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小さな幸せ


 与えられた屋敷は王都の端にある粗末なものだった。本来ならば、小さいながらも美しい屋敷なのだろう。

 だが誰も住まなくなってから手入れも最小限しかしてこなかった屋敷は見る影もない。庭には雑草が生い茂り、門扉は壊れていた。辛うじて屋敷は壊れていないものの、中は掃除もされておらず、調度品は埃を被っていた。


「オーフェリア様が休む場所をまず確保しましょう」


 そう言っててきぱきと指示をするのはゾーイだ。マーカスも手伝うと言っていたが、いつ出産してもおかしくないオーフェリアの側にいてもらった。ゾーイとリオは急いで寝台のある部屋を片付け始めた。ハワードは国王が亡くなった流行り病にかかって亡くなっていた。相次いで大切な人を亡くして、皆の気持ちは沈んでいた。


「こんにちは」


 埃を集め、床を磨いていると、誰かが訪ねてきた。こんな場所にやってくる人が思い浮かばず、リオは顔をしかめた。ゾーイも同じ思いだったようで、すぐに厳しい顔になる。


「オーフェリア様の所に戻っていなさい」


 ゾーイはそう指示をして一人で玄関へ行った。オーフェリアの側にいながら、緊張してくる。


「リオ。大丈夫よ」


 余程青ざめていたのか、オーフェリアが優しく手を包み込んだ。彼女の暖かな手に驚いてしまう。


「心配いらないわ。いざとなったら貴方は逃げなさい」

「姫様?!」

「まだ若いんですもの。これを上げるわ」


 オーフェリアはそう言って自分の首飾りを引っ張り出した。細いチェーンには雫型の赤い宝石がついていた。それを自分の首から抜き取ると、リオの首にかける。


「これは姫さまの大切なものでは?」

「お母さまから譲られたものなの。だから大切に持っていて。わたしにはフロイドのがあるから大丈夫よ」


 フロイドの、と聞いて形見として贈られてきた指輪を思い出した。きっと紐に通して首にかけているのだろう。泣きたいような気持になる。


「オーフェリア様。ジョアンナさんが手伝いに来てくださいました」


 ゾーイと一緒に入ってきたジョアンナを見て、泣きたくなった。ジョアンナはオーフェリアを見ると、すぐさま駆けより、オーフェリアの前に膝をついた。


「オーフェリア様。申し訳ございません! 申し訳ございません」

「ジョアンナ、立ってちょうだい」


 オーフェリアは慌ててジョアンナに言うが、ジョアンナは首を左右に振った。


「いいえ! あれほど気を付けていましたのに!」

「お異母兄さまのご意志ではないの?」

「違います! 殿下は直接陛下にお願いされていたのです。今回は不意を突かれてしまいましたが……新しい屋敷を準備してあります。今から移動いたしましょう」


 ジョアンナの言葉を信じれば、新しい国王はオーフェリアを追い出すつもりはなかったようだ。だけど、王妃の力は強い。


「もういいのよ。お異母兄さまの意志ではないとわかったのならそれだけでいいの」

「オーフェリア様?」

「あまり王妃様の意向を無視すると、お異母兄さまのご迷惑になるわ。それは嫌なの」


 王妃の産んだ子供は3人。誰もが王子だ。長兄はオーフェリアに同情的で優しいが、第2王子はオーフェリアを嫌い、第3王子は無関心。長兄が国王になったからといえども王妃に逆らえば、きっと近いうちに排除されてしまう。それぐらい王妃の権力は絶大だった。


「ですが……」

「ここを綺麗にして、住めるようにしてもらえたら、静かに子供と暮らしていきたいわ」


 ささやかな希望を述べれば、ジョアンナはそれ以上何も言ってこなかった。何かに耐えるように、震える手を握りしめる。


「……わかりました。すぐにお屋敷の掃除をいたします。しばらくお待ちください」


 ジョアンナは気持ちを切り替えると、連れてきた使用人たちに指示をして屋敷を綺麗にし始めた。


******


 住めば都というもので、最低限の支度ができればそれなりに快適になる。リオはハワードに習ったように家令の仕事をしながら、息をついた。経験の少ないリオが一人で切り盛りするには丁度いい大きさだと実感する。


 オーフェリアに渡される予算は前よりも半分以下になっていたが、慎ましく暮らす分には何も問題はなかった。元々、茶会や夜会など貴族としての付き合いをしていたわけではないので、辛さはあまりなかったようにも思う。


 ただこれから赤子が生まれて、その生活はどうなるのか。


 王族の血を引き、侯爵家の血も引く赤子だ。できれば普通の貴族の子供としての生活をしてもらいたい。赤子が生まれた後、自分がどこまで交渉できるかにかかっていると思えばぐっと責任も感じる。


「リオ」


 マーカスが廊下にいるリオに声を掛けた。マーカスは少しだけ表情が暗い。


「どうしました?」

「医者を呼んでおいた方がいいかもしれない」

「医者?」


 医者と言われて目を瞬いた。今、体調を崩している人はいないはずだ。オーフェリアはいつ子供が生まれてもおかしくないが、今朝も非常に元気だった。


「ゾーイがついているが、オーフェリア様の体調が悪い」

「え? でも、朝はすごく元気で」

「おそらく隠していたんだと思う」


 マーカスの固い声は彼の不安を表しているようだった。リオは医者をすぐさま呼んだ。


 その日を境に、オーフェリアは動けなくなった。運悪く、陣痛も始まった。生みの苦しみはとてつもなく、廊下まで聞こえる痛みに呻く声にリオはただ祈ることしかできない。母子ともに無事であれと、リオは信じてもいない神に祈った。


 長い時間をかけて、オーフェリアは一人の娘を生んだ。生まれた赤子は銀髪に紫の瞳を持っており、顔立ちはオーフェリアによく似ている。


「シュゼット。フロイドの色を持って生まれてくれたのね。とても可愛いわ。生まれてきてくれてありがとう」


 オーフェリアは嬉しそうに目を細めて、一度だけ生まれた娘を抱きしめ、その頬にキスをした。

 難産だったオーフェリアはそのまま帰らぬ人となった。


 そこからはひどい状態だった。王族として葬儀は上げてもらえたが、立ち会う人はほとんどない寂しいものだった。

 シュゼットは王族とは認められず、屋敷を取り上げられた。今までの給金だとわずかなお金をもらい、途方に暮れた。


 真っ先に立ち直ったのはマーカスだった。すぐさま平民街に家を見つけ、4人で身を寄せた。

 ゾーイが母、マーカスが父、そしてリオが兄として家族を装った。シュゼットを守ることが最優先だった。

 シュゼットはこの辛い現実を知らないせいなのか、とても明るくいつも笑っている赤子だった。リオが世話をしている時も笑っているか、寝ているか。泣いていることはお腹が空いた時ぐらいだ。シュゼットの存在が暗くなりがちな家を明るくした。


 侯爵家につないで、シュゼットの後ろ盾を求めようと思ったが簡単ではなかった。フロイドの託した紋章を入れて手紙を送ったが、いつまでたっても返事は来なかった。


「少しの間、留守にする」


 マーカスは護衛の仕事を見つけてきた。このまま閉じこもっていても金は出て行くばかりだ。今は平民街で慎ましく暮らしているが金銭の底は見え始めていた。


「これをばらして売れば……」

「それはゾーイが持っていてくれ。リオは……」

「僕も働きます!」


 管理する屋敷のない自分ができることは働いて金を稼ぐことぐらいだった。そうしてマーカスとリオは護衛や警護などの仕事をすることになった。

 働いて、金をもらって平民街にある家に帰る。今までの生活とは雲泥の差だがそれでも何故か温かく幸せだった。


 家に帰ればシュゼットは笑ってリオに抱きついた。ねんねだったシュゼットがハイハイをし、つかまり立ちをし始め、よちよちと歩き出す。


 可愛いシュゼットはマーカスとリオが帰ってくると、いつも楽しげに笑う。その笑みを守りたいと、優しい気持ちになった。


「シュゼットはリオが大好きだな」


 リオに抱きついたまま寝てしまったシュゼットを見て、ゾーイとマーカスが優しく笑った。


「次の仕事は隣国までの護衛だ。数日留守にする」

「リオも?」


 ゾーイが頷きながらも少し不安そうにリオを見た。リオはマーカスに比べて筋肉があまりついていない。今までのように近場ならまだしも、隣国に行く道には野盗が多い。報酬は高いが、仕事は危険と背中合わせだった。

 現実問題、次の冬を越すためにはお金がそれなりに必要だった。シュゼットにも買ってあげたいものもある。


「心配するな。リオは頼りなく見えるが、その辺の奴らよりも剣の扱いは上手い」

「すぐに帰ってきます。隣国の珍しいおもちゃでも買ってきますよ」


 にこにこして言えば、ゾーイは不安そうな顔をしながらも頷いた。




 でもマーカスもリオもその約束を守ることができなかった。


 護衛していた商人の小隊が野盗に襲われた。剣を抜き戦うが、数が違う。力任せの剣技は特別な技があるわけではないが、数がいる。一人一人と対峙しても次の敵が現れる。リオも必死に剣を振るった。だが、限界はいずれ来る。


「リオ、逃げるんだ!」


 マーカスが野盗と対峙しながら、リオに怒鳴る。


 戻らないと。


 そんな気持ちがあったが、ここからの離脱はすでに不可能だった。マーカスも全身に傷ができ始めていた。ひときわ強いためか、数人がかりで斬りかかられていた。


 戻らないと。


 その気持ちだけが自分を支えていた。

 それでも、どうにもならないことがある。安物の剣がついに折れた。限界が来たようだった。


 どうしても幸せは長く続かないなとぼんやりと思う。わき腹や背中を刺す複数の痛みに急速に視界が暗くなった。


 最後に思ったのはシュゼットの楽しげな笑った顔だった。


 まだ1歳だ。

 いつもと同じように、自分たちの帰りを待っている。

 帰ったら――。


 シュゼットのことを思い、リオの意識は途切れた。


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