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着せ替え人形


「あー……松重君、だっけ? 君。えーとそうそう、い、い、いつき君? 君さ、ちょっと色々こっちで調べさせてもらったけどさ……野菊とはもう別れてもらうことにしたから」


 そして。


 野菊の父親――花邑竜蔵その人と会ったその日。


「「…………え?」」


 僕と野菊は、そんな衝撃的な『決定事項』を告げられてしまうのであった。


 * * *


 ――衝撃的な『決定事項』を告げられる、まさにその一時間前。


 僕は通された野菊の部屋で、着せ替え人形にさせられていた。


「……これもダメね。村岡さん、次の服を用意してくれないかしら?」


「あの、ちょっと、野菊?」


「かしこまりました、お嬢様」


「いや、だから、村岡さん?」


「犬は黙って待ってなさい」


「恐れながら、重松様はお口を出されないほうが賢明かと」


「なんだか二人とも辛辣じゃない!?」


 あんまりなものの言われように、思わず僕は突っ込んでいた。


 こちとら、初めて訪れる恋人の部屋なのだ。野菊の父親に会うためにやってきているとはいえ、もう少し甘酸っぱい感じの雰囲気なんてあったりするかな~なんて期待を抱きながらやってきたのだ。


 しかし蓋を開いてみればこの有様。


 部屋の中に入った途端に押し付けられる正装の数々。


 野菊の言葉を借りるなら、『お父様に会うためのドレスコード』があるらしく……それらを片っ端から試されているというわけだった。


 ……いや、まあ、これまでだってドレスコードを経験したことがないわけじゃない。むしろ、野菊のほうから声をかけてくれるデートにはほぼ必ずドレスコードがついて回ってきたぐらいである。


 ディナークルーズとか、会員限定のラウンジとか、予約以外の客は取り扱っていないレストランとか。


 そういう場所で色んな服は着せられたけれども……今日みたいな勢いで着せ替え人形にされたことはさすがに初めてだったわけで。


「さすがに口挟ませてもらいますって! これ、全部試さないといけないんですか!?」


 ずらっと並ぶ、ジャケットにスラックス、ネクタイ、革靴、その他諸々の服の山に、僕がそう言ってしまうのもきっと無理はないだろう。


 ワイシャツにいたっては、デザインのどこがどう違うのかまるで分からないものが少なくとも四十枚はある。


 それらを片っ端から着せ替えさせられ始めておよそ一時間。着替えすぎて、僕もそろそろ限界を迎えつつあった。


「何当たり前のことを言っているのかしら。さすがは愚犬といったところかしらね」


「これが当たり前なのか……とんでもないな上流階級」


「というわけで、組み合わせを変えてまた最初から。そうね……三番と十二番のジャケットとスラックスを今度は合わせて――」


「お嬢様」


 思案顔になる野菊に、村岡さんがそこで話しかける。


「さすがにもう時間に暇がございません。旦那様をお待たせするわけには……」


「あら、そうね。もうこんな時間なの」


 時計を見れば、十一時を少し回ったところである。


 ただでさえ多忙な野菊の父――花邑竜蔵に、せっかく時間を作っていただいたのだ。その上で待ちぼうけを食らわせるなど、実の娘とはいえど到底許されることではないだろう。


「仕方ないわね。村岡さん。あと何通りほど試せるかしら?」


「時間との兼ね合いも見ますと、せいぜいが五通りほどかと」


「分かったわ。じゃあ……」


 と、野菊が選別した五通りの正装スタイルを、結局そのあと僕は試されるのであった。


 * * *


「……以上が、野菊様のお父上である花邑竜蔵様の経歴でございます」


「とんでもない人だな」


 着せ替え人形をさせられながら、その一方で花邑竜蔵についての事前知識も一通り詰め込まれることになった。


 花邑グループは、もともと不動産業界で頭角を現した巨大企業だ。


 しかしその花邑グループを今の地位にまで押し上げたのは、現在花邑グループの会長の地位にある花邑竜蔵、その人であった。


 花邑竜蔵が会長に着任して、わずか二年で住宅・都市開発の分野で一躍トップに躍り出る。それだけでは飽き足らんとばかりに、医療や製薬、住宅機器に自動車販売等、様々な分野にも手を伸ばしいずれも大成功。


 花邑グループ会長となって二十年足らずの間に、彼は日本の大富豪の中でも五指に入る億万長者にまでのし上がったのであった。


「そこまでの大人物と会合だなんて……」


 思わず唾を飲む僕に、野菊が「あら?」とからかうような笑顔を向けてくる。


「普段、この私と接しておきながら今さら怖気づくなんて情けない男ね。私はまさに、その大人物の一人娘なのだけれど?」


「いやもう、今になって野菊様には頭も上がんないですよ」


 ははー、と頭を下げてみれば、野菊がゴミを見る目を向けてきた。


「その慇懃無礼なへりくだり方を今すぐやめなさい。反吐が出るわ」


 下げた頭を元に戻す。


 きっついなあ、と思いながら村岡さんから受け取ったネクタイを首に巻いた。


「ところでさ。野菊のお父さんは、どんな人なのかな?」


「人の話を聞いていなかったの? 今説明したばかりよ? 頭が鳥なの? 散歩歩いたら朝に食べたものも忘れるの?」


「ああ、今のは僕の聞き方が悪かったね。その……野菊から見た花邑竜蔵って、どんな人なのかなって。それを教えてほしいんだ」


 その問いに野菊は「そうね」と指を顎に当てる。


「私から見たお父様は……やっぱり、経営者としてとても素晴らしい人だわ」


「…………」


「やることは大胆で、決断だって迅速で――社員からの評判も良くて、どんな時でも精力的で」


 目を輝かせて、野菊は言う。


「尊敬、してるわ。きっといつか私もあの人みたいな経営者にって、憧れてる。きっと私の一生の目標だわ」


「そっか」


 父について語る時の野菊の表情が、とても輝いていたから、僕の覚悟もそこで決まった。


 きゅっ、とネクタイを締めながら、僕はうなずく。


「野菊がそこまで尊敬する人なら、僕も会うのが楽しみだよ」


「楽しみならば――」


 すると野菊が、身なりを整えた僕に歩み寄ってきて、首元へと手を伸ばしてきた。


「身だしなみもきっちり整えるようにしなさい? ネクタイが曲がっていてみっともないわよ」


 そしてその手で、彼女が僕のネクタイを直す。


 そんな――まるで新妻がするような作業に、つい僕は見入ってしまった。


 そもそも、今日の彼女はとりわけ輝いているように見える。たまにしか会えない父と会うからだろうか、見慣れないスーツ姿に身を包んでいて、これがまた彼女の雰囲気を引き締めていて、いつもよりも数倍は大人びて見えた。


 僕が見惚れていることに気づいたのか、野菊が顔を上げて首を傾げる。


「何を見ているのよ。随分と間抜けな顔をしているわよ?」


「いや……野菊が僕のネクタイを調えているのが、なんか胸にキて」


「…………!?」


 つい素直な感想を口にすると、野菊の頬がみるみるうちに赤くなる。


「あ、あんたねっ、不意打ちでそういうことを――」


「お嬢様、重松様。そろそろお部屋を出るお時間です」


 と、そこで村岡さんが声をかけてくる。


 だが、僕らの顔を見た村岡さんは、「やれやれ」といった表情を浮かべて肩を竦め、


「お二人ともそのお顔で旦那様の前に出られるおつもりですか?」


 と、ため息を漏らす。


 ――結局僕らがそのあと部屋を出られるようになるまで、五分ほどかかってしまうのであった。


 * * *


 ――そして。


「あー……松重君、だっけ? 君。えーとそうそう、い、い、いつき君? 君さ、ちょっと色々こっちで調べさせてもらったけどさ……野菊とはもう別れてもらうことにしたから」


「「…………え?」」


「要するにね、君、落第。ふさわしくない。君では野菊の伴侶たりえないと、まあそういうわけだから」


 野菊の父、花邑竜蔵は、出会い頭に僕らの『破局』を告げてきたのであった。

物語も折り返し地点になりました

あ、最後はちゃんとハッピーエンドになるとだけ。読者の皆様方につきましてはご安心下さいませ

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