王都散策
ローガンによって連れ出されたのは貴族たちがよく買い物に出かける商業地区だった。
シュゼットが暮らしていた場所にあった商店街とは違い、立派な建物が並び、とても清潔で綺麗だ。大きめの道を挟んで両側に立ち並んでいる。店ごとの看板や個性的な飾りつけがしてあっても、統一感のある建物が一つの空間にまとめている。建物は大きな窓がついており、どんなものが置いてあるのかを見ることができる。
道の脇に座って物乞いをする人はおらず、空気も淀んでいない。上品な人々が楽しみながら歩いていた。
シュゼットは初めて来た王都の街にきょろきょろと辺りを見回す。どれもこれも初めて見るもので、あちらこちら見る目は忙しい。ローガンは子供のように目をキラキラさせているシュゼットを見て、小さく笑った。
「好きに見ていいぞ」
「……何があるのかわからない」
シュゼットは戸惑った顔でローガンを見上げた。ローガンは途方に暮れているシュゼットの頭を優しく撫でた。柔らかな髪を少しだけ乱すように手を動かした。
そのことに気が付いたシュゼットはぱっとローガンの手を払い、髪を整える。その様子を面白がりながら、ローガンは一番端の方を指さした。
「あっちの端から順に見ていくから、気に入った店があれば入ろう」
「うん」
ローガンの意見に頷いた。すっと目の前に手のひらが差し出された。不思議に思ってシュゼットはローガンを見上げる。馬車に乗るわけでも、転んでいるわけでもないのに手を差し出されたのが不思議だったのだ。
「迷子になるから」
「ああ、そういうことね」
ようやく理解して頷いた。彼の手に自分のをのせようとして、途中で止まった。しげしげと彼の手を見つめた。
「どうした?」
「いえ、大きな手だなと思って。わたしの手と全然違う」
大きいだけではなく、手のひらは厚く硬く、指もシュゼットよりもはるかに太い。ローガンは面白そうに笑いながら、シュゼットの手を取った。
「お前は子供のような手をしている。俺は騎士だからこんな手だが、文官であるミゲルの手はまた違うと思うぞ」
「確かにお義兄さまの手はもっとほっそりしているかな」
そんなどうでもいい会話をしながら、ローガンは彼女の手を包み込んだ。少し引っ張るようにして歩き始める。
「どんなお店があるの?」
「端の方は食べるための店が多いな。中央は宝石や衣装など貴族の女性に人気の店が多い」
「宝石よりお菓子がいい。前にもらったクッキーが美味しかった」
初めて食べたクッキーは本当においしくて、この世にこんな食べ物があったのかと感動した。今はお茶菓子として毎日のようにお菓子を食べているが、それでも一番初めに食べたクッキーが忘れられない。
クッキーを食べた時の幸せを思い出し、にまにまと笑う。その笑顔をローガンは不思議そうに見ていた。
「宝石、興味ないのか?」
「うん。気に入ったものが一つあったらいいとは思うけど、見てもよくわからない」
「大抵の女性は宝石とドレスを見せれば満足するんだが……」
「宝石もドレスも沢山いらない」
シュゼットは嫌そうに顔をしかめる。侯爵家に引き取られた後、必要になるからとドレスや宝飾品をたくさん用意してもらっていた。どれも色々な意味を持つらしく説明されたのだが、正直に言えばよくわからない。見ていて綺麗だなとは思うけど、色の違いしか区別がつかない。
その由来など知ってどうするのだろうかと思うこともある。口にしてしまえば、理解するまで説明が続くのを身をもって知っているため、いつもシュゼットは曖昧に笑ってやり過ごしていた。
侍女もいるので、宝石や布に知識はなくても綺麗に着ることはできる。きっとこんな姿勢はよくないのだと思うのだが、興味がないのだから仕方がない。
「……そうか。どうするかな」
ローガンはシュゼットと会話をしながら色々とシュゼットが楽しめそうなことを模索する。興味のない店よりも興味のある店の方が楽しめるはずだが、今まで付き合ってきた女性とは違い過ぎてすぐに思い浮かばない。
「ローガン様って恋人いるの?」
ローガンが悩んでいると、シュゼットは躊躇いがちに聞いた。ローガンは予想外の問いだったのか、目を丸くしてシュゼットを見下ろした。
「恋人? 今はいないが……」
「ああ、よかった。勘違いされるとローガン様が困ると思って。恋人が他の女の人と一緒に歩いているとダメなんでしょう?」
よく洗濯屋の女性が恋人に女ができたと大騒ぎして泣いていた。あんな風に誰かを悲しませることはよくないと思うのだ。自分がその原因になるのはもっと避けたい。シュゼットはまだ13歳でローガンはミゲルと同じ20歳だ。恋人同士に見えないことはない。
「……どちらかというと隠し子と言われた方が自然な気が」
「どういう意味よ」
シュゼットは隠し子と言われて、むむっと眉間にしわを寄せた。ローガンはぽんとシュゼットの頭に手をのせた。
「シュゼットは小さいから」
「身長!?」
確かにシュゼットはローガンの胸に届くかどうかの身長だ。その上、今までの生活のせいでどこもかしこも細い。普通に育った同じ年齢の女の子と比べたら2、3歳年下に見える。
「そう怒るな。ところで、シュゼットはどこまで教育が進んでいる?」
「文字とか歴史とか?」
「貴族のマナーは?」
「習っているけど、まだテーブルマナーと挨拶だけ」
シュゼットはテーブルマナーを思い出し、顔を歪めた。美味しそうなものが目の前に置いたるのに好きに食べられないのだ。順番や食べ方、食べる速度など色々な点を注意される。元々あまり食が太くないシュゼットはちょっとずつ食べたいのに、残してもいけないらしい。
「そうか。そのうち習うと思うが、貴族の結婚は政略結婚だ」
「うん、教えてもらっている」
「恋人を作ることができるのは、婚約者ができる前までだ」
「……?」
シュゼットはローガンが何を言いたいのか、わからなくて困った顔をした。婚約者がいるのに恋人を作るのは不誠実だと思うし、結婚したら論外だ。この国は一夫一妻制で表向き愛人は許容していない。
例外が王族で、こちらは政治的な側面と跡継ぎ的な側面から後宮を持つことが可能だ。ただし、今代の国王は後宮を持っていなかった。王妃一筋だ。シュゼットのような下位層の人間でさえ国王と王妃の熱愛は知っていた。
理解していないとわかったのか、ローガンがぽんぽんと子供にするように頭を軽く撫でる。
「まだ難しかったか。恋愛は貴族になったからには好きにはできない。それだけは覚えておけ」
「ふーん」
わかっていないシュゼットの顔を見てローガンは苦笑いだ。
「あそこのお店、何?」
シュゼットは目についた店を指さした。可愛らしいリボンや小物を置いてある店だ。何人かの若い女性が店の中を見ている。
「雑貨屋だな」
「雑貨屋?」
「可愛い小物が置いてあるはずだ」
小物と聞いて、シュゼットは目を輝かせた。
「見たい」
「では行こうか」
目的もなく歩いていた二人は雑貨屋に入っていった。
「うわ、可愛い」
シュゼットは店に入るなり、目を輝かせた。沢山の商品に圧倒される。小物入れや手袋、ハンカチなど気軽に使えるものが所狭しと並べてある。
「どんなものが好きなんだ?」
「どれも可愛いから、選べない」
シュゼットはローガンを見ずに言う。目は髪飾りに釘付けだ。繊細な銀細工の髪飾りの他に、リボンやヘッドドレスなどもある。シュゼットは楽しげに見ているが、手を伸ばすことはしない。
その中で銀髪のシュゼットに似合いそうなリボンをローガンは手に取った。慣れた手つきで彼女の髪に合わせてる。驚いてシュゼットは上を向いた。下からのぞき込むようにローガンを見上げれば、彼はどこか楽しそうだ。
「ほら、鏡で確認して」
「鏡?」
促されて、店のあちらこちらにある鏡を探した。自分とローガンが映っている大きめの鏡を見る。体格差があるせいか、シュゼットはとても小さく見えた。
彼の指が器用に深みのある赤いリボンとシュゼットの髪を絡めている。
「シュゼットの銀髪によく似あう」
「そう?」
鏡の中でローガンと目が合った。彼も気が付いたのか目が細められた。その笑顔がとても優しくて、シュゼットはなぜか恥ずかしさを感じた。恥ずかしさを誤魔化すようにほんの少しだけ俯いて、リボンを弄った。
「気に入ったなら、買おうか」
「ええ?」
シュゼットが反論する前にローガンが店員に言って支払いを終えてしまう。ぼうっとしていれば、シュゼットの手にリボンが渡された。
ローガンに買ってもらったリボンがとても嬉しくて、満面の笑みを浮かべる。
「ありがとう」
「どういたしまして。ほら、結んでやる」
誰が、と聞き返す前にローガンがリボンをシュゼットの手からつまんだ。器用な手がシュゼットのハーフアップされた髪に結ばれる。
「上手」
「男もリボンを使った服とかあるからな。練習させられるんだ」
「そうなの」
男性のリボンを使った服など思いつかないが、そういうことにしておこう。
シュゼットはくるくると鏡の前で回って、リボンを確認する。
「このリボン、一生の宝にする」
「リボンなんて幾らでも買ってやるから、ちゃんと使えよ」
シュゼットはローガンと一緒にいることがとても楽しくて、笑顔で一日過ごした。