恭しく頭を下げた。
「旦那様。恐れ入りながら、お願いがございます」
「……暇ならくれてやる。野菊のお守りがしたいなら好きにしろ」
「ご理解いただきありがとうございます。しばらくは屋敷を留守にさせていただきます」
「ったく、これだから女というもんは。すぐ、感情に踊らされ軽率に走る。嘆かわしいことだ」
「ですが」
村岡は去り際、竜蔵に向かって微笑みながらこう言った。
「その感情があればこそ、わたくしどもは彩り豊かに生きておりますので」
* * *
「という次第で二人で家出することになりました」
「何、天下の花邑グループの総帥に真正面から喧嘩売ってんの、二人して!?」
家出に至るまでの話を聞かされた僕は、つい柄にもなく激しいツッコミをぶちかましてしまうのだった。
「だって、お父様の言い分には納得しかねたのだもの。筋が通っていない。私の意志を尊重していない。それだけでは飽き足らず――いいえこれは特段口にする必要のないことだったわ」
「お嬢様は、『私の愛しの重松太槻をバカにしたお父様を許せない』と仰っております」
「そんなことは一言も言ってないわ! でまかせを言うのはやめてちょうだい!」
野菊がわたわたと両腕を振って村岡さんに文句を言う。
だが、村岡さんは野菊の文句を気にした様子もなくどこ吹く風だ。見た目の穏やかさからは想像できないけれども、この人は案外肝が太い人なのかもしれない。
しかし、僕の方はそこまで肝が大きくないんだ。
「いくら腹が立ったからって……家出までするのはやりすぎじゃ……」
「何よ。犬の癖に、私が決めたことに文句を言うつもり?」
「文句っていうかさ……」
「……せっかく私が自分で決めたことなのに」
ムッとした様子で野菊が僕にちらちらと視線をよこしてくる。
それはまるで、親の手伝いをした時の子どもみたいな仕草で――。
ああ、そうか。
『自分で決めたことなのに――』
つまるところは、野菊にとってそこが一番大事なことで。
「うん、やっぱり僕の思った通りだ」
「…………」
「自分で考えて自分で決めて自分の選んだ道を行く――君はそれができるようになる人だって、知ってたよ」
僕の言葉に、野菊がぱあっと表情を輝かせる。
だがそれも一瞬のこと。すぐに極まりが悪そうな様子で顔を背ける。
「そ、そんなこと、あんたに言われるまでもないわっ」
そしてすぐにそう噛み付いてくるけれど――脇がやっぱり甘いよ、野菊。
頬が真っ赤になってるのが丸わかりだ。
「ところで――さっき聞いた話で少し気になったことがあるんだけど、ちょっといいかな」
「……どうせ下らないことでしょうけれど、寛大な私は質問することを許してあげるわ」
「ありがとう。それで、気になったことっていうのはさ」
野菊の許しを得て、僕は彼女に問いかける。
問いの内容は、野菊の父親、花邑竜蔵の残したある言葉だ。
――なぜお前の名が『野菊』なのか、今一度よくよく考えろ。分を外れて熱に溺れた女の末路めが、同じ轍を踏むのは許さんぞ。
これはきっと、野菊の父親にとって大きな意味を持つ言葉だ。そして、野菊自身にとっても無視できないものに違いない。
事実、僕の問いかけに、「それは……」と野菊が言葉を濁らせる。
まるで、触れたくない傷がそこにあるとでも言うかのように。
「お嬢様。この件については、重松様にもお話されておいた方がよろしいかと」
表情を曇らせた野菊に、村岡さんがそう進言する。
「お嬢様の気が進まなければ、わたくしから重松様にはご説明申し上げてもよろしいですが――」
「必要ないわ。大事なことだもの。ちゃんと、私の口から説明するわ」
首を振り、野菊が息を整える。
それから心持ち姿勢を正すと、彼女は次の言葉を口にしたのだった。
「私、花邑野菊の母親は、花邑早苗。お父様の……実の妹よ」
レビュー一件いただきました! ありがとうございます!
それと、少々本編ではシリアスパートに入りますが、暗い展開になる予定はないのでご安心ください! 最後は明るくハッピーエンドな大団円を目指していますので!




