王女の怒り
「どうしてなのよ!」
与えられた豪華な客室で、感情のままポーシャはモノを投げつけた。手あたり次第、花瓶やグラスを床に投げつける。
甲高いガラスの割れる音が響いたが、ポーシャは気にすることなく叩きつけた。
側室を取ったと祖国で聞いたので、無理を言って使節団についてきた。できれば側室などすぐさま追い出したかった。ポーシャは国で一番の愛される姫なのだから、嫁ぎ先でも大切にされることが当然だと考えていた。側室になんかなる女など、下品な色気でアンドリューに迫ったに違いないと思っていた。
憤る感情のまま、到着してすぐに側室に会った。アンドリューの側室は、ポーシャの予想に反してとても美しい女性だった。
それがまた悔しくて。つい感情のまま言葉を連ねた。
意識しない侮蔑の言葉はアンドリューが聞き咎めた。そして近づくなとの一言だけ。
ポーシャはアンドリューに気遣われながら去っていく側室の後姿を茫然と見送った。
それ以降、どんなにアンドリューに会いたいと先触れを出しても全く会えなかった。
国から来た使者たちは色々と決めることがあるためか、毎日のように会っているのに、婚約者であるポーシャには一度も顔を見せない。
リオとデヴィッドが側室に詫びを入れたにもかかわらず顔を見せないどころか、贈り物も手紙すら届かない始末だ。国にいた時の方がよほど贈り物や手紙を受け取っていた。
詫びを入れてから数日はあまり心配はしていなかった。これは国が決めた婚約だ。数日たって冷静になればアンドリューもこちらに歩み寄ってくるはず。
そう思っていたから、余裕で部屋に籠っていられた。だけど、予定する滞在期間の半分を過ぎても、アンドリューから音沙汰がない。
このまま帰国する間際まで会うつもりはないのではないかと、不安に捕らわれた。
外交にやってきているのに、アンドリューの機嫌を損ねて親睦を深めるどころか深刻な状態になり、そのため、この国のどの貴族にも紹介されずに社交も果たせていない。
その現実に焦って、ポーシャの苛立ちは最高潮に達していた。収まらないイライラを紛らわせるために部屋にある陶器を割り続ける。
「どうして、どうして、どうして! わたしは悪くない! すべてはあの女がいるのが悪いんだわ!」
「ポーシャ様、落ち着いてください。先ほどアンドリュー様から先触れが届いておりますゆえ」
国から連れてきた侍女が慌ててポーシャを止めに入る。ポーシャは八つ当たりする対象を変えた。
ポーシャを宥めようと近づいてきた侍女の頬を手に持っていた扇子で叩いた。甲高い音が部屋に響いた。
「きゃあ」
「嘘を言うんじゃないわよ! この役立たず!」
もう一度、侍女の反対の頬を叩いた。加減しない力で叩かれた侍女の体がふらついた。よろめいた体を侍女は足に力を入れて何とか支えたが、それも気に入らなくてポーシャはさらにもう一度叩く。
低く呻きながら侍女が床に倒れたのを見て、少しだけ気が済んだ。
「大した王女様だね」
「誰?!」
この場にそぐわない声に、顔を巡らせれば固まった。しまっていたはずの扉には、だるそうに寄りかかるアンドリューがいた。ポーシャは見られたことに顔色を悪くした。
「先触れを出したんだが取り込み中だったみたいだね」
「先触れ」
叩いた侍女が先触れがと言っていたが、本当だったらしい。ポーシャはつい唇を噛みしめた。侍女の言葉を素直に聞いておけばよかったと後悔する。
アンドリューは背を預けていた扉から体を起こすと、床に倒れている侍女に手を差し出した。
「大丈夫か?」
「も、申し訳ございません」
真っ白な顔をして頬を赤くはらした侍女は体を震わせながら顔を俯けた。アンドリューは顔を上げると、部屋の隅に控えている侍女を手招きした。
「手当をしてあげて。もしかしたら熱を持つかもしれない。それから割れた陶器類は片づけてほしい」
侍女は割れ物を片付けてから、倒れている同僚に手を貸して立ち上がらせると、小さく挨拶をして出て行った。二人の侍女を見送りながら、アンドリューはため息をついた。
「話す気分ではなくなった。これで失礼するよ」
「アンドリュー様! 待ってください!」
ポーシャは背を向けたアンドリューを追い縋った。アンドリューが冷めた目で傍らに立つポーシャを見下ろす。ポーシャは色々な言い訳を考えて、何とか言葉にする。
「あの、これは我が国では当然の処罰ですの。お気になさらないで」
「へえ。それは初めて聞いたな。八つ当たりをされるのも職務だと言う事かな?」
感心したように呟きながら、目が穏やかではない。嫌悪を隠さない眼差しに、ポーシャは震えた。今までこんな厳しい眼差しを向けてきた者はいなかった。
「ア、アンドリュー様だって悪いのですわ。わたしがいながら、あんな下品な女を側室にするなんて……!」
「下品ね」
アンドリューは呟くと唇を歪めた。ポーシャの言葉に呆れたことを隠さない表情だった。
「私は貴女との手紙を通して、優しい女性だと思っていた。どうやら見当違いだったようだ」
「手紙?」
ポーシャは手紙と言われて、はっと息をのんだ。手紙はもっぱら侍女たちに文面を考えてもらい、書いていたのだ。手紙から受ける印象と目の前にいるポーシャの印象が異なっていても不思議はない。
「勝手に期待した私が間違っていた。お互いに求めるものが異なるようだ」
その言葉が何を意味するのか、ポーシャには理解できなかった。
「どういうことなの」
茫然としていたが、いくら考えても分からない。仕方がなく今回の使節団の代表であるリオを呼び出した。自分に媚を売らないリオは苦手だったが、そんなことを言っていられる場合ではなかった。イライラしながら、部屋の中をうろつく。
「お呼びですか」
いつもと変わらぬ淡々とした態度でリオはやってきた。ポーシャはうろつきながら、先ほどまでのやり取りをリオに聞かせた。リオはじっと無表情にポーシャの説明に耳を傾けた。
「なるほど。状況は把握できました」
「それで、どういうことなの?」
「簡単に言えば、婚約白紙にするということですよ」
「婚約白紙?」
ポーシャはリオの言葉をうまく呑み込めなかった。リオは意地悪い笑みを微かに浮かべた。
「王妃となる者が仕える者を感情で虐げるような人間では困ります。ですから、すでにその素質を持っていた王女殿下は条件に合わなくなったのでしょう」
「そんな馬鹿な! わたしは王女なのよ! 簡単に白紙になんて……」
「すぐに白紙にできますよ。そもそもこの婚約は我が国がねじ込んだものです。この国にとっては不要だった。国力も我が国の方がはるかに低いですから」
ポーシャは反論しようと口を開きかけたが、言葉が出ずにそのまま口を閉ざした。喘ぐように口をぱくぱくするポーシャを冷めた目でリオは見ていた。
「あの女がいるからなの?」
「関係ないのでは? そもそも側室を持つことは王女殿下との婚約がなされる前にわかっていましたから」
「もういい。下がりなさい」
ポーシャはぎりぎりと奥歯を食いしばった。リオは深々と頭を下げて、部屋を退出する。
「いるわよね」
「はい」
声を掛ければ、すぐに返事が返ってきた。隣の控室から出てきたのはデヴィッドだ。恭しく王女の前に跪く。
「あの女、排除して」
「……他国の側室なので、処分は難しいかと」
「どうにかしなさい」
「では、王女殿下の護衛の者たちを使うことをお許しください」
ポーシャの拒絶は許さないと言った強い口調に、デヴィッドは一つ要望を告げた。ポーシャはどうでもよさそうに許可を出す。
「好きに使いなさい。ただし失敗は許さないわ」
「お気に召すままに」
頭を下げてデヴィッドはどうするべきかを考えるために、一礼してポーシャの前から立ち去った。
「許さない、絶対に許さない」
一人になったポーシャは小さな呟きを繰り返した。




