ひな鳥の如く君なりき
「まあ野菊。とにかく機嫌を直してくれよ。な?」
「……あんな破廉恥なことをしでかしておいて、よくもまあそんなことを恥ずかしげもなく言えるわね。恥という概念を知らないのかしらこの犬は」
表情はともあれ、野菊の言葉はまだまだ不満げだ。
そんな彼女の初心な反応もどこか愛おしく思いながら、僕は言葉を重ねた。
「実は野菊に食べてもらおうと思って、食後のデザートを買ってきたんだよ。コンビニで買ったものなんだけどさ、きっと野菊はこういうもの食べたことないだろ?」
「……この私をあろうことかモノで釣ろうだなんて、随分と浅薄な男ですこと。それもコンビニでだなんて……いかにもチンケで貧乏な庶民の発想ね」
「うん、まあそれはその通りなんだけどね」
と言いながら、レジ袋の中から買ってきたものを取り出す。
「野菊は、金持ちのお嬢様だろう? だからこそ、僕は野菊にもっと知ってもらいたいなと思うんだよね。庶民的なものってやつを」
「興味は――」
「ない? 本当に? 今も僕が持ってきたプリンから目を離さないのに?」
僕がコンビニで買ってきたのはプリンだった。
買ってきたプリンは二つ。とろけるタイプのものと、昔ながらのしっかりした口当たりのものを種類違いで一つずつ。
それが物珍しいのか、レジ袋から取り出してから野菊は興味深そうな視線を向けていたのである。
「……小癪な犬ね」
やや不満げながらも、野菊の視線は動かない。
そんな彼女に僕は聞いてみた。
「どっちを食べたい?」
「どちらの味も知らないから答えようがないわ」
「そっか。なら、一口ずつ味見してみるといいよ」
言って、両方のカップの蓋を取り、プラスチックのスプーンを添えて野菊の前に二つ並べた。
「ほら、食べてみて。どっちも僕が好きで、よく買ってるプリンなんだよ」
そう言って促してみても、野菊は一向に動こうとしない。二つのカップに交互に視線を向けながら、何事かを呟いた。
「……ぃ」
「ん? なんて?」
「分からないって言ってるの! こういうものを普段食べたことがないから……どういう作法で食べたらいいのか」
「作法、って」
そんなものは特にない。普通に中身をスプーンですくって食べればいいだけだ。
だけど野菊を見る限りでは、どうやら本気でそう言っているらしい。
まあ、先ほどの食事の時も野菊はとても綺麗な食べ方をしていた。もしかすると、あれも作法に則った食べ方なのかもしれない。逆に言えば、作法に則った食事以外を経験したことがない、と考えることもできるだろう。
だから野菊が『食べ方が分からない』と口にするのも無理はない。彼女にとって、食事とは正しい作法を守らなければならないものだから。
「こういうのには、そういう堅苦しい作法ってやつはないんだよ。だから、ほら」
片方のカップを手に取り、中身をスプーンですくって野菊の口元に差し出した。
「あーん」
「なっ」
「このスプーンはまだ僕が口をつけたわけじゃないから、破廉恥じゃないよね?」
「だ、だけど、こんな食べ方は不作法――」
「不作法でもいいじゃないか。だってこれは、庶民の食べるものなんだからさ」
ね? と言って促すと、野菊は顔を真っ赤にして、やや不安げに視線を泳がせて――。
「う、うぅ、うぅぅぅぅ~」
ぎゅっと目を瞑って、ひな鳥みたいに口を開く。
その隙間にそっとスプーンの先端を入れると、彼女は必死な顔つきでプリンを舌で受け取っていた。
「もう片方も食べてみる?」
飲み込むのを待ってから問いかけると、こくこくと野菊が首を縦に振る。だから僕は、もう片方のプリンも『あーん』で彼女にあげることにした。
そんなことを交互に続けているうちに、どっちのプリンも野菊が全部食べてしまう。
「どうかな? おいしかったかな?」
そう問いかけてみると、
「……よく分からなかったわ」
野菊が不満げな口調でそう答えた。
「分からなかったって?」
「あ、あんたが……」
そしてなぜか野菊が、顔を真っ赤にして、ぷるぷる全身を震わせながら僕を睨んで――、
「あんたなんかに食べさせられているという屈辱で胸がいっぱいで、なんだか全身が熱くなって、味なんてまるで分からなかったって言ってるのよ!」
なんて文句を言ってくる。
「う、うぅ、なんで私がこんな恥ずかしい思いなんかさせられなきゃ……」
「恥ずかしかったんだ?」
「恥ずかしくなんてないわよ! 屈辱だったって言ってるじゃない!」
どっちだよ。
「駄犬なんかに、駄犬なんかにこんな……くっ、ふ、不本意だわ……」
「まあまあ。プリンならいつでもまた買ってきてあげるから。その時に改めて味わえばいいよ」
「ま、またこの私を辱める気!?」
なんでそうなる。
「わ、私はあんたなんかに屈しないわよ! こいつはワン公こいつはワン公こいつは――」
その後、『こいつはワン公』と野菊が三十二回言った辺りで、ようやく彼女の動揺は収まるのであった。
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