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隣国の王女


 用意された部屋は沢山の日の光が入るサロンだった。


 王族の親しい者たちとの談話をするために用意されている部屋だ。シュゼットがこの部屋に通されるのは実は初めてだった。

 調度品も白を基調にしているがとても落ち着いた趣で、全体的に明るい。


 茶会用にと用意された部屋には長椅子とテーブルがある。侍女たちはちらちらとわたしの方を見て、様子を窺っていた。その目には頑張れと応援の色も見え隠れしていた。


 それもそうだろう。客として招かれたはずなのに、未だ座ることも許されず、立っているのだから。

 一方、ここに呼び出した王女の方は座り心地の良い椅子に座っている。挨拶してから、すでに10分ぐらい経っている。無視されているようなのだが、こうした場合はどうしたらいいのか皆目見当がつかない。


 最悪というものは、すでに経験していると思っていた。


 シュゼットはやや遠い目をしながらも、根性で笑みを浮かべる。成功している笑みかどうかはわからないが、それでも笑顔を維持した。


 母であるゾーイが死んでから、生活するのは大変だった。お腹が空いても誰も用意してくれないし、服だって勝手にやってこない。洗濯屋の女将に手を貸してもらいながら、やり方を覚えていった。一人きりの夜は寂しくて、誰もいない部屋で小さくなって丸まる。丸くなって膝を抱え朝が来るのを待つ。


 朝が来て仕事が始まれば、また誰かと話すことができる。

 その接点だけがシュゼットを人間らしくしていた。深く考えることもやめてしまっていたので、完全に周囲の好意によって生かされていた。


 その底辺をはい回るような生活の辛さを経験しているから、侯爵家に引き取られてからの生活は夢のようだった。

 ちっとも窮屈だとは思わない。知らないことは覚えればいい。

 幸いにして、侯爵家の人たちは優しくて暖かい。言葉にしなくても、伝わっている何かがあって、寂しいと思う暇もなかった。


 側室になる時だって、反対されたけどわくわくした気持ちの方が強かった。後宮の菓子はどれほど美味しいのだろうと期待を胸にやってきた。

 後宮に上がった時はかなり思い違いをしていたけど、今ではそれなりにアンドリューともやっている。ヨランダとの確執はあるものの、基本的にはあまり顔を合わせることはない。

 貴族社会をほとんど経験することなく後宮に囲われたシュゼットには難易度の高い最悪な事態だった。


「臭いわね」


 高飛車な態度で少女は唇をゆがめて、ようやくぽつりと一言、言い放った。


 ハーフアップの黒髪は艶やかで、意志の強そうな瞳は薄い緑。

 黙って無表情であれば人形のように愛らしい。

 物を知らないシュゼットでも一目でわかるほど、着ているドレスも一級品だ。


 隣国の使者としてやってきたポーシャ王女に正式に挨拶をしたにもかかわらず、一番最初に返ってきた言葉はこれだ。


 どうしてお茶会だから大丈夫だと思ってしまったのか、シュゼットは自分を呪った。夜会の面倒くささを回避したと思っていたが、王女との茶会の方が最悪だ。夜会の方が人の目がある分、ここまで傍若無人に振舞うことはなかっただろう。安易に流された自分が恨めしい。


 腹の底にぎゅっと力を込めた。現状を嘆いているばかりでは、受け身だけでは駄目だ。ジョアンナにも注意されていたが、わたしは今は寵姫だ。確かに身分的には他国の王女にはかなわないが、虐げてもいい存在とされてはいけない。


 このタイプは一度やっても大丈夫だと思い込むと、さらに激化する。特に男女の感情が絡めば激化も早い。


 洗濯屋にいた時のお姉さんたちの話を思い出しながら、シュゼットは反撃することにした。これで王女が機嫌を損ねたとしてもアンドリューが何とかするはずだ。アンドリューと朝に話したときには、言い返すことを期待していたようなところもあった。


 シュゼットは意識して余裕のある態度で残念そうな笑みを浮かべた。気弱そうに見えないように注意する。ジョアンナによる教育の賜物だ。


「お気に召さない香りのようですね。アンドリュー殿下にお伝えしておきますわ」

「なんですって?」

「この香り、アンドリュー殿下が一番お好きな薔薇の花で作られておりますの。アンドリュー殿下のお気に入りの薔薇ですから贈り物として王女殿下のために用意していると思いますが……。お気に召さないのなら仕方がありませんわ。王女殿下のご機嫌を損ねる方が悲しまれると思います」


 嫌いだと言ったのだから、アンドリューの一番好きな薔薇の花は王女には贈られないだろうと言うことを遠回しに言っているのだ。同時にこの薔薇はシュゼットだけに贈られるとも含ませていた。


 ジョアンナからの手ほどきによりこれぐらいはいい返せるようになっていた。しかもしつこいぐらいにアンドリューの名前を入れた。


「わたしは()()()臭いと言っているのよ!」


 正確に理解したのか、王女はかっとなって声を荒らげた。まだ子供だからなのか、感情をすぐ表に出す。

 シュゼットは内心首を傾げた。王女なのだから、感情を見せないぐらいなのではないかと勝手に思っていた。

 ミレディもセシリアもいつも笑みを浮かべていて、心の中で何を思っているかなんて感じさせない。感情を悟らせないのが貴族だと教えられていた。


「そうでしたのね。アンドリュー殿下に聞いてみますわ。いつも抱きしめてお休みになっているので、わたしが臭いだなんて気がつきませんでしたわ」


 ポーシャの嫌味には笑みを浮かべて切り返した。

 とうとう我慢ができなかったのか、ポーシャはばんとテーブルを叩く。テーブルの上に用意されていた菓子が少し崩れた。


 今日用意された菓子は初めて見るものだった。見た目がケーキのようだが、ケーキよりもふわふわしたように見える。しかもクッキーのように楕円形だ。


 菓子が手付かずなので、残ったらあとで持ってきてもらうようにお願いしようと明後日なことを考えつつ、ポーシャの様子を窺う。

 ここが他国であることを意識しているのか、気持ちを抑えるためにぎりぎりと唇を噛みしめている。まだ13歳の子供がするような表情ではないな、とシュゼットは苦笑した。


「お前のような娼婦、さっさと追い出してやる」

「娼婦? わたしがですか? 王女殿下のお国では侯爵令嬢は娼婦になるのでしょうか?」

「生意気だわ! その口を閉じなさい」


 ポーシャは目の前に用意されていたカップを手に取り、シュゼットに向けて手を翻した。


 あんな熱いお茶を掛けられたらたまらない。火傷したら大変だ。火傷は治りにくい上に、薬を塗る時、とても痛いのだ。

 その痛さを避けるために、シュゼットの体は驚くほど自然と動いていた。


「避けるな!」


 癇癪を起してポーシャは手に持っていたカップを投げつけてくる。そのカップも避けようと体をずらした。運悪くドレスの裾を踏み、上手く避けられない。


 当たったら痛いだろうなと考えながらも、火傷よりもましかと覚悟を決めた。


「何をしている」


 腰をぐっと引き寄せられ、カップはシュゼットに当たることなく床に転がった。


「アンドリュー様」


 助けに入ったアンドリューを見てほっと安堵の色を浮かべた。ポーシャは突然アンドリューが現れてぎょっとした顔をしている。


「何、って、その娼婦が……」

「娼婦?」


 アンドリューが冷ややかな目をポーシャに向けた。今まで見たこともない冷ややかさで、周囲の温度が下がったようにも感じる。突き刺さるような視線にポーシャがたじろいだ。先ほどの勢いが萎れていく。明らかに委縮した様子だったが、アンドリューは容赦しなかった。


「貴女の母上は側室から王妃になった方だと聞いていたが……娼婦だったのか?」

「そんなはずありません!」

「では、何故、シュゼットを娼婦呼ばわりをする? 彼女は私の側室だ」


 反論できずにポーシャは唇を噛みしめた。やや俯いて表情を隠しているが、きっと怒り狂った顔をしているのだろう。シュゼットはぽんぽんとアンドリューの腕を叩いた。


「そんな怖い顔をなさらないで。わたしは大丈夫です。こうしてアンドリュー様に助けていただきましたから」


 ポーシャからシュゼットに視線を戻したアンドリューと目を合わせた。シュゼットはそっとアンドリューに耳打ちする。


「あのお菓子、早く食べたいからもう退出してもいい?」

「……わかった。シュゼットがそういうなら不問にする」


 笑いをこらえるためか、アンドリューは大きく息を吐いた。


「今後一切、シュゼットに近づくな」


 ポーシャに一言釘を刺してから、アンドリューはシュゼットを連れて部屋を出た。




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