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一度あることは二度ある


 ようやく給料日が来た。老婆に食料を奪われてから10日。ようやくまとまったお金が手に入り、シュゼットは今度こそ騙されないように気を付けようと心の中で決意した。


 誰が話しかけても、誰かが転んでしまっても、食料を手にした時に遭遇したらそれは騙すために仕掛けられたことだと自分自身に強く言い聞かせる。


「いらっしゃい」

「あの、これで買えるだけの沢山のパンをください」


 台の上に持ってきたお金を置けば、パン屋はいつものようにパンを選んでくれる。シュゼットは正直に言えば、計算が苦手だ。


 母親が生きている時にある程度は教わっていたが、今は全くと言っていいほど使っていない。こうしてお金を出せば希望通りに選んでくれるし、シュゼットは優しい周囲に恵まれていると感謝していた。


「この間は大変だったねぇ。これ、おまけだよ」


 パン屋の主人はシュゼットの災難を知っていたようで、ぽんと小さいけれどふわふわのパンを入れてくれた。

 このパン1つで今日のお金が無くなってしまうぐらい、高価なものだ。シュゼットは目をキラキラと輝かせた。


「ありがとう!」

「おう。またおいで」


 シュゼットは10日前と同じ道を歩いた。食料の入った袋を両腕に抱える。洗濯屋にある自分の部屋まで絶対に足を止めない。そう意気込んで歩いていた。


「ちょっといいだろうか」


 シュゼットの決意を知らない誰かが声をかけてきた。しかも男性だ。無視して変なことになるのもよくないと思い、仕方がなく声の主を確認する。


 ばちっと目が合った瞬間、これはまずいと直感した。道を聞くために呼び止めたのではない。地味であるが、この辺りではお目にかからないほど立派な服を着ていた。

 男の鋭い視線にシュゼットは恐ろしさを感じた。


 シュゼットはパンを落とさないように抱きしめながら、全力で元来た道を走り出した。ところが薄い靴は激しい運動には向いていず、さらにはお腹が空いていたため力はでない。シュゼットが思っていたほど全力とは程遠い逃げだった。


 もちろん、あっという間に捕まってしまう。ぐっと腰に腕を回され、至近距離で顔を覗き込まれる。


 真っ青な瞳がとても印象的だ。驚きに目を見開けば、シュゼットを捕まえた男は遠慮のない力で髪を後ろに引っ張る。


「痛い!」

「本物のようだ」


 どうやら髪が本物かどうか知りたかったようだ。それにしては乱暴な手つきだ。シュゼットの瞳に痛みで涙が浮かぶ。

 男の腕を振り払おうと滅茶苦茶に暴れたが、すべて受け流されますます締め付けがきつくなった。


「誰か……!」


 助けを呼ぼうと声を上げようとした。シュゼットは最底辺の人間であったが、住んでいるこの場所ではお互いに支え合っているのだ。悲鳴を上げて、人だかりができれば解放することが多いと洗濯屋の女将から教わっていた。人攫いから逃げるための知恵だ。


「ちっ」


 男は舌打ちをすると、シュゼットの首に腕を回し強く圧迫した。シュゼットの意識はあっさりと刈り取られた。



******


 気がつけば、呆気にとられた。

 信じられない思いで起き上がり、ぐるりと部屋を見回す。


 高い天井、清潔感の溢れる寝台。


 しかも寝台はシュゼットが日々使っているものとだいぶ異なっていた。柔らかいのだ。真っ白なシーツはシミがなく、大きめの寝台には小さなテーブルさえついている。

 この部屋での唯一の汚れはシュゼットで間違いなかった。


「ここ、どこ」


 茫然として呟けば、音もなく扉が開いた。姿を見せたのは、誘拐犯だ。金に近い茶髪に真っ青な空のような青い瞳をしている。

 仕立てのいい服を着て整った容姿をしているが、シュゼットにとって間違いなく敵だ。警戒心丸出しに、シュゼットは男を睨んだ。


「気がついたか」


 男の声を合図にシュゼットは反射的に寝台を飛び降りた。男の横をすり抜け、扉から逃げ出そうした。


「おっと」


 現実は甘くはなく、すぐさま腰に腕を回されてしまう。子供を抱えるように腰に腕を回されそのままもぶらりと持ち上げられる。


「放して!」


 シュゼットは自由になろうと暴れたが、特に気にする様子もなく歩き出した。どこに連れていくのかと、戦々恐々としてシュゼットは体を震わせた。


「震えている? 怖いのか?」

「命はとってもいいから、暴力とか痛いのはやめて。死ぬなら楽に死にたい」

「……傷つけることはしない。とりあえず身支度するだけだ」


 身支度と聞いて体がはねた。シュゼットの頭の中でこの男に慰み者にされる自分が浮かんでくる。体を弄ばれるなんて、嫌だとさらにシュゼットは暴れた。


「嫌よ、放してよ!」

「放したら逃げるだろう?」

「もちろんよ!」


 シュゼットが当然のように言い返せば、男はおかしそうに笑う。


「変な心配はいらない。俺は何もしない。ただ身支度をしてもらえればいい」

「身支度なんて、わたしができるわけないじゃない」


 馬鹿にしたように鼻で笑ってやったが、男に荷物のように持ち上げられていて格好がつかない。

 男はシュゼットの態度を気にすることなく浴室に入ると、用意されていたたっぷりのお湯の中にシュゼットを落とした。


「きゃああ! 何するのよ!」

「これで逃げられないだろう? 今、手伝いを呼んでやるから大人しく従え」


 頭からお湯を被ってしまったシュゼットにもこの寒い日に濡れたままで外に出る危険は理解していた。悔しくて涙が浮かんでくるが、泣きたくない。きっと睨みつけてやる。


「いい目だ」


 ふっと笑みを浮かべると、男は出て行ってしまった。広い浴室に一人残されたシュゼットはがっくりと脱力した。


「なんなのよ、一体」


 一人になれば不安がこみあげてくる。訳も分からず、連れてこられて身支度をする。意識を奪われる前に男はシュゼットの髪と瞳の色を確認していた。そして、この高級そうな部屋と男は手を出さないと宣言し、身支度する理由を考えれば。


「え、売られる?!」


 恐ろしさに体を震わせた。シュゼットは死んでしまった母親が口を酸っぱくして言っていた言葉を思い出した。


 人目につかないように、綺麗にしないこと。


 それが死ぬ間際に言った言葉だった。まだ10歳だったシュゼットにはあまり実感がなかったが、その後、頼まれていたのか女将にも注意されていた。


 この国では人買いは少ないが、それでもないわけではない。綺麗な女は娼館に売られることもある。特に銀の髪と紫の瞳は珍しい色合いだ。

 とはいえ、シュゼットは綺麗にしていけないという注意をいいことに、手入れが面倒で最小限しかしていなかった。


「失礼いたします」


 自分の考えに耽っていたシュゼットは人が入ってきたことに体を震わせた。

 入ってきたのは少し年配の優しそうな女性だった。彼女はシュゼットが服を着たまま湯につかっているのを見て眉をひそめた。


「ローガン様ったら乱暴なことを」

「ごめんなさい。今、出ます」

「慌てなくていいですよ。さあ、綺麗にしましょう」


 優しく促されて思わず頷く。濡れたままで脱走もできないから、身支度するのは有難かった。湯から出れば、手早く服を脱がされる。

 裸にされれば恥ずかしくて下を向いてしまった。ろくに食べていないので、13歳の年齢の割にはシュゼットの体は小柄な上に肉付きも薄く、女性らしさはどこにもない。


「まあ、なんてお綺麗な肌なのかしら。磨けば輝くようになりますわ」


 心に何が響いたのか、彼女はそう呟くと目を輝かせる。身の危険を感じてシュゼットは思わず一歩後ろに下がった。


「いえ、普通にしてもらえたら……」

「何を言っているのです! 勿体ないですわ」


 彼女の手早い動きには太刀打ちできず、シュゼットは全身、それこそ頭のてっぺんからつま先まで磨かれてしまった。

 いつも適当にしているので、何度も何度も湯を取り替えられ、ふわふわの泡をつけた布で擦られた。香りのよい石鹸を使っているが、隅から隅まで力強く磨き上げられ肌はひりひりして痛かった。


「痛い痛い痛い」

「もう少し我慢してください」


 ようやく解放された時には、息も絶え絶えだった。彼女はとても満足そうに仕上がったシュゼットを確認する。


 磨かれた肌に香油がたっぷりと刷り込まれ、しっとりと吸い付くようになった。適当に梳かれまとめてあった銀の髪は丁寧に櫛梳られ、艶やかに輝いていた。


 肩を超えたぐらいしかない髪の長さであっても、彼女は器用にまとめる。ドレスは今まで着たこともないような肌触りのいい上質の布でできていた。

 顔に白い粉を叩きこまれ、唇にはぬるぬるした何かが塗られた。


「今日はこんなものでしょう」


 最後に一振り、香水をかけられた。シュゼットはその香りの強さに頭がくらくらしてきた。お腹が空きすぎて、甘い花の香りが気持ち悪さをもたらした。長時間、浴室にいたためなのか、体がふらつく。


「ジョアンナ、支度はできたか」

「ローガン様。お待たせいたしました」


 部屋に入ってきた男は立ち尽くしているシュゼットを頭からつま先までじっくりと眺める。冷たいとも思える観察者の目にシュゼットは体を震わせ、床に視線を落とした。


 早く終わってほしい。

 そして早くパンが食べたい。ついでに白湯も欲しい。


 お腹がすきすぎて、意識が朦朧としてきた。


「こうして磨いてみれば、間違いようがないな」

「ええ。美しい銀髪に紫水晶の瞳ですわ」

「名前は?」


 シュゼットは逆らう元気も、答える元気もなかった。ゆっくりと顔を上げて彼を見たが、限界だ。


 目の前がくらくらしてそのままその場にしゃがみこんだ。倒れないように両手で体を支えるが、それも心もとない。ぐらぐらと床が揺れているような気がする。


「早く医者を!」


 男が声を上げれば、彼女が慌てて出て行く。


 いや、医者よりもパンを……。


 そう言いたいのに、体の自由がきかない。そこで目の前が真っ暗になった。




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