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破廉恥

「汚された……ひぅ、低俗な庶民でしかないワン公に、私の初めて奪われたぁ……」


「また人聞きの悪いことを……」


『初あーん』にショックでも受けたのか、野菊がそんな風に言ってさめざめと泣き出したのは食事を終えてからだった。


「駄犬なんかにあーんされた、駄犬なんかにあーんされた、駄犬なんかにあーんされた……」


 呪文みたいにぶつぶつとそんなことを野菊が呟き続ける。


 僕にあーんされたのが、彼女にとってはそれだけ衝撃的なことだったようだ。涙を流す野菊を見て、そんなに嫌なことだったのかと少し心配になってしまう。


「すまない、野菊。僕にあーんされるの、そこまで嫌だったか?」


「い、嫌に決まっているでしょう!? 常識的に考えなさい、男女の間であんなはしたないことをするなんて――破廉恥だわ!」


「はあ、破廉恥」


 そうか?


「そうよ! あんたの使った箸を無理やり口の中に突っ込んでくるなんて――この駄犬! ワン公! 発情犬! 付き合い始めて間もない相手に唾液の交換を強要するなんて……色情魔のすることよ、この変態!」


「あー、なるほどそういう……」


 彼女の言葉に納得する。どうやら『あーん』されたことよりも、僕の使っていた箸で食べさせられたことが問題のようだった。


「そっか、気づいてなかったけどこれも間接キスになるもんな。意識させちゃったみたいですまなかった」


「かっかかかっか間接キ――なに恥ずかしい言葉を言わせようとしているのよ!」


「いや、言わせようとはしてないけど……それに、そんなに恥ずかしい言葉かな? むしろ女の子が口にするなら、昨日野菊が僕に言った童貞って言葉の方がよほど恥ずかしい気がするけれど」


「なぜ? 童貞とは、女性と無責任な性行為に及んだことのない、しっかりとした貞操観念を持つ男性のことを示す言葉でしょう? 不潔とも、恥ずかしいとも、破廉恥な言葉とも思わないわ」


 あ、そちらの意味で取るんだね。


 ごめんよ、世間では二十七で童貞って割と恥ずかしいことみたいなんだ。僕もこの間初めて知ったことだけど。


 だけど、お嬢様育ちの野菊だとその辺りの考え方は一般的なものとは異なるのかもしれないな。僕が『童貞』であることに好意的なのは素直に嬉しかった。


 そうやって僕が安堵している間にも、野菊は「この変態」だとか「信じられない」だとか「なんていやらしい」だとか「まさか体が目的だったの」だとかぶつぶつぶつぶつ呟いている。


 でも多分自分では気づいてないと思うんだけど、悪態つきながらもだいぶ彼女の頬はゆるゆるである。あと、時々名残惜しそうに僕の使い終わった箸をちらちらと眺めている。涙の引いた瞳は潤んでいて、吐き出す呼気は微妙に、その……熱い。


「あらまあ、席を外したほうがいいかしら?」


「村岡さんお願いしますどうか今だけはここにいてください」


 気でも利かせたのかそう聞いてくる村岡さんに僕は慌てて首を横に振る。今この場からいなくなられたら、多分それこそ何かが止まらなくなる。人目があれば理性も働くので、ぜひとも外さないでください。


「重松様は随分とヘタレなのでございますね」


「……まあ、自覚はあります」


 なんせ女性と付き合ったことがない。こういう時に腰が引けてしまうのも致し方ないことだろう。


 あとはまあ単純に野菊も女子高生だしね? まだまだ手を出すわけにもいかないだろう。

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