彼女の手料理、彼女の手料理、彼女の手料理
程なくして、野菊の手料理が運ばれてきた。
お盆に載せられて運ばれてきたのは、鶏のから揚げだ。確かに野菊が自分で言った通り、ところどころ焦げて黒くなっているし、切り方もあまりよろしくないのか形だって不揃いだ。
きれいなきつね色、とはお世辞にも言えない仕上がりに、だけど僕の胸は高鳴っていた。
なんせ、彼女の手料理だ。
彼女の手料理である。
彼女の手料理が出てきてしまったのだ!
こりゃもうそれしか目に入らなくもなるだろう。彼女の手料理、彼女の手料理、彼女の手料理――。
「……そんな失敗作、別に食べなくたって構わないわ。どうせおいしくできなかったもの。色も悪いし、形だって」
「彼女の手料理!」
「ひっ、い、いきなりなによ!」
「あ、ごめん、ついテンションが高ぶって」
「……ふんっ。本当にまるで躾のなってない犬ね。はしたないことこの上ないわ」
「というわけで、野菊の手料理、堪能させてもらうよ!」
僕の言葉に、野菊の表情が曇る。
「……本当に食べる必要なんてないのに。見て分かるでしょう? 焦げて、形も汚くて――それはもう料理じゃなくて、ただの生ゴミよ」
「バカを言え。男の夢を前にしてのこのこと引き下がるようならそれはもう男じゃないだろう」
「……変な人」
「変かな? そうかな? う~ん、まあどうでもいいや」
僕が変人であるとかないとか、そういうのはどうでもよかった。そんなことより彼女の手料理だ。
とりあえず一番大きい唐揚げを箸で持ち上げ、一気に口の中へと放り込んだ。
「…………」
「…………」
沈黙が和室の中を支配する。野菊がごくりとつばを飲む。村岡さんはにこにこと見守り、他の使用人の方々は次に僕の発する言葉に期待でも寄せているのかきらきら瞳を輝かせている。
もぐ、もぐ、もぐ、とゆっくり咀嚼し、噛み締め、舌の上で肉を転がす。じっくり味を堪能したところで、ついに僕は口の中のものを一気に飲み込む。
そして――。
「最高」
と、僕は呟いた。
「っ、し、庶民の馬鹿舌に褒められたところで嬉しくはないわ」
「でも本音だよ。こういうのを求めていたんだ。熱い油で揚げすぎて少し肉が硬いけれど、歯ごたえがあってそれもいい。衣の焦げているところだって、苦味と香ばしさがいい感じのアクセントになってるし、揚げてから少し時間が経っているからか少ししっとりした口当たりもお弁当に入っている唐揚げみたいで懐かしいって感じだよ」
要するに、本当に普通だ。普通の唐揚げだ。
とりわけ秀でたところがあるわけでもない。お店で出てくるようなカラッとした仕上がりでもない。ごくごく平凡でありきたりな、普通に唐揚げを作ったらきっとこうなるだろうな、という感じの味。
出来栄えだけで言うならば、最初に運ばれてきた豪華な料理のほうが遥かに優れているに違いない。いや、定食を七百八十円ぐらいで食べられる中華料理屋で出てくるような唐揚げだって、野菊の作ったものよりも出来はずっといいだろう。
「……つまり、それは、硬くて、苦くて、冷たくなってまずいということじゃないの」
少し不貞腐れた様子で野菊が言う。きっと舌が肥えすぎているから、自分の作った唐揚げの欠点ばかり見えてしまうのだろう。
「や、やはり今すぐ下げなさい、村岡さん。これは私の命れ――」
「その必要はないんだよなあ」
言いながら二個目に箸を伸ばす。
「むしろ下げられたら困ってしまうよ。今この場には、野菊の作ってくれたこの唐揚げ以上のご馳走なんてないんだからさ」
「で、でも――」
「重松様」
柔らかな村岡さんの声が野菊の声を遮って挟まれた。
「こちらの唐揚げは、わたくしがスーパーで買ってきたごく普通の鶏もも肉を、お嬢様手ずからお作りになったものです」
「!? と、特上の秋田比内地鶏ではなかったの!?」
「お嬢様は高級品を安易に使おうといたしますから。ですが時に、値段がまるで意味をなさないこともあるのですよ」
「だ、騙したわね……」
「長年お嬢様に仕えてきたからこその心配りというものです。――眼福でしたよ、『彼氏に作ってあげたい彼女ごはん』を見ながら一生懸命お料理をしてらっしゃるお嬢様は」
村岡さんの言葉に野菊の顔が真っ赤になる。
それから僕をキッと睨むと、
「ち、違うわよ! そんな本を私が持ってたのはたまたまで――」
「はて? 裏には寿女学院の所蔵本であることを示すシールが貼ってあったかと思われますが――」
「む、村岡ぁぁぁぁっ!」
野菊が一喝するけれど、村岡さんはどこ吹く風だ。むしろ『いい仕事した』とでも言わんばかりの笑顔を浮かべている。
「わざわざそんな本を学校で借りてきてまで、僕のために作ってくれたんだね」
「あ、いや、な、何を勘違いしているのこの駄犬!」
「うんうん、そうやって野菊の頑張りを聞かせられると、よりこの唐揚げを美味しく感じるなあ」
皿の上のものを次から次へと口の中へ運んでいく。最高に幸せな気分だった。
それに、やっぱりなんだかホッとする。高級な味ってやつは食べてるといちいち疲れてくるけれど、この唐揚げはそんなことがない。舌も、胃も、全然びっくりしたりしない。
「……私が頑張ろうが頑張るまいが、それが味に影響するわけないじゃない」
「うーん、影響はするんじゃないかな?」
「なぜそう思うのよ」
「そりゃ、ほら、料理って舌だけでなく、心でも味わうものだから、じゃないかな」
岩下の言っていたことを思い出す。
「職場の同僚が言ってたんだよな。付き合いたてのカップルなら、彼女に料理とか振る舞ってほしいよなって。それって多分、自分だけのために彼女が料理を頑張ってくれるってのが嬉しくて、それが嬉しいからおいしいってことなんだろうなって思うんだよね」
「そんな単純なものかしら」
「だと思うよ。だから――ほら」
最後に残った小さな唐揚げを箸で摘み上げ、野菊の口元へと運ぶ。
「な、なによっ」
「あーん」
「はあ!?」
「疑うぐらいなら、自分で食べてみたらいいじゃないか。思ってたよりおいしいかもしれないぞ?」
「で、できるわけないでしょそんなこと! い、犬畜生なんかが口をつけた箸で食べるなんて、そんなはしたなくて汚らわしいことなんて――」
「野菊、ほら、あーん?」
「だからしないって――」
「いいの? 最後の一個なのに?」
「べ、別にっ、そんなもの食べたいなんて最初から私は思ってな――」
「じゃあ僕がやっぱ食べちゃお」
「あ……」
野菊の口元から箸を外すと、彼女が物欲しげな目で箸の先端を目で追った。
その一瞬、僅かな呼気と共に開かれた小さな唇の間に、素早く小ぶりな唐揚げを突っ込んだ。
「むぐっ!?」
「ほら、お食べ。しっかり噛んで、味わうように」
「むぅ……」
僕の言葉に野菊はこちらを一瞬睨んだけれど、吐き出すのも無作法だと思ったのかやがてゆっくりと咀嚼を始める。
それから時間をかけて、唐揚げを飲み込んで。
「……硬いわ」
「油に入れすぎたんだね」
「……苦いわ」
「油の温度が熱すぎたんだね」
「……しょっぱいわ」
「僕はそれぐらい塩気のあるほうが好みかな。ご飯が進む」
「……微妙に甘いわ」
「それは多分、野菊が心で感じてる味だと思うよ」
「そ、そんなんじゃないわよっ」
野菊がそう言って噛み付いてくるけれど、彼女の場合照れ隠しなのは頬の色で丸わかり。
「お嬢様ったら、照れたりなんかされてかわいらしいですわ!」
使用人さん達が「きゃあっ」と嬉しそうな歓声を上げると、「うぅ~」と振袖でまた顔を隠す野菊なのであった。
本日二回目です。今日も二回更新できてよかったです
明日も頑張ります