警戒
ローガンは決められた見回りを終えてから、アンドリューの執務室へと向かった。
シュゼットが毒の入った菓子を食べた以降、アンドリューかローガンのどちらかがシュゼットと必ず一緒にいるようにしているのだが、今日は話があると護衛の仕事を交代した後、部屋に来るようにと呼ばれていた。
今日は特にアンドリューの婚約者である王女との茶会があったはずだ。その様子も聞かなければならない。
執務室の前で警護している騎士が扉を開ける。どうやら事前に通すようにと言われているようだ。軽く会釈してから部屋の中に入れば、ため息が出た。
アンドリューは座り心地の良い長椅子に座り、足を組んで手酌で酒を飲んでいた。向かいの席にはミゲルもいる。こちらもやや不機嫌そうにグラスを傾けていた。
テーブルには既に瓶が何本も空いている。二人でどれだけ飲んだのかと問いただしたい。
「二人とも機嫌が悪そうだ」
「やあ、ローガン。どうにもこうにもならない私の気持ちを少しは慮ってくれ」
どうやら王女とシュゼットの対面がよくなかったようだ。ミゲルは眉間にしわを寄せたままグラスに酒をなみなみと注ぐ。
二人の様子にローガンはため息をついた。長い夜になりそうだ。
「座ってもいい?」
「もちろん。君も飲むだろう?」
ミゲルが立ち上がるとグラスを一つ持ってくる。危なげなく歩いているところを見れば、酒の瓶を数本空けていても、さほど酔ってはいないようだ。
アンドリューもミゲルもかなりの酒を飲んでも酔わない。それは長い付き合いの中で知っていたが、こんな飲み方をするのは成人した時ぐらいだ。
聞くのも面倒だと思いつつも、知らなくてはいけないので話を振った。
「婚約者の王女殿下はどうだった?」
「最悪だな。あの女とは結婚はできない」
ミゲルからグラスを受け取ると、アンドリューが酒を注いだ。琥珀色の酒がグラスを一杯にする。
「まだ初日じゃないか」
「初日でも十分だ。あの女、シュゼットに向かって娼婦と言ったんだぞ?」
思い出したのか、表情が険しくなる。アンドリューはグラスの酒を一気に煽った。
「王女殿下の母君は側室だったはずだが……」
「その通りだ。シュゼットも公になっていないだけで血筋からすれば、王族だ」
「……は?」
初めて聞く内容に固まった。アンドリューが肩をすくめる。
「知っている人間はかなり限られているけどな。シュゼットの母君は父上の妹姫、父君は侯爵家の弟」
「まさか……」
「なんで王家がわざわざ十数年も侯爵の探索の手助けをしていたと思っているんだ」
アンドリューはため息をついた。
「……王妹殿下は療養先で病気で亡くなったと聞いている」
「王太后陛下は側室の娘である叔母上のことが気に入らなくて、前国王がなくなった後、すぐに王宮から追放してしまったんだ。その時にはすでに叔母上の腹にはシュゼットがいた。元々体の弱い人だったらしい。シュゼットを産み落とした後、亡くなったそうだ」
「では、シュゼットが母だと思っているゾーイは……」
「叔母上の侍女だ。シュゼットが生まれた後、誰にも援助されず彼女達が育てたんだ」
侍女と聞いて、似ていない親子だと言っていたことを思い出した。初対面の時、侯爵とシュゼットの主張がずれていたのも納得する。
「叔母上の世話係としてつけられたのは3人。侍女のゾーイと護衛、雑用をする少年。3人が生まれたばかりのシュゼットを守り育ててきた」
黙って聞いていたミゲルが言葉を補う。
「王妹殿下との結婚を望んでいた叔父が結婚できなったのも、王太后の反対があったからとも聞いています。だからなのか、侯爵家に援助を求める手紙が届いたころには2年が経過していました」
ローガンは驚きながらも首を捻った。
今の話が本当ならば、アンドリューはシュゼットの従兄になる。血のつながりが濃すぎて、この国では通常娶わせない。
「ではどうしてシュゼットを側室に?」
「シュゼットに爵位を与えるためだ。父上は叔母上の持っていたものをシュゼットに引き継がせたいんだ。それぐらいは当然の権利だろう」
「なるほど」
ようやく合点がいって、頷いた。
「それはいいとして、明日からシュゼットの護衛騎士を増やしてほしい」
「今でもかなりの人数を割いているが」
シュゼットの毒殺未遂からかなり厳しくなっていた。これ以上となると、人員配置が難しくなる。わかっているはずなのに、アンドリューがさらに警護を厳しくすると言う。
「殿下、人数だけでは駄目です。相手は王女だ。身分を笠に着られたら難しい」
ミゲルが淡々と告げる。
「婚約者と言えども他国で護衛を押しのけるのか? それこそ外交問題だ」
アンドリューが鼻で笑う。ミゲルは目を細めた。
「王女殿下にそう行動させるのもいいですね。確実に排除できる」
「ミゲル、そういうことは護衛騎士として許せないぞ」
下手をすれば無能だと言われてしまうような策にローガンは反対した。ミゲルは少し黙ると、ため息をついた。頭に血が上っていたことに気がついたのか、素直に取り消した。
「すみません。確かにローガンたちの評判を落とすわけにはいかない」
「あの女は援助を申し込む使者としてやってきたんだ。流石にそんな愚かな真似はしないだろうよ」
援助を申し込む使者、と言われてローガンは今回の訪問の理由を思い出した。寵姫になったシュゼットを見に来ることが目的のようであるが、本来はもっと外交の問題を抱えていた。ローガンもある程度の情報は掴んでいたが、王女が乗り込んでくるほど重要なのかと疑問に思う。
「援助を申し込まなくてはいけないほど、困窮しているのか?」
「うまく隠しているけどな。今回だって、シュゼットに会うために見せかけるための名目にしているが、本当に援助が欲しいんだ」
ミゲルはグラスをテーブルに置くと、酒の瓶を持つ。酒の瓶を掲げるように見せられて、ローガンは残りを一息に煽った。
「小麦が取れる地方で干ばつがひどいようです。我が国とは接していない地方なので実感はないかもしれませんが」
「ああ、それで援助につながるのか」
この国は穏やかで一年を通じてほとんど気候が変化しない。水害も干ばつも過去においても数えるほどしかなかった。それでも治水工事は進んで行っており、農作物は国外への輸出もしているぐらいだ。
「今日も釘を刺しておいたから、心配はないだろうが……万が一の時には王女に剣を向ける許可を出しておく」
アンドリューは何でもないことのようにローガンに告げた。ローガンは表情を歪ませた。
「そういうことがないことを祈る」
「そうだな。面倒なことはやりたくないが、いざとなったら援助を餌にしてもいい」
「ところで、毒の出所はわかったのですか?」
王女の話がいち段落ついたと判断したのか、ミゲルが話題を変えた。ローガンはため息をついた。
「ヨランダ・カーチスの侍女がヨランダに出した菓子だと言うことはわかっている」
「……ヨランダに提供された菓子?」
「そうだ。ヨランダのお茶の時間に用意されていたが、食べなかったので下げた。その菓子をシュゼットが自分の分だと勘違いして食べたということだ」
ミゲルは難しい顔をして沈黙する。
「それではヨランダが実は毒を盛られていたようにも取れます」
「そのとおり。逆に煩いヨランダが邪魔だったシュゼットがヨランダに用意したのではないかとヨランダの侍女は反論した」
そんな馬鹿な、とミゲルは呟く。シュゼットが誰かを陥れるために毒入りの菓子を用意するなどありえないし、不可能だ。彼女は守られているのと同時に、常に複数の目で監視されていた。
シュゼットは大人しく自分の与えられた場所以外には移動しないので監視されているとは思っていないだろう。寵姫なのだからと言えば、そうかと頷く程度しか知らないので助かっていた。
「どちらにしてもその程度の疑惑では排除できないのが現実だな」
アンドリューはお手上げ状態だと笑った。




