語る、月下で。
「か、勘違いするんじゃないわよ。これはあくまで私があんたの散歩をしてあげてるんだから。犬畜生に散歩をさせてあげるのは飼い主の義務であり私はその義務を果たしているだけで――」
僕に手を繋がれ、後ろからは使用人さん達に着物の裾を持ち上げられた野菊が、外に出た途端さっそくとばかりに噛み付いてくる。
「うんうん、そうだね。あ、そこ段差あるよ」
「い、いちいち言われなくても分かってるわ!」
うん、僕に噛み付くのに必死で今まさに足を引っ掛けそうになっていたのは黙っていてあげよう。
そのまま僕らは、ゆっくりと庭園を歩く。
歩く途中、何の気なしに野菊のほうを振り返ってみると、
「にへ、にゅへへへへへへ……」
「…………」
なんかもんのすごい緩みきったニヤけ面を晒していた。
「にゅへへへ……な、何よ!?」
あ、僕に見られてることに気づいて仏頂面になった。
威嚇するように睨んでくるけど、さっきのニヤけ面を目の当たりにしたあとだと効果なんて微塵もないんだよなあ……。
「いや、少し野菊の顔を見たくなっただけだよ」
「~~~~前を向いて歩きなさい!」
そう言われて素直に前を向く。
でも、さらに少し歩いた辺りで再び後ろを窺ってみると、
「にゅへへへへへへへ……」
ほわわ~ん、とか、ぽわわ~ん、とか、そういう効果音の聞こえてきそうな顔面を再び野菊が晒していたのであった。
「野菊、僕と手を繋いで散歩するのが嬉しいの?」
「そ、そんなわけないでしょっ。どうしたらそんな的外れな勘違いができるのかしら! さすが駄犬ね、妄想と思い込みだけはとても良くできる愚かな犬だこと!」
気になってそう問いかけてみると、野菊がまた仏頂面に戻ってぎゃいぎゃい文句を言ってくる。
作品名・恥ずかしいところを見られて怒る女の図――といったところだろうか。喜んでいるところを見られて照れ隠しする女の図、でもいいかもしれない。
「僕は嬉しいんだけどな。野菊とこうやって手を繋いで歩くの」
「うううぅぅぅぅぅぅぅ! い、いいからとにかく、私の顔ではなく周りを見て歩きなさいな。せっかくの花邑邸の庭園よ。普通なら何百万と払わなければ鑑賞することのできない代物なんだから!」
なるほど、それも確かかもしれない。
僕は素直に彼女の言葉に従い、庭園へと目を向けた。
玉砂利の敷かれた散歩用の小道。
ライトアップされた観賞用の花々の植えられた花壇。
刈り込まれ見栄え良く整えられた芝生。
そして時々見える休憩用の四阿や、品の良いデザインの噴水などが、月明かりに照らされている。
いかにもといった、お手本のような『お嬢様』の住まう屋敷の庭だ。漫画や映画の世界ならばいざ知らず、こうして現実で目の当たりにするとさすがに圧巻だと言えた。
「……皇居の庭もデザインした造園師に父が作らせたそうよ。あちらの噴水と四阿も、名うての造形師が意匠を凝らしたものだとか」
「そうか。道理で立派なわけだ」
プロの仕事というものは、無条件で見る者の心を揺さぶるのだろうなと思う。
庭木の植えられる場所、彩りを加味した花壇の配置、噴水や四阿そのもののデザイン、いずれもセンスと論理を高いレベルで組み合わせて作られたものだということが分かる。
僕はなんとも――そういうのに弱い。
「……いつか僕も、こういうものを作ってみたいもんだなあ」
つい、そんなことを呟いていた。
「あんたみたいな犬に庭を鑑賞するような高尚な趣味があるとでも?」
「ああ、いや……庭だけじゃなくてさ。好きなんだよね、こうして歩きながら色んな景色を眺めるの」
「景色を……」
「とりあえず、ちょっと座ろうか」
野菊の手を引いて、玉砂利を踏みしめながら四阿へと入る。
隣り合って長椅子に腰を下ろしたところで、僕は口を開いた。
「僕がしてる仕事は3DCGを作る仕事なんだ。主にゲームやアニメーションなんかで、フィールドを作ったり、3Dキャラのモデリングをしたり、まあそんな仕事」
「……いきなり何を言い出すの?」
「どんな仕事をしてきたのかって聞いたのは野菊でしょ?」
食事が始まる前の会話で先にそんなことを聞いてきたのは野菊だ。
「そのときにちゃんと答えられなかったから、今答えようと思ってさ」
「……興味ないわ」
「じゃあ、話すのはやめとこうか」
僕が言うと、野菊は反対側を向きながらきゅっと握る手の力を強くした。こういう素直じゃない時の野菊の仕草は一級品レベルで愛らしい。
「それじゃ話を続けるけど」
「興味ないって言ったじゃない」
「僕が少しでも野菊に僕のことを知ってもらいたいだけだよ。だから僕のために、少しだけ辛抱してくれると嬉しいな」
「……わがままな駄犬ね」
「ありがとう」
親指で彼女の手の甲を軽く撫でてやりながら、再び僕は話を続けた。
「僕は昔から、色んなところを歩いて回るのがどうやら好きみたいなんだよね。ビルが好きだ。街が好きだ。駅のホームが好きだ。電車の中から見える、後ろに流れていく景色が好きだ。道が好きだ。建物が好きだ。見上げるのが好きだ。地面を見るのが好きだ」
「……」
「街だけじゃない。山も好きだ。自然も好きだ。高層ビルの近代的なフォルム、連なる山の輪郭がくっきり浮かび上がる姿、テレビや映像でしか見たことのない荒漠とした砂漠の風景……赤く灼けた砂、真っ白に輝く塩湖、見たことのない景色、いつも見慣れている景色」
美しいものもある。雑然としたものもある。小さな発見もあれば大きな衝撃だってある。
「だからきっと、僕が好きなのは、歩きながら見える景色全てなんだと思う。だからこの庭園にだってすごく大きな感動を覚えたし、計算され尽くした庭の造りはこれ以上ないぐらいに立派で勉強になるなって、とても感動してるんだ」
「あっそう」
「あっそうって、また随分あっさり言ってくれるなあ」
苦笑を漏らす。まだ彼女はこちらを向かない。
「だから僕は、そういうのを自分の手でも造ってみたいと思ったんだよね」
「自分の手で?」
「そう。最初は建築とか、都市設計とか、そういう仕事でもいいかなって思ってたんだけど――ゲームやアニメーションの世界だと、もっと自由で面白いデザインを作ることだってできるだろう?」
「そう……その仕事が好きなのね」
「もちろんだよ」
野菊が分かってくれたのが嬉しくて、僕は思わず表情を綻ばせた。
「自分で考えて、自分で決めて、自分で選んだ道だからね。もっとも叔父さんと叔母さんにはさんざんどやされたけど」
「叔父? 叔母」
「ああ、僕は両親とも幼い頃になくなってるから。だから母さんの妹夫妻が僕をずっと育ててきてくれたんだよ」
「そう……悪いことを聞いたわ」
「いいや全然? だって僕、叔父とも叔母とも仲いいし。……まあ、ゲーム会社なんぞ信用できん、公務員のが安定しとる! って言って二人とも譲らなかった時は半年ぐらい大喧嘩してたけどね」
それでも自分の進みたい道を曲げたくなかったから、最終的には僕の粘り勝ちで勝敗は決まったのだけど。
「きっと心配だったんだろうね。お前は父さんと母さんの忘れ形見だから、ってよく言われたっけなあ」
大事にしてくれるのは嬉しいけれど、過保護すぎるのが煩わしくて反発したこともよくあった。今思えばただの子どもの反抗期だけど、思い出すとちょっとくすぐったくて痛々しい。
そう語る僕の横で――野菊はなにやら俯いて、沈痛な表情を浮かべていた。
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