王女の暴走の結果
少し痛い表現があるかもしれません。苦手な方はご注意願います。
リオは報告を受けて、ため息をついた。
「ここは他国で、しかも押し入ろうとしているところはアンドリュー殿下の後宮ということで合っているよな?」
「そうだよ。処分しろとか簡単に言ってくれるんだ。あのバカ、王女に頼まれたからってやる気になっているよ」
ルイは自国の王太子マリウス付きの暗部だ。決してポーシャが主ではない。今回の使節団の1割程度がポーシャ付きの人間で、そのほとんどがマリウスの手の人間であり、ポーシャの行動を常に監視していた。自国にいるように秘密裏に行っているつもりでも、代表であるリオに筒抜けになっている。
「処分ね、あの子供は簡単に何を言ってくれているんだ」
「しかも護衛も動かす気でいる。連れてきた護衛を使うなんて、隠す気もない」
ルイがにこやかに追加情報を言えば、リオはこめかみをぐりぐりと揉むこむ。これから朝食をとって、すぐに王太子側と対談だ。
初日にポーシャがやらかしたことで、王太子の印象が悪く、さらに謝罪に行ってもデヴィッドが本来の目的を忘れてやらかした。
それだけが原因ではないだろうが、援助条件のすり合わせが想像以上に上手くいかず、ここ数日膠着状態だ。何とか最小限の条件を引き出そうと疲れる交渉を行っているのに、ポーシャが余計なことを決断したという知らせ。
自分の欲望しか考えていない女に、リオはすべてを放り出したくなった。
「何を考えているんだ……」
「婚約白紙の危機に焦ったとしても、一番の悪手だよね」
「しかもシュゼット様を害するなんて……」
「リオ様が会いたかった人ってシュゼット様?」
リオの呟きに、ルイが反応した。この使節団の代表に無理やりなったのは、王宮にいるシュゼットに会うためだった。ルイは名前を聞いていなかったが、リオの言葉ですぐに結びついた。
彼女の名前をするときの表情が違う。普段は無表情でいるか、外向けの人当たりのいい笑顔でいるリオが優しい顔をするのだ。
ルイの顔に不満の色が浮かぶ。
「こればかりは仕方がない。お前だって小さい時に行方不明になった妹が見つかったらそう思うはずだ」
「俺には妹はいないよ。シュゼット様だってリオ様にとって妹でも何でもないじゃないか」
「似たようなものだ」
この辺りは誰に説明しても理解されないので、別に気にならない。リオのこの思いはリオだけのものだ。きっと誰にも分らない感情だ。
「それで、どうする? 後宮に入り込むことさえ彼らには難しいと思うよ。後宮に押し入ってすぐに捕まる」
「調べてあるのか?」
「もちろん。噂通りだったよ。シュゼット様は王太子殿下に溺愛されていて、無理やり入り込んだヨランダっていう側室もいるんだ。なんでも王太子に惚れているから、お金をかなりばら撒いたらしい」
「へえ」
ヨランダの名前を聞いて、リオは考え込んだ。リオが黙り込んだことを気にせず、ルイはそのまま続ける。
「しかも、シュゼット様は一度毒殺されかかったことがあったらしくて。犯人は捕まっていないけど、周囲はもう一人の側室が怪しいって思っているらしいよ」
「毒殺?」
思わぬ言葉にリオの目が細められた。
「あまり大事になっていないようだから。この情報を仕入れるのだって結構大変だったんだ」
俺ってすごいでしょう、と言わんばかりに胸を張る。リオは適当に褒めながら、忙しく考えた。
「その側室、シュゼット様に邪魔だな」
「嫌だよ、それ以上聞きたくない」
ルイはリオが考えたことが分かったのか、聞く前にきっぱりと拒絶した。
「今は何もしない」
「本当かな? まあいいや。それでどうしたらいい? デヴィッド、潰せばいい?」
どこかわくわくした様子で、ルイはリオに指示を仰いだ。リオはデヴィッドをやり込めたいだけのルイに苦笑する。
「デヴィッドを部屋から出すな。足止めしておけば問題ないだろう」
「それだけ? 部屋に監禁するなら、薬を使ってもいい?」
「薬は駄目だ。きっちり監視しろ。部屋を出そうになったら、足止めをして出られないようにしてくれ」
ただでさえ信頼度が低く、交渉が上手く行っていない。ここで騒動を起こしたら、交渉する余地がなくなる。
「やっぱり王女を連れてきたのはまずかったね」
「……マリウス殿下は王女が寵姫にあったらどんな行動をとるのか、わかっていたはずだ」
「それでも援助の話がなくなる方が問題じゃないの?」
ルイの疑問ももっともであったが、リオは応えなかった。マリウスの希望は食糧援助をしてもらいつつ、ポーシャの排除だ。すでにポーシャは婚約の見直しを突き付けられている。ポーシャの態度が王太子妃として相応しくないという、何とも恥ずかしい理由によって。
これだけで、マリウスはポーシャとその母である現王妃を追い落とせるだろう。
これ以上は大人しくしてもらえるだけで十分だった。
******
「大変です。デヴィッド殿が後宮から出てきた商人と接触しました」
「…………もう一度言ってくれないか」
予想外の情報がもたらされたのは、午後に行われる最後の交渉の準備をしている時だった。部屋にいたのはリオの他に、国から連れてきた文官二人。3人で今日の方針を確認しているところだった。
文官二人は飛び込んできた騎士の報告に唖然として固まっている。
騎士はもう一度、しっかりとした口調で告げた。
「デヴィッド殿が後宮から大きな衣装箱を持った商人と接触しました」
騎士の言葉をゆっくりと反芻し、リオは青ざめた。
「ちょっと待て。おかしいだろう。どこで商人と知り合う機会があったんだ?」
「会ってはいません。憶測ですが、面会の申し入れの手紙に紛れていたのかと」
「手紙か」
ポーシャ宛の手紙はリオもある程度は確認していた。だが交渉が重なるごとに時間が取れず、中身もさっと確認しただけだ。その中に見落とした何かがあったのだろう。
「ルイがデヴィッド殿と接触した商人を拘束しています」
「後宮から大きな箱を持って出てきたのなら、衣装箱の中身はシュゼット様だろうな」
リオが力なく呟いた。ありがちな方法ではあるが、確実ではある。
「この後の指示をお願いします」
「王女の取り巻きを全員、縛り上げろ。王女は部屋に閉じ込めておけ。デヴィッドは何発か殴った後、ここに連れてこい」
騎士は一礼して、立ち去った。リオは文官にアンドリューへ面会の申し込みを指示した。
ルイがどう動いているのか、シュゼットが無事なのか、まったくわからない。
彼が報告に来られないほどの状況にいなっているのだろうとため息しか出なかった。少しでも情報が欲しい。できる限り手持ちのカードを増やしておきたいのが本心だ。
だが、こういう問題は先延ばししてもいいことはない。駆け引きもいらない。真摯な態度で臨まなければ、恐ろしい結果となる。
やや気持ちを重くしながら、長椅子に座った。
「こんなことになるのなら、王女など連れてこなければよかった」
「まったくだ」
残っていた文官の呟きに、リオも同意した。文官は顔色を青くしながら、リオを見る。
「マリウス殿下はこうなることを見込んでいたのでしょうか?」
「嫉妬心で嫌がらせをする可能性はあるとは考えていたと思う。だが、後宮から寵姫を連れ去るなんて想像すらしていないはずだ」
「そうですよね。内心はどうであれ、ここは他国。しかも援助をお願いしに来たのですから……」
援助を引き出すために必死になって交渉したにもかかわらず、これからは戦争にならないように何かを犠牲にしなくてはいけない。
そう考えて、リオはおかしくて笑った。
犠牲にできるほど価値のあるものなど、何もないことに気がついたのだ。
「一層のこと、王女を罪人として突き出すか」
「それもいいかもしれません。受取拒否されるかもしれませんが」
ルイがデヴィッドに衣装箱を渡した商人を拘束したことで、内通者はすぐにわかる。少しでもこちらの非を少なくするために、その商人が末端ではないことを祈る。
「失礼します。連れてきました」
捕縛するようにと指示した騎士が戻ってきた。後ろ手に縛られたデヴィッドはリオを見るなり、怒りの形相で睨みつけてきた。
「何故、俺が捕えられなくてはならない!」
「理由はわかっていると思うが? 後宮からやってきた商人から何を受け取った?」
冷ややかな目でデヴィッドを見つめた。デヴィッドはバカにしたように笑う。
「商人なんだから、宝石やドレスに決まっているだろう。ポーシャ様もずっと部屋にこもりっきりだ。少しは気晴らしにと呼んだまで」
もっともらしい言い訳に、リオはため息をついた。
「商人はすでに拘束した。少し痛めつけたらすぐに吐いたぞ」
「何?」
リオは自分の推測を如何にも事実であるかのようにデヴィッドに聞かせる。
「よくもまあ、後宮のもう一人の側室に繋げたものだ。受け取った中身がシュゼット様だと言っていたな」
「あの男……!」
ぎりっとデヴィッドが歯噛みする。リオはため息をついた。
「ここは他国で、私たちは援助を申し入れに来ている。どうしてそう身勝手ができるんだ」
「ポーシャ様は王族だ。その願いを叶えるのが一番優先順位が高い」
何か言おうと言いかけたが、良い言葉が浮かばない。面倒になったリオは後ろで押さえている騎士に、すべて吐かせるように指示をした。
与えられる痛みにデヴィッドはすぐさま心が折れた。デヴィッドは聞かれたことを隠すことなく吐き出す。
顔がはれ上がり、歯が折れているせいか、変な音を漏らしながらデヴィッドは答えた。
接触が相手側の方だったこと。
時間だけ指定され、シュゼットを入れた衣装箱を持ってくるという事。
その後のことは関知しないということ。
デヴィッドから聞き取った内容に眩暈がする。
「これほどまで馬鹿とは……」
完全にこちらに罪をかぶせるために考えられていた。ルイがその商人を拘束したおかげで、すべての罪を被らなくて済んだ。
「それで、シュゼット様はどこだ?」
「……」
デヴィッドは視線を床に落とした。これは言えないらしい。その様子に、リオは酷薄な笑みを浮かべた。
「なるほど。王女殿下が指示をしたのか。シュゼット様が害されたのなら、王女殿下は公開処刑だな」
「生きている! あの女は森に捨てられたはずだ!」
公開処刑と聞いて、デヴィッドが真っ青になって叫んだ。リオはふうっと息を吐いた。デヴィッドから扉の方へと視線を向け、立ち上がる。ゆっくりと開く扉に向かって、リオは恭しく頭を下げた。
「本当に申し訳ございません。このような場に来ていただくとは……」
「私が押しかけたのだ。大体の事情は分かった」
アンドリューが冷ややかな目で男を見下ろした。
「愚かだな。お前の愚行のせいで王女は断罪される」
デヴィッドが何かを叫ぼうとしたが、抑えつけている騎士が手早く猿轡をかませた。
「もう少しで夜になってしまう。森を探索した方がいいでしょう」
リオがそう言えば、アンドリューは頷いた。
「シュゼット様を引き渡した商人は拘束しています。そちらに引き渡しましょう」
「話は私の執務室で聞く」
とりあえず話は聞いてもらえそうだとリオは少しだけ肩から力を抜いた。




