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森の中


 夜の森は思っていた以上に走りにくかった。


 華奢なヒールのある靴で走っているのもあるのだろう。一歩前に踏み出すたびに、ぐらつく。草や落ち葉があって柔らかなところもあるが、小さな石などでもバランスをとるのが難しい。

 月明かりがあるため目も暗闇に慣れてきたが、小さな障害物を認識するには弱い光だった。


 靴の不安定さに顔をしかめながらも、シュゼットは夢中で走った。


 早くこの森を出て行きたい。


 この森がどこの森だかわからないが、人攫いにあってしまえば二度と戻ってくることができない。その恐ろしさは洗濯屋で暮らしていた時に何度も何度も注意されていた。特にシュゼットは銀髪に紫の瞳という珍しい色合いのため、高値で売れる。


 それにポーシャもいつ気が変わって、殺しに来るかわからない。

 簡単に他国の側室を殺してしまえばいいと考えるポーシャに恐ろしさを感じた。


 他国で始末しようと思えるぐらいなのだから、邪魔な人間は今までも排除してきたのだと思う。ポーシャに従っていたデヴィッドも手慣れた感じだ。


 自分の思った通りに進まないと癇癪を起す王女にシュゼットはため息が出た。もしこれで生きて戻れたとしても、彼女がアンドリューの婚約者である限り、狙われるような気がした。フードの男もよくわからない。助けたいのか、そうでないのか。


 月明かりしかない森の中。


 シュゼットはとにかく逃げた。走りやすい場所を選んで走っているうちに、同じ場所をぐるぐるしているだけではないかとようやく気がついた。


「何やっているのよ……」


 自分自身の残念さについ漏らしてしまう。月明かりを頼りに走り続けていたが、元の場所も分からなくなっていた。


 大丈夫だから落ち着けと自分自身に言い聞かせながら、息を凝らし周囲の音に耳を澄ませた。


 誰もいないことにほっとしながら、大きく息を吐いた。木の陰に隠れるようにしてしゃがみこんだ。

 久しぶりに走ったせいなのか、息が苦しい。何度か大きく息を吸い込んで、呼吸を整えようとするが胸が痛むばかりだった。


 一度止まってしまった体はとても重くて、立ち上がる力が出ない。シュゼットはぎゅっと握りしめているドレスのスカートの裾を離し、一緒に強く握りしめていた短剣に視線を落とした。

 鞘に包まれた短剣は月の光に鈍く光る。装飾品がついていない剣は実用性のあるものだと嫌でも察せられた。


 シュゼットは短剣など扱ったことがない。調理用の包丁がせいぜいだ。


「どうしろというの」


 休んだことで、余裕が戻ってきたシュゼットは思わず声にしてぼやいた。現状に八つ当たりすることで気分を上げようとする。


 風もない森の中、ただただ静かに虫の音と遠くから響くフクロウの声が聞こえる。


 それから、自分自身の鼓動の音。

 経験をしたことのない緊張した気持ちが周囲に対して敏感にする。


 徐々に呼吸も落ち着き始めたことで、状況を考える余裕が出てきた。


「大人しくしていればいいって言ったくせに」


 八つ当たりはフード男からアンドリューへと対象を変える。アンドリューはとてもポーシャを警戒していた。その前に毒の混入もあって、シュゼットへの護衛は神経質じゃないかと思うほどだった。

 それでもこうしてシュゼットは連れ出されてしまっている。ヨランダはポーシャに協力してまでシュゼットを排除したかったようだ。

 無事に戻れたら、ローガンに短剣の使い方でも教わろうと強く心に決めた。


 ジョアンナの様子も、護衛騎士の様子も気になっていた。無事でいてくれるといいと祈る。

 

 少し休んだおかげで、体に力が戻ってきた。早めに森を抜けるために立ち上がる。周囲に気を配りながら、先ほどとは違う場所を選んで歩く。


 程なくして、がさりと大きな音がした。足を止め、恐る恐る音をした方を見る。暗闇に誰がいるか、何がいるのか、わからない。シュゼットは知らず知らずのうちに短剣を握りしめた。


 何かが出てきたので、シュゼットは思いっきり短剣を振り回した。突然現れた人はシュゼットの短剣をよけ、簡単に彼女の手首を抑え込む。


「シュゼット様、落ち着いてください」

「え?」


 名前を呼ばれて顔を上げた。月明かりに照らされた顔は一度だけあったことのある人だった。


「え、と? ワイリー様?」

「そうです。ご無事でよかった」


 リオはほっとした顔をして、押えていた短剣を離した。シュゼットも短剣を下ろす。彼はとても優しい目でシュゼットを見つめている。その視線がとても不思議で、思わず見返した。


「どうしてここが?」

「攫われたと知って、色々な人がシュゼット様を探しています。この森にはエヴァンズ殿も来ていますよ」


 ローガンも探しに来ていると聞いて、体から力が抜けた。ローガンが森に来ているということは、アンドリューが指示をしているのだ。緊張が解け、どっと疲れが襲う。


「よ、よかったぁ」

「本当に申し訳ありません。このようなことになってしまって」


 リオは深々と頭を下げた。シュゼットは彼の謝罪をどう受け取ればいいのかわからなかった。


「王女殿下はいつもあんな感じなの?」


 癇癪持ちで暴力をふるうのか、と言外に含ませる。リオは何とも言い難い笑みを浮かべた。


「私の立場上、はっきり言うのも問題なのですが……。概ね見た通りです」

「でもまだ13歳なのに?」

「頭の悪いお方なので、すぐ甘い言葉に染まるのですよ」


 シュゼットはこれ以上は聞いてはいけない気がした。リオはかなりの鬱憤を持っているようだ。相槌を打つように頷きながら、質問を変える。


「それで、どうして貴方が助けに来たの?」

「成り行きで」

「成り行き?」


 にこりとリオがほほ笑む。

 シュゼットはますます理解不能に陥った。成り行きの中に含まれる理由が全く想像つかない。


「……もしかしてあの男の言っていた保護してくれる人は貴方のことなの?」

「彼がそんなことを言っていましたか」

「ええ。なんだか前からわたしのことを知っているように話していたわ」

「余計なことを」


 小さく舌打ちすると、彼は大きく息を吐いた。シュゼットは不思議に思って尋ねた。ポーシャの行動の謝罪に来る前に会った覚えがなかった。


「何故、貴方はわたしのことを知っているの?」

「私は貴女の母君の家令だったのですよ」

「わたしの母?」

「幼い時に別れ離れになってしまったので、ずっと心配でした。少しの差でウィアンズ侯爵家に持っていかれましたが」


 先ほどまでの優しさが消える。どこかひやりとした声音に無意識に一歩後ろに下がった。


「貴女を幸せにする。それが貴女の母君、オーフェリア姫に誓ったことです」

「オーフェリア姫?」


 この人は一体何を言っているのだろうか。


 シュゼットは聞いてはいけないと警戒心を強めた。だが、リオはシュゼットの気持ちなどお構いなしに、話を続ける。


「おや、知りませんでしたか? シュゼット様はこの国の国王の異母妹であるオーフェリア姫とウィアンズ侯爵家のフロイド様の姫君ですよ」

「……わたしの母はゾーイだわ」

「懐かしい名前ですね。彼女は……亡くなってしまいましたか」


 シュゼットは無意識に、一歩、後ろに下がる。


「リオ様」


 頭上から小さな声が聞こえた。シュゼットは思わず上を見る。だが、目を凝らしても枝を大きく広げた木々があるばかりだ。


「騎士たちがこっちに来る。国に連れていくなら今しかないけど」

「また勝手なことを」


 咎めるセリフを口にしているが、親しい人に向けるボヤキに近かった。リオは考えるように眉間を揉みこむ。シュゼットは自分を探している騎士たちを見かけたら、そちらに走り寄ろうと心を決めた。流石に騎士たちの前で何かをすることはないはずだ。


「でも折角の機会だよ?」


 リオの返事を聞く前に、遠くに騎士の気配を感じた。シュゼットは騎士がいる方へと勢いよく走りだした。


「おっと」


 逃げ出したシュゼットであったが、リオに難なく腰に腕を回され、抱えられた。デヴィッドに殴られた箇所に腕が当たり、痛みに呻く。あまりの痛さにシュゼット動けなくなった。


「どこか、怪我をしているのか?」


 あまりの痛がり方に、リオは驚いた声を上げた。


「強く抑えないで! 殴られたところが痛い……」

「殴られた? もしかしてデヴィッドに?」


 リオに聞かれてそうだと頷けば、彼は舌打ちした。

 会話をしている間にふわりと、何かの匂いが立ち込めた。その匂いに覚えがあったシュゼットは慌てて口を鼻を手で覆う。3度目だ。こんなところで、眠らされたらたまらない。


「この匂い」

「眠りクスリの匂い。特殊な薬なんだ。本当は薬が切れる前に戻ってくる予定だったんだけどね」


 がさりと木がこすれる音がして、男が現れた。シュゼットを森に連れ出した男だ。

 匂いを嗅がないように息をしないように頑張っても、長くは続かない。呼吸をするたびに、頭がぼんやりとする。


 意識を維持しようと忙しく瞬きをする。同じ場所にいる二人を見ても、彼らは普通に立っていた。それがまた不思議で、ぼんやりする頭で考え込む。


 リオが優しく頭をなでた。撫でながら、シュゼットの疑問に答えてくれる。


「護衛している人間は大抵慣らしているから効かない」

「そう……」


 こんな状況でありながら、シュゼットは納得してしまった。匂いだけでこれほど早く意識がもうろうとしてくるのだから、相当強い薬なのだろう。


 体が重くなってきて、体を支えているリオにもたれかかる。彼は力の抜けたシュゼットを危なげなく支えた。


 下からリオをじっと見上げた。


「わたしをどうするの?」

「心配いりません。貴女を保護するだけですから」


 リオの声がひどく遠く聞こえる。彼から離れようとしたが、体が思う通りに動かない。


「後宮に返して」


 シュゼットの意識が遠のいた。何とか目を開けようとしたが、抵抗空しく、すっと闇に落ちていった。


 最後の呟きは声になって届いたのか、わからなかった。


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