黙って僕に食べられてればいいんだよ
「さあ食べなさい愚民。一般庶民のあんた程度の稼ぎでは到底口にできない、贅を凝らしたものを用意させたわよ」
かくして、食事が始まった。
野菊の言うように、僕の前の食膳に並べられるものはいかにも高級なものばかり。ぶっちゃけ高級すぎて今まで見たこともない食材が多かった。
いちいち、村岡さんが「こちらは伊勢で取れた……」とか「つい先ほど日本海で水揚げされたばかりの……」だとか説明されるけど、まるで頭に入らない。
これ一食で僕の給料が何年分吹っ飛ぶんだろうなあ、なんて考えたら、味もろくに分からないぐらいだった。
おまけに、どこかフォーマルな空気の中で食べるものだから、やたら雰囲気で緊張してしまう。余裕のある態度で村岡さんの説明を聞きながら綺麗な仕草で食事を口にする野菊が少し羨ましかった。
こういうところで、育ちの差というものをはっきりと感じさせられる。僕としてはファミレスでハンバーグセットでも一緒に食べたほうが、おいしく食事を楽しめたんだろうなあ、と思った。
我ながら小市民的な考え方である。けどまあ、こういう性分なのだから仕方ない。肩肘張るのはあんまり得意じゃないんだよなあ。
そんな感じで箸の進みが悪い僕を野菊が見咎めた。
「……浮かない顔をしているようね」
「あー……うん」
曖昧に僕がうなずくと、箸を止めて野菊が言葉を続けた。
「日頃粗末なものばかり口にしている庶民ならば、このご馳走を前に狂喜乱舞するものだと思うのだけれど。この一食であんたみたいな人間をいったい何人養えると思っているのかしら」
「そうだよねえ……そのはずなんだけど、なんか違うなって感じちゃう僕もいるんだよ」
僕もまた箸を置いて、目の前に置かれた食膳を見下ろす。
確かに豪勢な食事なのだ。味だって本当においしい、んだと思う。
だけど僕が求めてる野菊との食事って、本当にこういうものなのかな? って考えると、やっぱり違うのだ。
もっと素朴でいい。もっと粗末でいい。もっとありきたりでいい。だけど、一緒に食べる相手との間にちゃんと血の通っているものだって思える、そんな食事が一番いい。
「……僕にとってのご馳走って、きっとこういうのじゃないんだろうな」
「なんですって?」
「これもきっとさ、職人さんが工夫を凝らして作ったものだと思うんだ。とても高級な、それこそ僕じゃ手の届かないような食材を、最高の腕で調理したんだと思うんだよ」
「そんなの当たり前でしょう? 花邑の料理人は、あらゆる分野で超一流とされている人間だもの」
「そうだよねえ……でも、うん。やっぱりそうだな。僕が野菊と一緒に食べたいのは、こういう料理じゃなかったんだ」
そして僕は顔を上げ、野菊を真っ直ぐ見つめて言った。
「やっぱ付き合いたてなんだしさ。おいしい豪華な料理より、彼女が――野菊が一生懸命作った料理を食べてみたかったなって思ったよ」
「なっ――」
「実のところ期待してたんだ! 夕食を一緒にって聞いたその時から、野菊の手料理が食べられるのかなって!」
そうだよ、本当はそっちが食べたかったんだよ!
そりゃあ僕だって豪華な食事ってやつに興味はあるさ。小市民だもの、一生に一度ぐらい贅を凝らした料理に舌鼓を打ってみたいに決まってる。
でも今はそっちがほしいわけじゃないんだ。だって、初めて出来た彼女と初めての食事じゃないか。それならいっそ、そこに初めての手料理を付け加えてくれたっていいじゃないか。
欲張り? 強欲? 何とでも言え。それでも僕は、野菊の……野菊の手料理を食べてみたかったんだ……!
「きゃあっ」
村岡さんを含め、使用人さん達が僕の言葉に歓声を上げる。
「あらあら聞きました? 素敵なプロポーズですわ」
「俺のために味噌汁を作ってくれですって」
「俺のために肉じゃがを作ってくれですって」
「晩酌するからつまみを作れですって」
「お前の作ったものしか食いたくない、ですってぇぇぇぇぇっ」
「お嬢様は幸せ者ですわねえ」
「わたくし達も嬉しくなってきてしまいますわ」
やいのやいの盛り上がる使用人さん達。一部僕の発言がやたら男らしい感じに脚色されているけれど、まあ僕が言いたいことを概ね代弁してくれていた。
そうだよ飲みたいよ、野菊の作った味噌汁。
肉じゃがだって好物だよ。野菊が作ってくれたら最高だよ。
晩酌は……ごめんお酒は弱いんだ。でも少しなら飲むよ。野菊が二十歳すぎたら一緒に飲みたい。
「ぁ……お、お前達!」
野菊がうろたえているが、盛り上がった使用人さん達の女子会トークは止まらない。
しまいには、村岡さんが「さあ、皆さん。ここまで運んでいらっしゃい」と使用人さん達を促した。
「や、やめてぇ!」
野菊が悲鳴を上げるが、村岡さんは素知らぬ顔だ。
さらにあろうことか、自分の主人の言葉を無視して僕に話しかけてくる。
「実はですね、重松様。それが、あるんですよ。お嬢様の――」
「村岡ッ!」
鋭い野菊の一喝が村岡さんを襲うけど、小揺るぎもせずに村岡さんは言葉を続ける。
「お手製の、お料理が」
「でもあれは、失敗作で、人に食べさせられるようなものじゃ――」
そう言う野菊の声は上擦っている。なるほど、上手に作れなかったから、僕に食べさせるわけにはいかないと、まあそういうことらしい……が。
「それでもあるなら僕は食べたいよ」
知るかよそんなこと。そんなもん食いたいに決まってる。
「野菊がせっかく作ってくれたんだろ? 僕のために、わざわざ頑張ってくれたんだろ? ならそれを腹に収めるのが、彼氏である僕の正しい在り方なんじゃないかと思うな」
「不出来なものを出すのは私の矜持に反するわ。花邑家の者としてもそれは恥ずべきこと」
「かもしれないね。名家に生まれたからにはきっとそれなりのプライドとか矜持とか、そういうのがあるのは理解できる」
「ならば――」
「でも」
と、僕は彼女の言葉を遮った。
「庶民の僕には、そういうプライドとか全然関係ない」
「なっ――」
野菊が完ぺき主義者なのは、昨日と今日でなんとなく僕も察している。完璧にできなかった、粗のある料理を僕に食べさせるのは、きっと不本意なことなんだろう。
花邑家という名家の面目だって、きっとある。野菊の生きている世界は、僕の生きる世界よりも体面やしがらみの占める割合が想像しているよりも大きいかもしれない。
だけど――。
「彼女の手料理食べるのって、ぶっちゃけ男の夢なんだよ」
一般庶民の僕にとっては、大事なのはむしろそっちの方だったりするのだ。
「野菊はきっと完ぺき主義者で、プライドとか面子とかつい考えちゃうのかもしれないけどさ――今はとりあえず黙って僕に食べられてればいいんだよ。ね?」
そうやって言葉を重ねると、野菊はぷるぷると体を震わせながら潤んだ目でこちらを睨みつけてくる。
だがやがて、「ふんっ」と鼻を鳴らしながら不機嫌そうに腕を組んだ。
「……勝手にしたら? 好きにしたらいいじゃない。味も出来も劣るほうを食べたいだなんて、変わった趣味の持ち主だわ」
「僕に同意する男は結構多いと思うよ?」
「どうかしら? 少なくとも、私の見てきた男のほとんどは料理の価値を味より金額で見るようなのばかりだったわ」
「それはもったいない」
心の底から僕は言った。
「それだと、ワンコインランチの素晴らしさを一生知ることなく終わってしまうじゃないか」
本日一回目