執務室でのやりとり
アンドリューの執務室で、いつになく無表情にミゲルが書類を積んでいく。普段は温厚そうなミゲルであるが、こうして年に何回か不機嫌な時がある。ミゲルは感情を隠すのが上手なため、親しくない人間にはわからないだろうが、アンドリューのように幼い頃からの付き合いであると、手に取るようにわかってしまう。
アンドリューはいつも以上に積まれていく書類に、顔をひきつらせた。
「……ミゲル、今日はすごく機嫌が悪いね」
「そうですか?」
ミゲルは声を掛けられて、顔を上げた。アンドリューの広い執務机の上に、書類の山がすでに3つも出来上がっていた。
午前中にミゲルの処理した書類を確認するのがアンドリューの仕事なのだが、午前中に処理した量としては多すぎる。ミゲルの補佐たちが屍になっているのでは、と心配になる。飛ばし過ぎて、後々、寝込まれてもこれまた困るのだ。
「何か気になることでもあるのかい?」
「気になることが多すぎて、特定できません」
ミゲルが怒りを抑え込んだ声音で言うので、アンドリューは笑った。ミゲルの機嫌がそこ抜けている理由に気がついたのだ。
「シュゼットのことかな?」
「それ以外に何かありましたか?」
問いに問いで返されて、相当機嫌が悪いとため息をついた。アンドリューは執務机に右肘をついて頬杖をついた。
「君の耳に入ったのが不思議なんだが」
「不思議でも何でもありませんよ。シュゼットから相談の手紙が来ています」
ごく当たり前にミゲルは言うが、アンドリューは大げさにため息をついた。
「君たちは仲がいいね」
「殿下、わかっていると思いますが、我々はいつだって後宮からシュゼットを出してもいいんですよ」
いつもは名前で呼ぶのにわざわざ殿下と呼び掛けてきた。アンドリューはミゲルがよほどシュゼットとヨランダが顔を合わせるのが嫌なようだ。
「そう怒らなくてもいいじゃないか。いずれは対峙する必要があるのだし」
「そうかもしれませんが、どうして唯一助けられる貴方がここでのんびりしているのです? ヨランダ嬢との茶会は今日ですよね?」
ミゲルの尖った言葉によほど心配なのかと笑みがこぼれる。いつでも冷静でほとんど感情を揺らさない男が義妹のことでこれほどまで感情を高ぶらせる。これが他人事ならば、冷静に対処するはずなのに面白いほどイライラいている。
「女性の話に男がでしゃばると碌なことがないからね」
「ですが、相手はあの女ですよ。シュゼットが傷ついたらどうするんです?」
「夜にでも沢山慰めるから心配いらない」
慰める、といわれてミゲルの表情が硬くなった。アンドリューがまずいと思った時にはすでに遅く。ミゲルは拳を握りしめて体を震わせていた。
「まさか手を出しているんですか? 手を出さないと約束しましたよね?!」
「落ち着け。誤解だ」
「本当でしょうね?」
信じられないのか、ミゲルが疑わしい目で睨みつけた。アンドリューは苦笑しながらも、否定するように手を振った。
「手は出していない。一緒に寝ているだけ」
誤解を生じそうな表現であるが、本当に一緒の寝台で休んでいるだけだ。こういうちょっとした言葉遣いで勝手に翌朝起き上がれないほどの寵愛が噂されている。側室として入ったシュゼットが寵姫としての立場をゆるぎなくするために必要なことだった。侍女たちから広がる噂も、度重なるドレスや宝飾品の贈り物もすべてがシュゼットの価値を高めるための行為だ。
必要なことだとミゲルにもわかっている。わかっていても、業腹ものだった。
ミゲルは気持ちを落ち着かせるように、目を閉じて眉間を揉みこんだ。
「お前は本当に過保護だな。ミレディに対してもそうだが、お前と侯爵は過保護すぎる」
「放っておいてください。これは性分としか言いようがありません」
アンドリューの純粋な問いかけに、ミゲルは肩から力を抜いた。少し神経質になっていることは自分でもわかっていたが、どうしても冷静になれないでいた。
「お前には伝えておいた方がいいのかもしれないね」
ミゲルの様子を見ていたアンドリューが小さく呟いた。ミゲルが聞きとがめる前に、彼は席を立つ。
「ちょっと見せたいものがある。一緒に来てほしい」
「見せたいものですか?」
突然、会話が打ち切られてミゲルは戸惑った。アンドリューはミゲルの内心にお構いなしに、部屋を出て行く。慌ててその後ろについていけば、彼は王族の居住区の方へと向かった。
「どこに行くのですか?」
「場所は教えられないから、黙ってついてこい」
アンドリューは慣れた道なのか、躊躇いなく進んでいく。仕方がなくその後ろをついていった。ミゲルはアンドリューと幼いころから交流があったため、何度も王族の居住区へ入ったことがある。常に立ち入れるほどの許可は貰っていないが、それでも人よりも多く呼ばれている。そのためある程度の道は見覚えがある。
最後に曲がったところで、ミゲルは今まで着たことのない場所へ入ったことに気がついた。問いかけようにも、アンドリューは一切答えないと言う空気を作り出しており、黙ってついていくしかなかった。
「ここだ。入れ」
立ち止まったのは王族の居住区のさらに奥にある離宮だった。王宮内にあるには小さめの建物だ。後宮とは別の場所にあるらしく、他の建物は見当たらない。
ミゲルは言われるまま一歩踏み出した。
「ここは」
中はがらんとした空間だった。元々は誰かが住んでいたのだろう。彫刻の細かな調度品や今では手に入らないような銀細工などが飾ってある。中でもひときわ目を引いたのは、大きな壁にかけられた肖像画だった。
「シュゼット……? いや違う」
小さな白い顔に華奢な体つき。
豊かなプラチナブロンドの髪と深い藍色の瞳。
シュゼットとはよく似た顔立ちをしているが、色合いが異なっていた。シュゼットはミゲルと同じ銀髪に紫の瞳だ。
「シュゼットの母君だよ」
「では、この方が陛下の異母妹?」
「そう。よく似ているだろう」
二人は並んで肖像画を見上げた。
「話には聞いていたけど、これ程まで似ているとは」
「父上は叔母君に何もできなかったことを後悔しているんだ。だから一定期間、シュゼットを後宮に入れて、下賜する時に爵位を与えたいと父上は考えている」
「書類には何も書いていなかったはずですが……」
ミゲルはシュゼットが後宮に入るときに作成した書類を思い出しながら、呟いた。
「そうだね。表向きは、それ相応の対価となっているはずだ」
「シュゼットに爵位を与えると、ヨランダ嬢にも爵位を与えることになりませんか?」
「ならないよ。シュゼットは寵姫だから。シュゼットの前に彼女には出て行ってもらうよ」
今日の結果次第でどうするか決める。
そんな言葉にならない言葉を聞いた気がした。
「殿下を敵にすると恐ろしいですね」
「そうかい? 私はすでにヨランダに何もしなければ、それ相応の対応で、と言ってある」
「そう簡単に諦められないでしょうに」
呆れた口調でミゲルは呟いたが、アンドリューは気にも留めなかった。
「長い間探して見つかった従妹だ。彼女が持つべきだったものはすべて渡してあげたい」
「シュゼットは自分の母親がゾーイだと信じていますが、教えないのですか?」
ずっと気になっていたことを聞いてみた。シュゼットの父親は間違いなくミゲルの叔父だ。継承された色からもはっきりしている。
「よほどのことがない限り、教えないだろうね。シュゼットの両親が簡略的でもいいから結婚をしていたらまた違っていたかもしれないけど」
シュゼットの母は王妹殿下、父親は侯爵家当主の弟。
身分的にも年齢的にもおかしくない組み合わせだが、不幸な横やりにより二人は婚姻を結んでいなかった。そのため、シュゼットは王族の庶子でもあった。庶子ではあるがその確かな血筋は王位継承権が発生する可能性がある。シュゼットがそのつもりがなくとも、王配という甘い蜜を欲しいと思う男はいるだろう。
「できるだけ巻き込まないようにするよ」
「……すでに寵姫というだけで巻き込まれている気がします」
「それもそうだね。色々こちらにも事情があるんだよ」
アンドリューが肩をすくめれば、ミゲルはため息をついた。




