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渋谷Hunting OR Dead

 受付を済ませ、カップルシートへ。


 野菊は服の裾を指先でつまみながら、僕のあとから静々とついてきた。


「ここは……」


「漫画喫茶って聞いたことないかな?」


「初めて聞いたわ」


 書籍の紙のにおい。


 空気清浄機の回る音。


 ブースから時折聞こえてくる、紙をめくる時の擦れる音。


 野菊の普段の生活では、渋谷の街以上に触れる機会などない場所に、彼女は思わずいつもの毒舌も忘れてきょろきょろと辺りを見回していた。


「随分と、その……雑然としてるわね」


「そうかな? うん、そうかも。初めて来ると結構不思議な空間かもしれないね」


 漫画の置いてある空間だけ見れば、ちょっとした図書館のようでもある。


 だが照明とか、漂っている雰囲気とかはどこかいかがわしい。少なくとも、図書館にあるような健全さや清潔さといったものは皆無だろう。


 未知のものに触れているせいかどこか恐々と足を進める野菊を引きつれ、カップルシートまで僕らはやってきた。


 カップルシートは、二人掛けのソファ席だった。目の前のテーブルにはキーボードとマウス、そしてモニターが置かれている。


 モニターの電源をオンにすると、画面にはパソコンのデスクトップが表示された。


「こんなところに連れてきて、私にいったい何をするつもりかしら」


 ソファに腰を下ろした野菊がそう聞いてくる。慣れない場所で緊張しているのだろう、口調はどこか硬いものだった。


「んー、ちょっと待ってね」


 そんな彼女をよそに、マウスとキーボードを操作する。


「そもそも、僕が今日渋谷をデートの場所に選んだのは、とても壊し甲斐のある街だからなんだ」


「壊し甲斐って……」


「映画とか、漫画とか、アニメとかで、思い切りぶっ壊した時にど派手で画面映えするってことね」


 そういう建造物は色々ある。


 東京タワーに都庁、皇居。新宿駅にスカイツリー。西日本なら、数々の寺社仏閣。海外ならば自由の女神。


 そして、渋谷のスクランブル交差点。ここで大爆発でも起これば、一瞬で大惨事だってことが分かる。


 マウス操作で目的のアイコンをダブルクリックで選択して、ユーザーIDとパスワードを入力。モニター上にゲームのスターティング画面が表示された。


 そのタイトルは――。


「『渋谷Hunting OR Dead』……?」


 そう、僕がフィールドの一部を担当してデザインした、壊し甲斐のある街渋谷を舞台にした、オンライン型対戦アクションゲームだった。


 通称は、頭文字を取ってSHOD。対戦型アクションゲームではあまり例がない、一人対複数の対戦ゲームということで、そこそこ知名度も高い。


 だが何よりもユーザーの間で話題になったのは、異界と融合しダンジョン化した渋谷の街の、そのデザイン性の高さだった。


 渋谷駅を土台に天を突く摩天楼。地面を這う蔦。異形化し狼のような風貌となったハチ公像に、おどろおどろしく様相を変えたセンター街。


 そのいずれもが間違いなく非現実的であるにも関わらず、それでもフィールド全てが渋谷だということがはっきりと分かる。現実と非現実、ちょうどその境目に放り込まれたような感覚が、ユーザーの中でも好評だった。


 対戦モードではなく、フリーモードを選択してフィールドへと降り立つと、隣で野菊が「っ」と息を飲む気配がした。


「これって……」


「うん。渋谷駅だね」


「でも……全然違うわ。違うのに、違わない」


 声を震わせながら野菊が呟く。そんな彼女の反応に満足しながら、僕はキャラクターを操作する。


 東急百貨店やセンター街、公園通り、ロフトにハンズ、セルリアンタワーに道玄坂、そして――マークシティ。


 もちろん、今日一日で渋谷の街を全部回れたわけじゃない。それでも野菊は、渋谷がどんな街なのかさっきまで歩いて、見て、回っていた。


 だから彼女の目の前にもきっと広がっているはずだ。見たことがあるのにどこか違う、そんな不可思議で、だけど魅力的な光景が。


 ちらり、と野菊の様子を伺うと、彼女は食い入るようにして画面を見つめていた。今日一日、なにかと僕の服を握りこんだままだった手も、今は両方とも胸の辺りでぐっと握り締められている。


 時折、角を回るたびに移り変わる景色や光景に、「わぁ……」とか「すごい……」とか感嘆の声を漏らしている。その声に込められた色は、純粋で透明な感動だった。


 人は本当に「すごい」と思うものを見て感動した時、そこに雑念なんて混ざらなくなる。僕だってそうだった。初めてオープンワールドというものを知ったとき、時間も忘れてフィールドを探索した。世界の広さというものを、たった20.5インチのモニターの中で痛いぐらいに思い知った。


 思えばそれが、『空間が広がっていくこと』への憧れを最初に抱いた瞬間だったのかもしれない。その時の憧れが高じて――今、こんなことを仕事にしている。


「どうだった?」


 フィールドを一通り巡ったあとで野菊に問いかけると、彼女は「ハッ」とした様子で顔を上げた。


 それから腕を組むと、思い出したような仏頂面を浮かべて、


「こ、こんな下らないものを見せたりなんかして、どういうつもり?」


 そう言って、ムッと唇を尖らせてみせた。


 彼女のその態度に、微笑ましいものを覚えて僕は苦笑を漏らす。


「質問に質問で返されると困るんだけどな」


「別に、そういうつもりじゃ――」


「本当に下らないと思った? それ以外のことを、野菊は何も感じなかった?」


 重ねて問うと、彼女は気まずそうな様子で瞳を逸らす。まるで素直になれない自分を恥じ入るかのような仕草だった。


「……すごい、と思ったわ」


 ポツリと野菊が呟く。


「見たことのある場所が、不思議な形になっていて、でもそこを自分でも歩いたことがあるって思ったら……確かに感動を覚えたわ」


「そっか……野菊にそう言ってもらえて、よかった」


 内心で、僕はぐっと拳を握っていた。


 届いた、と思った。僕の好きなものが。僕の創っているものが。


「それで、なぜこれを私に見せたいと思ったの?」


 僕の心を知ってか知らずか、野菊がそう訊ねてくる。


「いつもはさ。いつも僕が、野菊のことを教えてもらってばかりだったから」


「そうかしら?」


「そうだよ。たくさん、豪華な体験をさせてもらったじゃないか。上流階級ってやつを――花邑野菊が生まれ育ってきた世界というやつを、何度も何度も君は僕に教えてくれたじゃないか。だったら今度は、自分のことを野菊に知ってもらいたいと思うのは、当たり前のことなんじゃないかな?」


 そう。僕は見たかったのだ。


 僕が世界の一部を創ったこの映像を見て、彼女がどんな反応をするのかを。どんな感想を言うのかを。


「このゲームのフィールドの一部は、僕がデザインさせてもらったんだ。……本当に、一割にも満たない規模だけど。僕がどういうものを創っているのか、野菊には知ってもらいたかったんだ」


 僕の言葉に、野菊は恥ずかしそうに、はにかむように、口元を綻ばせ、


「こういうものに関われるだなんて、素敵だと思うわ」


 小さいけれどはっきりとした声で、そんなことを言ってくれるのだった。


 それからどこか寂しげに、


「自分で考えて、自分で決めて、自分で選んだ……だったかしら」


 と、かつて僕が言った言葉を口にした。


「覚えてたの?」


「ええ。……あの時、あんたを初めて大人だと思ったから」


「大人、かなぁ? いや、うん、大人なんてなってみると案外こんなもんかー、って感じだよ。僕が高校生の頃は、大人ってもっと何でも知ってるもんだと思ってたけど、年々知らないことのほうが多いって気づくばかりだし」


「それでも、私から見たらあんたは大人だわ。だって――」


 * * *


 ――だって、自分で何かを決めたことも、選んだことも、これまで一度もないのだから、と野菊は思う。


 いつだって誰かが考えてくれていた。


 いつだって誰かが与えてくれていた。


 野菊にはよりよい教育を。野菊にはよりよいものを。野菊にはよりよい何もかも。野菊には、野菊には、野菊には――。


 機会を得たのは父親のおかげで、結果を得たのは誰かのおかげで、自分でなしたことなんてこれまできっと一つもない。そんな風に、彼女は思う。


「私は無理だわ。自分で考えることも、自分で決めることも……ましてや選ぶことだって」


 だから、太槻を見ていると、野菊は胸がざわついてしまうのだ。


 今日だって、彼は彼なりにデートのプランを計画して、野菊をエスコートしてくれた。いつだって野菊が疲れていないかどうか気遣ってくれていたし、さりげなく話題を振ってくれたりもした。見たことのないものや触れたことのないものもたくさん知れて、庶民というものを教えてくれた。いずれも野菊のことを彼なりに考えて、誘ってくれたデートだった。


 一方で、自分はどうなのだ。父から言われたように太槻と会い、言われるがままにタワーマンションの鍵を渡そうとしては断られ、誰かの考えた計画に乗っかる形で太槻を連れ出してはいつもどこかで退屈な気持ちに気づかれていたりなんかした。


 なんとも自分が情けなくなる。


 誰かに――主に父親に――言われるがままでしか動けない自分をごまかすために強い自分を演じても、太槻にはまるで通用しない。いつだって笑って受け止められてしまうのだ。


(とても、真似できないわ)


 心の中で密かに落ち込む。太槻のようにはなれないと、すぐにそう思って諦めてしまう自分が情けない。


(私なんかにはきっと、いつまでも、何も決めたりなんか――)


 ちょうどその時だった。太槻がポンと頭に手を乗せてきたのは。


「僕から見れば、野菊は立派にやってると思うけどなあ」


「……え?」


「今日だって、ほんとは休みなのに仕事の電話に対応してたでしょ? あそこで出ないことだってできたはずなのに、野菊はそれを選ばなかった」


「でも、それは向こうからかかってきたから……」


「勉強だって運動だって、一生懸命やってるでしょ? 村岡さんから聞いて知ってるよ。期末テストでは学年でまた一位を取ったって」


「それは、だって、いい環境を用意してもらえているのだからそれなりの点数を取らなければ――」


「そう考えて、点数を取るために努力して、学年一位を取れたのは野菊の選択した結果だよ」


 だから、と太槻は野菊の頭を撫でながら言葉を続けた。


「自分のことをさ、自分で頑張ってないことにしなくてもいいじゃないか。っていうか、野菊が自分で否定するなら僕が無理やりでも野菊の頑張りを認めるよ。だって頑張ってる人が評価されないなんて、すごい腹が立つからね」


 無理やりにでも認めると言われて、なんだか不意に涙腺が緩む。


 だけど泣き顔だなんて、そんな情けない顔を晒したりなどしたくなくて、野菊はとっさに表情を隠すように下を向いた。


「だっ、駄犬風情がっ」


 いつもの調子を取り戻そうとして出した言葉も、舌がもつれて上手く言えない。


「分かったような、ことをっ偉そうに口に――ひぅ!?」


「別に、無理に何かを言おうとしなくてもいい時だってあるんだよ。それより今はもう少しこのゲームをやってみない? 多分野菊、こういうゲームにはほとんど触れたことがないよね?」


 言いながら、太槻が付属のゲームパッドを野菊の手に握らせてくる。


「これさ、ハンター側は最大八人まで同時プレイが可能なんだよ。それでルールと操作方法はね、基本的に――」


 そしてゲームについて語り始めた時には、先ほどまでの、野菊をドキッとさせた大人っぽい表情なんてすっかり消え去っているのであった。


 だから野菊も仕方なくゲームパッドを握る。こういうゲームをやってみるのも、確かに面白そうだと思った。


「あ、野菊、そこ僕が張った罠」


「え? ぎゃあああ死んだ!? これ死んだ!? 駄犬のせいで私死んだ!?」


 * * *


 そんな風に、野菊に僕のことを少し深く知ってもらった日の帰り道。


「ねぇ、あんたにお願いがあるんだけど……会ってくれない? 私のお父様に」


 その日最大の爆弾が、野菊の口から落とされたのであった。

というわけで雰囲気を少々変えてお送りいたしました相性1000%です。

物語もそろそろ中盤の終わりに差し掛かってきたところですかね? 続きの構想がゼロなんで更新まちまちになっちゃいますけど最後までお付き合い下されば幸いです


あ、『渋谷Hunting OR Dead』割と気に入っている設定なので誰かゲーム化してくれると僕が泣いて喜びます

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●新連載のお知らせ 万引きしてた女子高生を諭したらいつの間にか通い妻になってた 宜しければ、こちらにも足を運んでくだされば幸いです。
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