再会
ミレディとシュゼットを乗せた馬車はある屋敷の門をくぐった。
ミレディとの初めての外出は彼女の友人宅への訪問だった。侯爵家からは馬車で30分と、さほど離れていない場所にある伯爵家だ。
侯爵家ほどの敷地の大きさではないが、それでも十分に見とれてしまうほど美しい造りの屋敷が見える。
馬車が止まり、護衛に促されるまま降りれば玄関には出迎えてくれる人影があった。車いすに乗せられたミレディは嬉しそうに彼女へ笑みを向ける。
今日は気心の知れた友人同士の茶会ということで、ミレディはシュゼットを連れ出していた。
「ミレディ! お久しぶりね」
朗らかに声をかけてきたのは濃い茶色の髪をした女性だ。シュゼットはミレディ以外の初めての貴族令嬢に固まる。侯爵家に来てから4か月になるが、いくら勉強していてもまだ洗濯屋にいたころの価値観が抜けていない。反射的に膝をつきたくなってしまう。
初めて会う貴族令嬢に遠慮なくじっくりと観察されて、シュゼットの気持ちはきゅっとする。震えそうになる手を握りしめ、落ち着こうとゆっくりと呼吸した。
「こちらが噂の義妹ね!」
「わたくしの義妹のシュゼットですわ」
そう紹介されて、シュゼットは慌ててお辞儀をする。散々礼儀作法で繰り返してきたお辞儀だ。最近になってようやくケイティに及第点をもらえた。
膝を折り、腰を真っすぐに下ろした。ドレスを優雅につまんで挨拶だ。
もうそれだけでも足がプルプルする。何故こんな拷問のような挨拶をするのかわからないが、貴婦人は優雅に挨拶できないといけない。
「初めまして。シュゼットと言います。よろしくお願いします」
ぎこちない笑みを浮かべ、叩きこまれた挨拶を披露した。ミレディはそんなシュゼットを優しい眼差しで見つめ、笑みを浮かべる。
「上手にできているわ、シュゼット」
そう褒められれば嬉しいもので、取り繕っていた表情がはがれた。へらりと締まりのない笑顔になる。
「まあまあ、なんて可愛らしいの。わたしはセシリア・ブロッセンよ。セシリアと呼んでちょうだい」
「まだまだ貴族令嬢としては未熟なの。だから大目に見てね」
「もちろんよ。わたしは意地悪じゃないわよ?」
ミレディがそう申し出れば、セシリアは意味ありげに笑った。敵に回したらいけない人だとシュゼットは瞬時に悟った。だからこそミレディも引き合わせようと思ったのかもしれない。
「それなら嬉しいわ。わたくしは社交界に出ることができないからお願いね」
ミレディの言葉を聞いて、シュゼットが驚きに目を見開いた。ミレディがシュゼットのことを大切に思ってくれていることがとても嬉しい。踊ってしまいたくなるほどだ。
「ふふ、本当に可愛いわね。ミレディに懐いちゃって」
「シュゼットは可愛いもの」
セシリアはミレディの速さに合わせてゆったりと二人を中に案内する。
「今日は中庭に用意したの。丁度薔薇の花が見ごろなのよ」
「それは楽しみだわ。ブロッセン伯爵家のお庭は有名ですもの」
「有名なのはいいけど、知らない人からも招待してほしいと申し込まれるのは面倒よ」
セシリアは肩をすくめた。ミレディはくすくすと笑う。
「そんな人、いるの?」
「いるわよ。特に婚姻の申し込みをする家は本当にしつこいのよ」
他愛もない二人の話を聞きながら、シュゼットはきょろきょろと辺りを見ていた。侯爵家以外の初めての貴族のお屋敷は歩くのも怖いぐらいに美しい調度品で飾られていた。慣れないながらも心地よく感じるのは趣味がいいのかもしれない。
中庭につくと、座るようにと椅子を勧めてくれる。ちらりとミレディを見れば、笑顔で頷かれた。ドレスのスカートを気にしながら、腰を下ろした。
シュゼットが座るのを待って、セシリアは切り出した。
「今日はね、面白い人を呼んでいるのよ」
「面白い人?」
セシリアはもったいぶるように少しだけ声を潜めた。なんだか秘め事のようで、シュゼットもつい前屈みになって聞いてしまう。
「そう。占い師の噂は聞いたことはないかしら?」
「占い師? もしかしたら最近夜会で呼ばれている話題の方かしら?」
驚きにミレディは声を上げた。ふふふと令嬢は笑う。
「そうよ。お父さまの伝手で、今日は我が家に来てもらったの」
シュゼットは二人が楽しそうに話しているのを聞きながら、内心首を傾げていた。占い師なんて胡散臭い者、簡単に貴族は信じてしまうものなのだろうか。
洗濯屋では占い師を見たらたかられるからすぐに逃げろと口うるさく言われていたが、どうやらここではそういう存在ではないようだ。
「あの」
躊躇いながらも声を出せば、2人はおしゃべりをやめてシュゼットの方へと視線を向ける。
「どうしたの?」
「その、占い師というのは信用できるのでしょうか?」
なるべく丁寧に話した。セシリアはあら、というように笑う。
「信用するとかしないとかではないのよ。こういうのは話題なの」
「話題?」
全くわからない。頭の中に疑問符が溢れてくる。
「なんというのかしら。信じているのかと問われれば、信じていないわ。でも、今社交界では話題の中心にいるの。暇つぶしの根拠のない噂話と変わらないわ。信じてはいないけれども、面白いことを言われると誰かに言いたくなるでしょう? そんな感じ」
そんな感じが、どんな感じか全くわからない。この辺りが貴族として生まれ育った人の感覚なのだろうか。曖昧な説明に、曖昧に微笑んだ。シュゼットの気持ちが表情に出ていたのか、セシリアが悪戯っぽく笑う。
「社交界に出て行けば、そのうちわかるわよ」
「そうなんでしょうか?」
「セシリアに教わったらいいわ。こういうのは説明しにくくて、感覚的なところもあるから」
シュゼットは大人しく頷いた。
「来たわね」
セシリアは会話を中断すると、立ち上がる。シュゼットとミレディは自然とセシリアの視線の先を追う。シュゼットは侍女に連れられてやってきた話題の人物を見て、思わず立ち上がった。
「ああああ――っ!」
「おや、こんなところで会うとはね。ちゃんと運命が働いているじゃないか」
そこに現れたのは、あの寒い冬の日にシュゼットの食料を奪っていった老婆だった。老婆はあの日よりも少しだけよさげなローブを着ている。それでもしわだらけの顔は変わらないし、手だって骨ばっていた。
「シュゼット、知っているの?」
突然大声を出して立ち上がったシュゼットにミレディが目を丸くした。セシリアもぽかんとした顔をしている。
「えええ、あの、その」
シュゼットは自分が淑女らしくない行動を取ったことに気がついて、慌てた。ここは侯爵家ではなく、伯爵家だ。どうしたらいいのか、顔を青くする。
「ちょっと前に街で未来を見てやってねぇ」
「あれは占いの押し売りでしょう!」
シュゼットに強請られたかのように言う老婆に我慢がならず、思わず声を張り上げた。
「そうだったかの?」
すっとぼける老婆にイライラしてくる。ミレディはため息をつくと、シュゼットの腕をぽんぽんと叩いた。
「シュゼット、落ち着いてちょうだい。ここは伯爵家なのよ」
「きゃあ、ごめんなさい」
はっとしてシュゼットは慌てて頭を下げた。
「なるほどねぇ。これが素なのね」
「まだ4か月なの。大目に見て?」
ミレディがそう取りなせば、セシリアは小さく声を立てて笑った。
「もちろんよ。これから鍛えがいがあるじゃない」
背筋がすっと冷える。シュゼットは恐る恐るセシリアに視線を向けた。セシリアはシュゼットと目が合うと、目を細める。どことなくにんまりといった表現が合うような笑顔だ。
「それで、一人一人に占いをしたらいいのかい?」
老婆は空気を読まずに割り込んだ。セシリアは老婆に頷く。
「そうよ。お願いね」
「承知した。ただし、内容は本人にしか教えないよ」
「ええ、わかっているわ」
シュゼットは大人しく椅子に座り、用意されていた菓子を手に取る。じっと老婆と占いの内容に耳を傾けているミレディを見つめた。また適当なことを言っているんじゃないだろうかと、少し心配になる。
気もそぞろに菓子を食べていれば、セシリアが声を掛けてきた。
「シュゼットは何を言われたの?」
「それは……」
言っていいものかどうなのか悩む。洗濯屋の人たちには笑い話ですんでも、ここは貴族社会だ。下手に噂になったら罰を受けそうな気がする。それにまだ侯爵家の人たちにも言っていない内容でもあった。
どうやって話していいものか、躊躇う。
「無理に聞き出すつもりはないのだけど、興味があるじゃない」
「あまり話せる内容ではないので……」
曖昧に答えてみればセシリアは言葉を変えてきた。
「では、シュゼットの願いは何かしら?」
「願いですか? もちろん、温かい綺麗な部屋で美味しい食事とお菓子をお腹いっぱいに食べることです」
きっぱりと言い切れば、セシリアは目を丸くした。流石にこの答えは想定外だったようだ。
「ああ、だから占い師は運命が働いていると言っているのね」
ぴんときたのか、セシリアは納得する。納得していないのはシュゼットだった。
「どうしてそうなるのですか?」
「だって、その後侯爵家に養女として入って、今は美味しい食事とお菓子を食べているでしょう」
「……確かに」
そう言われてみればそうだなと、頷いた。
「案外当たるのかもしれないわね」
「あの、聞いてもいいですか?」
「なあに?」
「セシリア様の願いは何ですか?」
好奇心でつい聞いてみた。セシリアは少し考えてから、にこりと笑った。
「よい人と結婚することかしら」
「結婚?」
結婚などまだピンとこないシュゼットは小さく繰り返した。
「貴族の結婚は政略結婚だけど、やはり結婚したら幸せになりたいわ」
仲が悪いのに結婚するのは辛いからわからなくもない。だけど、貴族の結婚がどうやって決まるかわかっていないシュゼットには遠い場所での出来事のように感じた。