連れていかれた場所
こういう事、前にもあったな。
そんな感想を思いつつ、ぼんやりと天井を見つめていた。あれは洗濯屋からローガンに連れていかれた時だ。意識を刈り取られて、気がつけばふわふわの寝台で横になっていた。
二度目は箱の中に詰め込まれていた。あの後、初めて頬を叩かれ、腹に拳を食らった。ポーシャはアンドリューから贈られた首飾りを奪っていった。
「……あれ、寵姫の証だとわかっていたのかしら?」
正妃がつけるものではないとアンドリューも説明していた通り、ポーシャの奪った首飾りはシュゼットしかつけることができない。あの首飾りをして、夜会にでも出たら、「誘拐犯はわたしです」と言っているようなものだ。
しばらくの間、必要そうで必要なさそうなことをつらつらと考えて現実逃避をしていたが、ぐう、とお腹が鳴ったことで中断した。
重い体を寝台の上に起こす。体を起こしたときに、上着がかかっていることに気がついた。
「これ……」
色は黒のため華やかではないが、上質な上着だ。誰のだろうかと思いながら上着を手に取った。
胸ポケットから少しだけ何かが見える。思わず引っ張れば、小さく折りたたまれた紙が出てきた。広げてみれば、一言、心配いらないと書いてあった。
「アンドリュー様の字だ」
リオの様子とあの男の会話から、国外に連れ攫われないか、本当は心配していた。でもここにアンドリューの手紙があるのなら、あまり心配はいらないのかもしれない。
気持ちを向上させると、ぐるりと部屋を見渡した。後宮のように絵画や陶器などが飾られてはいないが、置いてある調度品は品の良い物であることはシュゼットの目にもわかった。
小さなテーブルと椅子の所に、着替えと思われるドレスがあった。シュゼットは寝台から降り、裸足のままそのドレスの所へと向かう。
綺麗に畳まれたドレスを広げれば、シュゼットに合わせたサイズだった。ドレスの他にも肌着や靴まである。シュゼットは自分の体を見下ろした。
美しかったドレスの裾は汚れている上に、破れている。しかもこのまま何度も横になったものだから、くしゃくしゃになっていた。
思い出したかのように髪に手を当ててみれば、美しく結われていた髪はほどけ、右側の髪はざっくりと切られて短くなっていた。切られた毛先をつまみ、ため息をつく。
「遠慮なくやってくれたわね。ジョアンナが見たら卒倒しそう」
ジョアンナの引きつる顔を思い浮かべながら、適当に手櫛で整えた。
ドレスも着ようかどうしようか迷って、わざわざ置いてあるのだから着ても許されるだろうと勝手に納得する。
コルセットは付けず、手早く着替えを済ませた。支度が終わると、ぐうううと訴えるような音が腹から鳴り響いた。
「お腹空いた」
ここがどこかを確認しながら、食料でも探すかと靴に足を突っ込んだ。
******
シュゼットは部屋から出る。足音をなるべく立てないようにしながら廊下を歩いた。
窓からの日差しがたっぷりと入り、廊下は明るい。
この建屋は古くて小さいが、歴史を感じさせる彫刻や模様が使われていた。
扉があれば、中を覗いた。物がないため、がらんとしていた。扉を見つけるたびに、確認していった。
どの部屋もきれいに掃除にされているが、人が住んでいる様子はない。
シュゼットが寝ていた寝室だけが整えられていた。
「誰かいませんか?」
小さい声で、階段の所から階下へ呼びかけた。反応がないことを確認してから、シュゼットは下へと降りる。
「誰か」
階段を降りて、玄関ホールから食堂、居間と順番に覗いてきたが、人もなければ、食べ物もない。
「……誰もいないのかしら」
がらんとした広い屋敷に一人だと思うと、気持ちが落ち着かなくなる。場所も分からず、食料もなく。
不安な気持ちを抱えながら、やや早足に奥の方へと進む。
微かだが腹を刺激するいい香りが鼻を擽った。シュゼットは鼻を引くつかせ、ふらふらと匂いの元へと移動する。
裏方の方へ回り、台所を覗いた。
「あ!」
「あれ? 起きたんだ」
台所にはシュゼットを誘拐した暗部の男が白いシャツに黒いズボンという出で立ちで、スープの味見をしていた。シュゼットを見ても特に驚かない。
「なんであなたが!」
「なんで、って俺が護衛もできるから?」
可愛い感じで首を傾げられて、シュゼットは大声を上げた。
「ちっとも可愛くない!」
「結構、評判いいよ」
ふわふわした感じで笑うと、彼は席に着くようにと手で示した。シュゼットはスープの美味しそうな匂いに逆らえずに、ふらふらと席に着く。
「スープができたら、起こしに行こうかと思っていたんだ。頬の腫れも引いたみたいだ。ドレスも似合っている」
「あの着替え、貴方が用意したの?」
「違うよ。持ってきてもらったんだ」
男は誰とは言わなかった。シュゼットがアンドリューの上着を握りしめていたのだから、着替えを用意したのは間違いなくアンドリューだろう。今更だと思わなくもないが、肌着まで用意したのがアンドリューだと思うと何となく恥ずかしい。
男はシュゼットの反応を気にすることなく、調理を続ける。しばらく恥ずかしさに悶えていたが、空気を読まずにシュゼットの腹がぐうぐうと鳴った。
「もうできたから。お腹、空いたよね」
「そんなことは……」
否定しようとしても、シュゼットの腹の音は鳴りやまない。シュゼットは頬を赤くした。
「気にしなくてもいいよ。人間誰もがお腹は空く」
「もうできたんじゃない? 早く食べましょう!」
シュゼットは恥ずかしい思いを隠すように、男を急かした。
「毒とか気にならない?」
「さっき味見していたじゃない」
早く用意してほしいと、どんとテーブルに拳を叩きつける。男はふわふわ笑いながらそうだね、といって白い器にスープをよそう。
「ねえ、本当に名前、ないの?」
「名前はないけど、呼び名はあるよ」
「……」
へらりと笑う男にイラつきながら、スプーンでスープを掬った。
「俺はね、ルイって呼ばれているんだよ。リオ様が名前がないのは不便だからってつけてくれたんだ」
「貴方、随分、ワイリー様を慕っているのね」
ルイにパンの入った籠を差し出されて、一つ手に取る。ふわふわの白いパンだ。それを小さく千切り、口の中に放り込む。
「リオ様に助けてもらったから。だからリオ様の手の届かないところは俺がやるの」
「だからって、仕事は選んだ方がいいと思うわ」
「まあいいじゃない? それよりおかわり、いる?」
ルイは立ち上がるとおかわりを注いでくれる。昨日の昼食後、まったく食べていないから、暖かなスープはとても美味しい。
「ところで、いつ戻れるの?」
「どこに?」
「後宮」
ルイはおかわりをよそった器をシュゼットの前に置くと、うーんと唸った。
「そもそも、お姫様は命が狙われていると理解している?」
「理解している。でも、アンドリュー様が大丈夫とメモを残したのだから、もう大丈夫なんでしょう?」
シュゼットは二杯目のスープも美味しく食べながら、当然のように言った。ルイが困ったようにとんとんと指でテーブルを叩く。
「その上着だよね。アンドリュー殿下は抜け目ないね」
シュゼットがドレスの上に羽織っている上着に目を向けて、ルイはため息をついた。
「大体合っているよ。アンドリュー王太子殿下の采配で、君はここに匿われているんだ。外にもちゃんと護衛騎士がいるから安心して。ちなみにこのクソ忙しい時に、短時間だったけど様子を見に来たよ」
「……どうしてアンドリュー様は貴方を信用しているの?」
不審そうにルイを見れば、ルイは肩をすくめた。
「さあ? なんだろうね? それは俺も知りたい」
シュゼットは勝手に籠からパンを取り出した。二つ目は千切らず、そのまま齧りついて食べる。ちまちま食べていてもお腹がいっぱいにならなかったのだ。
「食べ終わったら、すぐに後宮に帰りたい」
「すぐは無理」
ルイはスプーンを置くと、先ほどとは違って真面目な顔をしていた。シュゼットは不機嫌そうに唇を尖らせる。
「どうして?」
「今戻ったら、怒り狂ったポーシャ王女に殺されちゃうよ?」
「……どうして王女殿下が怒り狂うのよ?」
ルイは薄く笑みを浮かべた。
「うちの王女様、今日の夜会の前に婚約者から追及される予定。きっと婚約破棄になると思うから、どこに暴走するかわからない」
「はい?」
「頭の悪い子供だよね。世界は自分のためにあるなんて本気で思っている」
毒を含んだ言葉に、シュゼットは驚いた。先ほどまでのふわふわした感じが消えうせ、残ったのは冷ややかな何かだった。表情が抜け、人形めいた笑みが口元に浮かんだ。
「もしかして、王女殿下のことが嫌いなの?」
「嫌い? そんな言葉では済まないよ。俺はあの親子を憎んでいる」
感情を出さないガラスのような目を向けられて、シュゼットは怯んだ。冷ややかな目をしたアンドリューを見た時も驚いたが、その時の比ではない。見てはいけないものを覗き込んでしまったかのような恐怖を感じた。
その恐怖を見ないように、シュゼットは務めて明るい声を出した。
「わたし、王女殿下のことよりもヨランダ様が逃げるんじゃないかという方が心配なんだけど」
「ヨランダ?」
「そう。後宮はいつも以上に騎士で固めていたのよね。特に王女殿下がわたしに対していい感情を持っていなかったから」
シュゼットはさらに置いたパンを再び手に取った。さりげなくルイがジャムの入った瓶を差し出してくれる。それをパンにたっぷり塗る。
「まさかヨランダ様が直接手を出してくるなんて思ってもいなかったわ」
ヨランダの毒々しい赤く塗られた唇を思い出し、ぐっと手を握りしめた。手に持っていたパンが潰れる。ぎゅうぎゅうに潰したパンをシュゼットはむしゃむしゃと食べた。
「お姫様はバカじゃないんだね」
「多分ね」
ルイは感心したようにフフッと笑う。いつまで待っても何も言ってこないので、痺れを切らしたシュゼットは口の中に入れたパンを飲み込み、やや苛立った声を出した。
「それで、教えてくれないの?」
「うん。そのあたりは自分たちでどうぞ」
「……せめてジョアンナと護衛騎士が助かったかどうかだけ教えて」
一番気になることだ。ジョアンナと護衛騎士のうめき声などは聞こえなかったが、怪我一つなくということはなさそうな気がする。
「怪我一つないよ」
「本当のことを教えてよ。やっぱり二人とも……」
「嘘じゃないって。アンドリュー殿下からちゃんと聞いたから」
「それならいいわ」
シュゼットはアンドリューという言葉で信用した。ルイはぽつりと呟いた。
「後宮で死人を出したら、戦争になるところだった。もう一人の側室が短絡的じゃなくてよかったよ」
「戦争?」
「そう。側室が手を貸しているけど、結局はうちの王女が仕掛けたことだから。絶対に我が国は勝てないから戦争にはしたくない」
ルイは先ほどの冷たい表情を消すと、ふんわりとした笑みを浮かべた。




