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襲われました



 ポーシャの滞在中、アンドリューはシュゼットの部屋で休むことなく顔を見ただけで帰っていく。忙しいのはわかっているので、顔を見るだけなら来なくてもいいと思うのだが、アンドリューは夜には必ず一度は顔を出した。

 今日もあと少しで日付が変わる時間に、アンドリューはやってきた。


「おかえりなさい」

「待たせて悪かった。こんなに遅くなると思っていなかったんだ」


 持ってきた箱をテーブルの上に置いた後、疲れた様子で上着を脱ぎ、シャツのボタンを外す。その動きも緩慢だ。アンドリューはこの部屋に来ると、王子様らしさを脱ぎ捨てて、ラフな格好になる。


「ごめんなさい。わたしがきっと余計な仕事を作ったのね」

「うん? ああ使者のこと?」

「そう。ずっと気になっていたの」


 すでに数日前の話だが、余計なことをしたのではないかという思いが強くなっていた。ポーシャとの対面時も失敗だったが、あんなに言い返さなくてもよかったのではないか、とどうしても考えてしまう。

 アンドリューは唇だけ歪めて笑うと、申し訳なさそうに肩を落としているシュゼットの頭を優しく撫でた。


「あの使者の謝罪の申し入れを受けたのは私だ。気にすることはない。どちらかというと、あの席を設けたことを責められても仕方がないと思っている」

「あの方、どうなったの?」

「王女に抗議して、あちらに処分は任せた。せいぜい注意ぐらいだろう。しかし驚いたね。王女のお気に入りの男を使者として連れてくるなんて。私が側室を持ったからその当てつけかな?」


 シュゼットはいつもよりも尖った声音を出すアンドリューを見た。疲れているのか、いつもの余裕が見られない。シュゼットはアンドリューと並んで長椅子に座ると、テーブルに用意されていた酒をグラスに注いだ。


「シュゼットも飲む?」

「いらない。わたしがお酒が飲めないの、知っているでしょう?」

「そうだね。でも一緒に飲んでもらいたい気分なんだ」


 一緒に飲みたいと言われても、困ってしまう。シュゼットは飲めないわけではないが、ごく少量で酔いが回ってしまうのだ。最悪なことに、そのまま眠くなってしまう。


「それよりも、どうして当てつけだと言えるの?」

「だってそうだろう? 私と似たような感じだと思わなかったかい?」

「……似ている?」


 眉間にしわが寄った。思い出しても、勘違いしている無礼な男で、アンドリューとまるで似ていない。


「そう。髪の色とか瞳の色とか、身長とか」

「色合いと身長だけで似ているとするなら、似ている人なんて沢山いることになります」

「それなりに整った容姿をしていたと思うけど?」


 アンドリューに言われて、シュゼットはますます渋い顔をした。


「……スミマセン。わたし、お義父さまとか、お義兄さまとか、とても整った顔立ちの男性しか知らないので、貴族の方では普通だと思っていました」

「あははは……!」


 アンドリューはシュゼットの言葉が予想外だったのか、声を上げて笑った。普段こんな笑い方をしないのでシュゼットは目を丸くする。


「変なこと言いました?」

「いや、変じゃないよ。確かにウィアンズ侯爵家の血を引く者の美貌を見慣れていれば、大したことないか」


 ますますわからなくなったが、それ以上は聞かないことにした。聞いたところで碌なことがなさそうだった。しばらく腹を抱えて笑っていたが、アンドリューが笑いを収めると真面目な顔をして言った。


「5日後には王女たちが帰るから、それまでは誰とも面会はしないでほしい」

「それはお針子や商人たちもですか?」


 普段からシュゼットは引きこもり生活だ。貴族界に友人などいないため、会いに来る人などいない。シュゼットが顔を合わせることがあるのは、ドレスを仕立てに来るお針子か新しい物を紹介しに来る商人ぐらいだ。こちらは定期的にやってくる。

 貴族たちのお伺いも時々あるが、シュゼットは一度も応じたことはなかった。


「そうだ。そろそろ来る時期だろう?」

「先に断っておきます」


 シュゼットが頷けば、アンドリューは優しくシュゼットの頭を撫でた。その撫で方が子供にするような優しいもので、首を傾げた。アンドリューは基本優しい男であるが、シュゼットを全力で揶揄いに来るので初めから優しいのが不思議だった。


「明日から顔を出しに来ることができない。ローガンも私につきっきりになる」

「大丈夫です。他に護衛の方もいますから」

「……一人で過ごしたご褒美に王女のために開く夜会にエスコートするよ」

「絶対に出ません」


 どこまで本気かわからない誘いをぴしゃりとはねのけた。冗談のつもりで頷いて、本当に出席する羽目になるのは嫌だ。シュゼットはできる限りポーシャとは顔を合わせたくはない。


 夜会の席で先日のような態度を取られたら、一人で対処できる気がしない。アンドリューがシュゼットの味方をするようなら騒動が大きくなりそうだし、かといってミゲルやギャレットが助けられるかは微妙だ。


「寵姫の首飾りができたのに残念だ」


 そう言ってグラスを置けば、テーブルに置いた箱を引き寄せた。蓋を開けて、中の物を取り出す。黙ったまま、手にしたものをシュゼットの首にそっと付けた。


 細かな銀細工と大ぶりな赤い宝石を中央に、左右に2つずつ少し小さめの赤い宝石が飾られている首飾り。


 そのあまりにも豪華な首飾りにシュゼットは顔をひきつらせた。


「なに、これ」

「寵姫の証と言われているものだよ。銀細工は新しく作り直した」

「こんなの、持っていられないからいらない」

「そう? 宝石は前の寵姫のを使いまわしているだけだから、気にしなくていい」


 そういう問題じゃない。


 シュゼットはそう言いたいのだが、アンドリューは聞く気がなさそうだった。じっとシュゼットを見つめている。シュゼットの顔と胸元を視線がゆっくりと這う。いやらしさとか全くない、何とも不思議な視線だ。他の誰かを見ているようなそんな視線。


「似合っているね。シュゼットが誰かに嫁ぐ時に持っていっていいから」

「ええ?! こんなの持っていってどうするのよ!」

「普通に使えばいいじゃないか」

「使えるわけないじゃない」


 感覚の違いなのか、シュゼットは力なく呟いた。アンドリューは肩をすくめた。


「王女が帰った後、落ち着いたら一緒に夜会に出よう」

「アンドリュー様?」

「色々な人に引き合わせるから、気に入った相手を見つけるといい。ああ、それともシュゼットはローガンがいいかな? 気心知れていて、楽だろう」


 どうやら下賜する相手のことを言っているようだ。


「急にどうしたの? まだ先の話でしょう?」

「確かに先の話なんだけど、決めたくなった。昼に色々あったから、疲れているんだよ」


 それだけではないだろうが、疲れていることにした。シュゼットには他にできることがないから、ただ一緒にゆっくりとお酒を飲んだ。


******


 シュゼットはのんびりと過ごしていた。後宮の外に出れば、明日の夜会の準備に忙しいだろうが、囲われたこの場所では喧騒も別世界だ。


「折角ですから、寵姫の証、つけてみたらどうですか?」

「誰も見ないのに、この仰々しい首飾りをつけるの?」


 ジョアンナの提案に、シュゼットは嫌そうな顔をした。アンドリューもやってこないのに、おしゃれをする意味が分からない。


「お試しですよ。時間もありますから」


 どうやら侍女たちがシュゼットを着飾って遊びたいらしい。じりっと後ずさったが、すぐに捕まった。

 面会の予定もないのに、侍女たちは嬉々としてシュゼットの全身を磨き始めた。


 新しいドレスが届けられてから侍女たちの着せてみたいという期待に満ちた視線に気がついていた。

 だが、高価な生地で作られたドレスは着心地はいいが、居心地は悪い。汚さないか、破かないかなどとひやひやする。

 シュゼットは自分の気持ちを優先して、侍女たちの無言の訴えを見なかったことにしていた。


 それがどうだ。

 寵姫の証を見せた途端、色めきだった。


「ここまでしなくても……!」

「いいじゃありませんか。折角のドレスと宝飾品ですから」


 上手く宥められながら、手の込んだ刺繍が施されたドレスを着つけられ、化粧を施された。髪も侍女たちの器用な手が複雑な形に結い上げる。


 仕上げに首飾りとそれに似合う耳飾りがつけられた。


「まあ、やっぱりとてもお似合いですわ」

「赤がとても似合います」


 シュゼットは支度だけでぐったりだ。それでもドレスは皴にするわけにはいかないので、椅子には浅く腰掛ける。


「そのまま庭に散歩でもいかがですか?」

「この格好で?」

「そうです。たまにはいい気晴らしになりなりますよ」


 気晴らしになるかどうかと言われれば、ならない気がした。

 だけどこれかまたドレスを脱いで、と考えるだけでげっそりする。シュゼットはジョアンナと護衛騎士の二人を連れて庭に出た。


「ごきげんよう」


 庭に出れば、久しぶりにヨランダに声を掛けられた。最後に会ったのは、王女が来る前で、しかも毒入りクッキーを食べる前だ。一か月近く、ヨランダに会うことがなかった。

 ヨランダも前よりは落ち着いているように見える。アンドリューにあれだけ拒絶されれば、考え改めるることもあったのだろう。


「ごきげんよう」


 軽く挨拶を返してから、シュゼットはいつものように歩いた。ヨランダも自然とついてくる。わかりやすく護衛騎士やジョアンナがシュゼットのすぐ隣を歩いた。


「そのように警戒しなくても」


 くすりとヨランダが笑った。艶やかに赤く塗られた唇が弧を描く。何故か、その唇に視線が向いた。


「ヨランダ様に警戒しているわけではありません。彼らの対応はいつもと変わりません」


 そっけなく言えば、ヨランダは護衛達から視線を逸らす。


「そういえば、王女殿下にはお会いしました?」


 早く切り上げたいと思っているシュゼットとは違い、ヨランダはシュゼットの様子を気にすることもなく話題を振った。しかも話題はポーシャのことだ。迂闊なことを言えないので黙っていれば、ヨランダは勝手に話し続ける。


「噂ではだいぶ我儘な子供のようですわね。王女殿下に何か言われました?」

「そのことについては、何もお話することはありません」


 隠しているわけではないが、ヨランダに教える理由がなかった。進んで話したい内容でもないし、誤解を受ける行動にもつながる。


「ふふ、つまらないわ。でも、お気を付けなさいませ」

「何を気を付けるの?」

「わたしがいるからと言って、安全とは限らないと言うことですわ」


 そう言われるのと、口を押えられたのが同時だった。いつの間にか背後から羽交い絞めにされた。

 声を上げようとしたが、口に布を詰められて声が出せない。

 視線でジョアンナと護衛を探せば、いつの間にか二人も昏倒していた。その手早い仕事に驚きながら、シュゼットは拘束する腕から逃れようともがいた。


 徐々に意識が遠くなる。


「それではさようなら。心配しなくとも、この後宮はわたしがちゃんと面倒見ますわ」


 ヨランダの嫌にくっきりした唇だけがいつまでも頭に残った。



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